8-7 善人

 無数の死体を踏み越え、生き残りの警官たちが出口へと走り出す。

 多腕の怪物が、獲物の群れの動きに反応する。

 その隙を突くようにリウが素早く接近し、握りしめた矢を怪物の脳天めがけて振り下ろす。

 怪物は背中から生えた腕で矢を防ぎ、逆にリウを掴みにかかる。

 だが、迫りくる無数の腕をリウは風車のような回し蹴りでへし折った。

 痛みに悶えながら怪物が退く。

 そこに待ち構えていたのはハヌマン。

 両腕で怪物を抱きかかえ、真後ろの壁めがけて投げつけた。

 コンクリートに怪物の頭が突き刺さる。

 ハヌマンは追撃しない。

 背後からリウの奇襲が来ることをわかっていたからだ。

 身を屈めたハヌマンの頭上をリウの手刀が横切る。

 反撃の後ろ蹴りをリウは跳躍して躱し、宙を駆けながら弓を構える。

 矢じりの向こうにいるのは、負傷して動けない一人の警官だ。

 阻止せねば。

 だがハヌマンは動き出すことができなかった。

 背後から無数の腕で掴まれていた。

 ハヌマンの丸太のような腕に、無数の青白い指がずぶりと食い込む。

「ぬううううッ」

 ハヌマンは怪物ごと腕を振り回し、リウめがけて投げつける。

 そして、それは間に合わなかった。

 人の心臓に矢が突き刺さる音が、悲鳴が、倒れる音が、致死量の血が流れる音が、ハヌマンにはとっくに聞こえていたのだ。

 守るべき警官は、死んでいた。

 

 少年と怪物が交戦している。

 ハヌマンは穴だらけの右腕を押さえて走り出す。

 まだだ。

 室内にはまだ生存者がいる。

 たとえそれが致命傷であっても、せめてこの場からは逃してやりたい。

 うつ伏せの生存者に近寄る。

 胸を貫かれているが、心音も呼吸もある。

 このままでは怪物の餌食になるだろう。

 次の瞬間、ハヌマンは飛来した矢を掴み取る。

 リウがとどめを刺しにきたのだ。

 二の矢が装填される前に、ハヌマンが矢を投げ返す。

 その隙に怪物がハヌマンに襲いかかる。

 戦力を削がれた三本腕の怪物を、ハヌマンが蹴り飛ばす。

 そしてまた少年と怪物の戦闘が始まる。


 床に突いた片膝に、生ぬるい血溜まりが触れた。

 目の前で横たわっている警官のものだ。

 呼吸は無い。

 拍動も無い。

 直前まで生きていたモノが、完全に止まってしまった。

 目の前にあるのは、ただの死体だ。

 善人を気取った結果がこれか。

 こんなことなら、最初から他人を守ろうなどと考えなければよかった。

 哀れな生き残りを囮にして、このクソ共をさっさと殺せばよかったのだ。

 そうだ、本来の自分に戻ろう。

 殺し合いの中で高みへと至る、修羅に戻ろう。

 思い上がった餓鬼も、醜悪な人形も、全員殺してやろう。

 よし。

 ならば立て。

 どうした。

 立て、ハヌマン。

 何故、立てない。

 何故、俺は震えている。

「お前が凡愚だからですよ」

 白い女が立っていた。

 薄ら笑いを浮かべたダリアが、目の前に立っていた。

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