真実は心の中に 01
サーシェスを見舞い、アークレインと晩餐を共にした後、そのまま獅子宮にとどまり部屋を用意してもらったエステルは、ほとんど眠れないまま一夜を明かした。
疲れや不安もあったが、一番の原因はアークレインと一緒に変な時間に眠ってしまったせいだ。
「睡眠不足が顔に出ていますよ」
呆れながらも化粧を施してくれるのは、天秤宮からエステルの身の回りの世話のためにこちらに来てくれたリアだ。
「今日はアーク様と一緒にトルテリーゼ王妃に会いに行く予定なの。だからできるだけ誤魔化してちょうだい」
「そうなんですか? では全力で綺麗にします」
「華美にはしないでね。向かうのは牢獄なんだから」
やけに気合いの入った顔を見せるリアに向かって、エステルは慌てて釘を刺した。
あまり眠っていなかったのはアークレインも同じで、エステルを迎えに来たところをリアに捕まって、血色の悪さを誤魔化す化粧を施された。
疲れた顔を見せると王妃に舐められるかもしれないというのがその理由である。
アークレインの場合はエステルとは違って、執務室を異能で荒らしてしまったせいで公務が立て込み、ほとんど眠る暇がなかったようだ。
◆ ◆ ◆
トルテリーゼ王妃が収監されているのはアルビオン塔の『特別室』だった。エステルが入れられた独房とはまた別の場所になるようだが、これはサーシェスの最後の慈悲らしい。
今回の一件の捜査は、サーシェスの勅令により特別に編成された捜査官によって行われている。その中心となっているのは
一般的な事件であれば捜査を行うのは首都警察だが、王室の秘密が絡む事件だけに、平民を中心として構成された警察官には任せられないという判断になったようだ。
捜査が一通り完了すれば、トルテリーゼは裁判にかけられ、王族籍から抹消された上で極刑になる可能性が高い。
今回の訪問は、その前に面会しておきたいというアークレインの意向によるものだった。
面会は塔の中にある応接室のような部屋で行われた。
室内にはソファとテーブルが置かれており、エステルはアークレインと並んでソファに腰かけた。
すると、ほどなくして二人の看守に連行されてきたトルテリーゼがやってくる。
「殿下相手に滅多な事はないと思いますが……我々は外で待機しておりますので、何かあれば呼んでください」
看守はそうアークレインに伝えると、トルテリーゼだけを室内に入れて出ていった。
「お忙しい中お越しいただき光栄です、王太子殿下。しかもエステル嬢もご一緒だなんて」
どこか芝居がかった口調でこちらに声をかけながら、トルテリーゼはアークレインの向かい側に優美な動きで腰掛けた。
やつれてはいるが赤薔薇に例えられる美貌は健在で、どこか疲れた表情すら妖艶に見える。
そしてマナと表情がちぐはぐなのも相変わらずだ。
口調にも表情にも嫌味と毒がたっぷりと含まれているのに、マナはきらきらと輝き、どこか嬉しそうですらある。
その理由がどうしても気になって、エステルは食い入るようにトルテリーゼの顔を見つめた。
「……まだ王太子ではありません。どこかの誰かさんが立太子の儀式をこれまで妨害してこられましたからね」
ローザリアにおいて、第一王位継承者であるだけでは王太子は名乗れない。立太子の儀式を行わなければその称号も対外的な王の後継者という立場も認められないという慣例がある。
「時間の問題だわ。良かったわね、あなたは勝者となり私達は負けた。惜しむらくはミルセア・マールヴィックの自殺を許した事かしら」
マールヴィック公爵の死を話題に出した瞬間、トルテリーゼのマナがどす黒く陰った。
(何、これは……)
深い憎悪。例えようもないくらい。憎くて憎くてたまらない。そんな印象の昏いマナがトルテリーゼの体の中を渦巻く。
だけどトルテリーゼの表情はピクリとも動かない。むしろこちらを小馬鹿にするような笑みを口元に浮かべて言い放つ。
「あの人の死に逃げを許すなんて随分と間抜けね。
ざまあ見ろと言わんばかりの表情。そして嘲笑。
クスクスと楽しげに
どす黒い深い負の感情が恐ろしくて、エステルはさりげなく目を逸らした。しかし制御できない異能はトルテリーゼの姿を視界に入れなくてもその感情を捉えてしまう。
「当然こちらも
「わざわざそれを知らせに? なんてお優しい」
気持ちが少し落ち着いたのか、トルテリーゼのマナの色合いがおさまり始めた。エステルは視線をトルテリーゼにそっと戻す。彼女は相変わらず人を小馬鹿にした笑みを浮かべていた。
「随分素直に取り調べに応じているようですが、まだ何か企んでいるんですか? 義母上」
アークレインがトルテリーゼに向かって母と呼んだ瞬間、ぱあっとマナが輝いた。
「あら、まだ私を
鼻白んだ表情とは裏腹に、マナはトルテリーゼの喜びを伝えてくる。
(どういうこと?)
考えなければ。トルテリーゼの感情と言動が合わない理由を。
エステルは頭を必死に回転させた。
「一応まだあなたは私の義理の母親ですからね。それにしても相変わらず口の減らない事だ。捜査官に対しても包み隠さず全てをお話し下さるといいのですが」
「こうなっては私がどうなるかなんて決まっているわ。どうせ処刑されるんだもの。今更何を言っても私に利点なんてないと思わない?」
アークレインとトルテリーゼの嫌味の応酬を聞き流しながらエステルは必死に考える。
トルテリーゼは父のマールヴィック公爵を深く憎む一方でアークレインに好意を持っている……?
トルテリーゼのマナがおかしかったのは、思えば獅子宮にて開催された彼女主催のティーパーティーに呼ばれた時からだ。
エステルは当時アークレインの妃候補と目されていたオリヴィア・レインズワースより生まれも育ちも劣る。だから、トルテリーゼには歓迎されるはずだというのがアークレインの推測だったが、実際はそうではなかった。
オペラを一緒に見に行った時のアークレインに対する感情も変だった。彼に向かって嫌味を言いながらマナを陰らせて、不本意なのだと言っているような気がしたのを思い出す。
マールヴィック公爵はアークレインを憎んでいた。それは間違いない。婚約発表が行われた新年の晩餐会の時、エステルに対しては喜びを、アークレインに対しては負の感情を募らせていたのを思い出す。
死ぬまで黙秘を貫いたマールヴィック公爵、全てをマールヴィック公爵に転嫁するシルヴィオ・マールヴィック。
一方のトルテリーゼは素直に聞かれた事に対して答えており、その証言からマールヴィック公爵の余罪が次々と明らかになり、かなりの人数の人間が連鎖的に逮捕される見込みになっているそうだ。
サーシェスの命を狙った事から始まった反逆劇だったはずなのに、最終的にはマールヴィック公爵ゆかりの人間だけが逮捕され、こちら側には大した被害は出なかった。
サーシェス、アークレイン、エステル、そしてリーディスも。
作為的な気持ち悪さを感じてエステルは身を震わせた。
(制御された反逆……)
そんな考えがふと頭の中をよぎった。そして宮殿最深部、『神殿』でのサーシェスの言葉がふいに脳裏に浮かぶ。
『色々な思惑と事情があって、結果的にこうなっている』
マールヴィック公爵の排除を目的に、もし国王と王妃が共謀していたとしたら――。
自分でも突飛な考えだと思う。だけど、一度浮かんだ考えを拭い去ることができない。
「エステル、顔が真っ青だ。気分が悪い?」
気が付いたら体が震えていた。その震えに気付いたのか、隣のアークレインが声をかけてくる。
「いえ……大丈夫です」
「大丈夫という顔色ではないわね。もうお帰りになったら?」
トルテリーゼの物言いは高圧的だったが、エステルには心配をしてくれているように感じられた。
王妃の行動を好意的に感じてしまうのは、きっとこの突拍子もない推測のせいだ。
聞かなければ。衝動的にそう思った。
今日を逃せば、エステルがトルテリーゼとこうして話す機会は恐らくない。
「トルテリーゼ様……お伺いしたいことがあります……」
「敬称など不要よ。私は罪人。今は未来の王太子妃であるあなたの方が立場は上だわ」
エステルは首を横に振った。まだこの人の王族籍は抹消されていない。それならば最低限の敬称は付けるべきだと思った。
「今回の反逆は、国王陛下とあなたが仕組んだものではありませんか?」
エステルが決死の覚悟で尋ねると、トルテリーゼは一瞬虚を衝かれた顔をしてから吹き出すように笑い出した。
「いやだ、突然何を言い出すのかと思ったら……アークレイン、あなたの婚約者は作家でも目指しているの?」
エステルは怯みそうになるが、ぐっとこらえて更に言葉を紡ぐ。
「結果が……随分と綺麗におさまりましたよね。綺麗すぎるくらいに。アーク様に政敵を排除した状態で玉座を渡す為、そんな風に感じられて……」
「あなた探偵も作家も向いていないわ。一体どこからそんな妙な考えが出てくるのか……アークレイン、あなたの婚約者は精神的に問題がありそうね」
トルテリーゼはエステルを嘲笑った。
隣のアークレインから負の感情が立ち上る。
エステルは、何か言い返そうと口を開きかけたアークレインの肘を掴んで制止しながら思い切って告げた。
「だってトルテリーゼ様はアーク様に好意をお持ちですよね」
再び二人の視線がエステルに集まった。
「何故そんな発想に至るのかしらね」
自失から一番最初に立ち直ったのはトルテリーゼだった。
異能で視えるからとは言えなくて、エステルはぐっと詰まる。
「目がおかしいのか頭がおかしいのか……今からでも婚約者を替えた方がいいのではないかしら?」
「……エステルは《覚醒者》です。義母上」
アークレインが割り込んできた。
「人の感情を視覚的に捉える異能を持っています。そのエステルがこう言うのなら……」
「突然何を言い出すの? 感情が見える……?」
トルテリーゼは戸惑った表情を見せた。
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