第6話
6-1 補完
夜の裏路地。
明かりの灯らない電飾看板が並ぶ風景を見れば、この辺りがかつて繁華街として賑わっていた場所であることが推察できる。
電気の通っている看板もあるにはあるが、そうした施設のほとんどは非合法な取引の場として使われている場所であり、善良な市民が近づくことはない。
小綺麗なスーツ姿で先を急ぐ男も、道端で飴を舐めている娘も、木箱に腰を下ろしている老人も、このような通路にいる時点で真っ当な人間ではないのだ。
だが、そんな彼らにもルールはある。
それは明文化されたものではなく、例えば他者のビジネスに不用意に干渉しないとか、外部からトラブルを呼び寄せるような真似はしないとか、そういった暗黙の了解のことだ。
闇社会であっても秩序を守れない者は自然に淘汰されるのが定めであり、それが度を越していれば物理的に排除されることもある。
表社会から弾き出された彼らだからこそ、異物には人一倍敏感なのだろう。
そして今、新たな異物がこの場所を訪れていた。
その通行者の異様さは、灯りの乏しい裏路地でも明らかだった。
まず身体が大きい。
闇夜に浮かび上がる大きなシルエットはまるで二本足で歩くヒグマのようだ。
それは脂肪によるものではない。
全身に隆起しているのは、全て過剰に発達した筋肉である。
しかし、何よりも異様なのはその顔だ。
目元から顎にかけてのほとんどが、鉄製のマスクのようなもので覆われている。
装着しているのではない。
顔の足りない部分を、金属で補完しているのだ。
男の名はハヌマン。
己の貪欲さ故に顎を砕かれて地に落ちた、哀れな猿を意味する名前である。
路端で佇む者、すれ違う者、道を空ける者。
誰もがその男に陰険な視線をぶつけた。
しばらくして、ハヌマンは一際派手なネオン看板の店の前にたどり着き、そこで足を止めた。
建物自体は大きいが、レンガ造りの壁に無骨なドアが一つ備えてあるだけの窮屈な外観は、通りかかった者を気軽に立ち寄らせるような趣では無い。
「邪魔をする」
ドアを開けて入り口をくぐり抜けるようにしながら、ハヌマンは低い声を店内に響かせた。
「一人かい」
正面のカウンター越しに初老のバーテンダーがこちらを見ている。
近くには背広を着た客が二人座っているが、酒を楽しんでいるとか、酔い潰れているといった様子ではない。
かといって誰かに興味を向けるでもなく、ただグラスの前に座っているような印象だ。
向かって左側はテーブル席。
こちらは照明の代わりに花を模した小さなライトが内壁に散りばめられており、暗さの中にバー特有の雰囲気を演出していると言えた。
客同士が見えないほうが、何かと都合が良いのだろう。
「奥に用がある」
ハヌマンはカウンターのそばにある黒いドアにちらりと視線を投げた。
「裏はただのバックヤードだよ」
バーテンダーがそっけなく返す。
「なら確かめさせてもらう」
ハヌマンが歩き出すのと同時に、カウンター席に座っていた客が重々しく立ち上がった。
これが彼らの仕事なのだろう。
用心棒はそれぞれの利き腕に装着した特殊なグローブを見せびらかすように嵌め直しながら、招かれざる客を排除しにかかる。
高圧電流を帯びた拳が繰り出される寸前、ハヌマンはその手首を掴みながら足払いで相手を宙に浮かせ、がら空きになったみぞおちに強烈な下段突きを食らわせた。
直後、もう一方の用心棒が動き出したかと思うと、腹部に丸太ような蹴りを受けてカウンターテーブルまで吹き飛んていた。
「暴力は困るよ、お客さん」
平然とした様子のバーテンダー。
その手はテーブル裏の拳銃を掴んでいる。
だが。
「やめておけ」
そう言い捨てて店の奥へと進んでいく大男を、誰もが呆然と見送るしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます