王妃の反逆 13

「もう少しお休みになってもいいのではありませんか?」


 ベッドから起き上がり、衣服を整え始めたアークレインにエステルは声をかけた。


「いや、完全に目が覚めてしまったし、執務室の様子が気になるから一度見てくるよ。エステルはどうする? こちらで過ごしてもらってもいいし、天秤宮に戻ってもいい」


「こちらに残りたいです。何かお手伝いできることはありませんか?」


 エステルの質問にアークレインは少し考えてから口を開いた。


「父上の様子を見てきて貰ってもいいかな? 侍医から絶対安静を言い渡されて退屈しているみたいなんだ」


「私も陛下にお会いしたいです」


「晩餐は一緒に摂ろう。呼びに行かせる」


 アークレインはエステルの頬に軽くキスを落とすと部屋を出て行った。




   ◆ ◆ ◆




 身に着けていたドレスは皺になりにくい素材だったので着替えはせずに済みそうだった。

 エステルは寝乱れた髪と服を軽く整えると、獅子宮の職員を呼んでサーシェスの所に連れて行ってもらう。


 案内された寝室に入ると、サーシェスはベッドの上に身を起こしていた。

 膝の上にはチェス盤が乗っている。

 手元にはチェスのタクティクス問題の本があるので、暇つぶしに解いていたようである。


「よく来てくれたな、エステル嬢」


 サーシェスはエステルを迎え入れると嬉しそうな表情をした。


「お加減はいかがですか?」

「だいぶ良くなってきたんだが、まだベッドから出して貰えない」


 そう告げるサーシェスの顔色は、確かに随分と良くなっている。エステルはサーシェスに勧められ、ベッドの傍に置かれた椅子に腰掛けた。


「しばらくは絶対安静とお聞きしました。ご無理はなさらないで下さいね」


 サーシェスが抱えているのは胃の壁が荒れる病気らしい。

 マナを使わなければどうにか小康状態を保てるのだが、マナを使用すると途端に体調が悪化するため、今後の生活には注意が必要なようだ。

 異能を使わないよう心がけるだけでなく、マナを大量消費する宮中祭祀は今後アークレインが引き継ぐ事になる。

 

「……安静はいいんだが退屈を持て余していてね。エステル嬢、一局相手をして貰えないだろうか」


 エステルはぐっと詰まった。嗜みとしてルールは知っているがものすごく弱いのだ。


「えっと、恥ずかしくなるくらい弱いので……」

「とりあえず最初はハンデなしでやってみようか」


 穏便に辞退したいのにサーシェスは乗り気である。エステルは内心で肩を落とした。




「……本当に弱いな」

「だから恥ずかしくなるくらい弱いと申し上げました」


 しみじみと言われたので仏頂面で返すとくつくつと笑われた。


「次はハンデを付けようか」

「陛下は女王クイーンなしでお願いします」

「さすがにそれはキツい。三手先攻しなさい」


 駒を落とすのではなく、先にたくさん打たせてもらうハンデは、序盤に自分に有利な局面を作るためのものだ。

 エステルはいそいそと駒を動かすが、それでも勝てる気はしなかった。頭を使うこの手のゲームは苦手なのだ。


「実はアークとエステル嬢の結婚式を前倒しにする話が出ている」


 駒を動かしながらのサーシェスの発言に、エステルは目をしばたたかせた。


「いつにですか?」

「なるべく早くに。……と言っても今から最短で準備をしても七月くらいになりそうだが」


 当初の予定は秋だったので、それはまた随分と早い。


「今後の王位継承を考えた時に、少しでも早く後継者が欲しいと言うのが私と内閣の一致した意見でね。急かすようで申し訳ないんだが……」


 子供を産め、という圧力を感じる以上に、ほんの数ヶ月でも結婚を早めなければいけない状態ということが気になった。


「リーディス殿下の血統に王位継承をさせない為……ですか?」

「今回の件に関わった者は全員が大逆罪に問われることになるからな」


 サーシェスは目を閉じると深く息を吐いた。


「リーディス殿下は今どうされているのでしょうか?」

「かなり強力な睡眠薬を盛られてその影響が抜けていないようだ。この宮の中で静養させている」

「そうですか……」


 リーディスの心中を思うと心が痛んだ。

 まだ十五歳なのに。これからの彼を取り巻く世界は酷く厳しいものになるだろう。


「宮殿の女主人をあまり長く空けておきたくないという思惑もあるんだ。気負うなというのは無理な話かもしれないが、王太子妃としての公務に関しては最低限にするようにこちらでも配慮はする」

「お気遣いありがとうございます」


(宮殿の女主人……)


 王妃はこれだけの事をしでかしたのだ。恐らくはその先に待つのは極刑だろう。


 わかってはいたけれど、アークレインと結婚したら、その瞬間にローザリアの女性の頂点に立つのはエステルになってしまう。

 サーシェスの言葉で実感し、ずしりと肩に重みが乗った。

 駒を動かすために伸ばした手が震える。


「エステル嬢はまだ二十歳だったか……重圧ばかりかける形になって本当に申し訳ない」


 エステルは兵士ポーンの駒を動かすと、そのまま指先を左手の薬指に添えた。

 アークレインにはめてもらった婚約指輪の石に触れ、気持ちを鎮めるための深い呼吸を行う。


「その指輪は……」

「新しい婚約指輪です。今日届いたそうで、アーク様に改めて贈っていただきました」

「ミリアリアの遺品の石を使ったと聞いた。……彼女がよく好んで身に着けていたものだ。懐かしいな」


 サーシェスが指輪に向ける眼差しはどこか切なげだった。

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