王妃の反逆 11

 午後になってエステルはようやくアークレインに会う事ができた。

 アークレインは昨日の夜から獅子宮内にあるサーシェスの執務室に詰めっぱなしで、そちらの方に呼ばれたのだ。


 天秤宮に国王親衛隊ソブリンズガードがやって来てからの事情を確認するため、という名目である。


 エステルが執務室に入ると、同じ室内にいたクラウスや、国王の補佐官らしい人々は出て行ってしまう。

 複雑そうな表情のアークレインと二人っきりにされてエステルは戸惑った。


「あの、どうして皆さん席を外してしまったんでしょうか……」

「気を利かせたつもりらしい」


 表情の割にマナの色合いはキラキラしているので、この顔は照れくさいからなのだとエステルは判断した。


 今のアークレインは身支度を整えており、投獄されていた時の痛々しい姿ではなくなっているが疲労の色が濃い。


 囚人姿でも疲れきった顔をしていてもどこか退廃的な魅力を漂わせるのだから、つくづく美形は得である。

 こっそりと観察しながら、エステルは勧められるままに応接セットのソファに腰を下ろした。


「あの……昨日は眠れましたか……」

「何時間か仮眠はしたよ。牢では退屈でかなり寝溜めしたからまだ動ける」


 アークレインは執務机からソファに移動すると、エステルの向かい側に座りながら答えた。


「牢での扱いは酷かったのではありませんか? あんな白い部屋に閉じ込めるだなんて……『白い拷問』ですよね……?」

「食事は普通に出ていたし肉体的に痛めつけられた訳でもないから。心理的拷問は効果が出るまで時間がかかる。すぐに父上とエステルが助けに来てくれたから何の影響も出ていないよ」


 微笑むアークレインの顔はいつも通りに見えた。


「エステルの方こそ大丈夫だった? 一応天秤宮に国王親衛隊ソブリンズガードが入ってからの事は報告は受けてるけど怖かったよね?」


「怖くなかったといえば嘘になりますけど、アルビオン塔の中での扱いはそう悪いものではありませんでしたから……。あの塔には王侯貴族のための『特別室』があると聞いた事があるんですけど、たぶん私が閉じ込められたのはその部屋ですよね?」


「確かにそういう部屋は存在する。戦争捕虜や政治犯の中でも獄死されたくない囚人を入れるための独房だ」


 アークレインは頷いた。


「見張りや食事を持ってくるのは女性でした。暇つぶしのための新聞や本などの差し入れもありましたし、かなりの特別扱いだと感じました。国王陛下が手回しして下さったんですよね?」


「そのようだ。君が酷い扱いを受けていなくて本当によかった」


 アークレインは心から安堵した笑みを向けてきた。


「陛下の体調はいかがですか?」


「とりあえず今は小康状態を保ってはいるけれど……医師の見立てでは、当分の間は治療に専念した方がいいらしくて、急遽私の立太子の儀式を執り行う事になった」


 エステルはその言葉に弾かれたように顔を上げた。

 アークレインはどこか苦いものを含んだ表情をエステルに向けてくる。


「今後私は摂政王太子として父上を輔弼する事になる」


 覚悟はしていたはずだった。王妃が反乱を起こし、それをサーシェスとアークレインが鎮圧した時点で次代の趨勢は決したと言える。


「リーディス殿下は公爵や王妃のやり方に反発しようとして、異能を封じられて眠らされていたと聞きましたが……王位継承権はどうなるのでしょうか?」


「さしあたっては保留という事になると思う。リーディスの継承権を剥奪してしまうと、かなりの遠縁の者を第二王位継承者として立てなくてはいけなくなってしまう。傍系は直系と比較すると保有するマナの量が少なくなるから、そちらに王位が移った場合、祭祀の時に支障が出る可能性がある」


 エステルは王家の系譜を思い浮かべた。

 王位継承権の第三位を持つのはマールヴィック公爵だ。

 その公爵や、公爵家に連なる者が今回の件で一斉に捕縛されたから、次の継承者となると確かにかなり遠縁の所から引っ張ってくる事になる。


「……早く後継者を作れと言われた」


 どこか憮然としたアークレインの発言にエステルは硬直した。


「えっと、それは……」

「それもできれば二人以上……リーディスの系譜に王統を渡す訳にはいかないというのが父上や内閣の意見で……」


 アークレインは気まずそうに目を逸らす。

 王妃とマールヴィック公爵の謀反については午前中に政府としての公式発表を行ったらしい。今頃国中が蜂の巣をつついたような騒ぎになっているはずだ。


「かなり当初の予定とは狂ってしまったけれど、私は既に君以外の人を隣に迎える事は考えられない。だから……」

「あ……、わたし……」


 固まったままエステルは青ざめた。この反応は良くないと思うものの、独房の中で出会いや異能に目覚めた事を後悔したのが頭をよぎり、アークレインの発言にまともな反応を返せない。


「王太子妃という立場がエステルにとって重いのは理解している。君が嫌なら公務も社交もしなくていい。ただ私の側にいてくれるだけでいいんだ」


 エステルは目を見開いた。驚きに返事ができないエステルに対して、アークレインは更に言葉を連ねる。


「それも嫌なら月に一度夜を過ごしてくれるだけでもいい……酷いことを言っている自覚はあるんだ。でも私には後継者はどうしても必要で……その相手はエステルがいい」


「私には……そんな風に求めて頂ける資格がありません……。だって私、アルビオン塔の独房で、アーク様に召し上げられた事を恨みました。お兄様や領地に影響が及ぶかもしれない事が恐ろしくて……出会わなければ良かった。こんな異能なんてなければ良かったと思いました。そんな私にはあなたの隣に立つ資格なんてない……」


「…………」


 アークレインの沈黙が怖い。エステルはその視線から逃れるためにうつむいた。


「……当然の感情だと思う。だからそれを負い目に感じなくていい」


 そっとアークレインの様子を窺うと、どこか寂しそうに見えた。


「エステルが家族や親戚から愛されて育ったことは君の兄上や叔父上を見ていればわかる。領地や親族を想う心も含めてエステルの構成要素だ。自分が一番ではない事は複雑だけど、そんな君だからこそこんなにも惹き付けられるのだと思う。だから資格がないだなんて言わないで欲しい」


 ドクン、と心臓が高鳴った。


「本当はエステルの事を思うのなら手放すべきなのかもしれない。でもそれは出来そうもないんだ」


 怖いくらいに真剣な眼差しがエステルに向けられた。マナが陰るのはどこか昏い執着心をエステルに抱いているからだ。想いを伝えあって何日も一緒に過ごしたのだ、さすがに気付く。

 そしてその感情を向けられるとエステルの中にも仄昏い愉悦が湧き上がる。


 ――もっと私を見て。私を愛して。


 甘い恋の囁きよりも、薄暗い感情と荒々しい態度で激しく深くエステルを求めてほしい。そうされると何よりも愛されていると実感できる。仄昏ほのくらい執着心を相手に対して抱いているのはエステルも同じだ。


 ……ああ、敵わないなと思った。

 エステルは深呼吸をすると、アークレインに向き直った。


「私でいいのならお側に置いていただけますか……?」


 予想外の発言だったのか、アークレインは弾かれたように顔を上げた。


「いいの……?」

「いいか悪いかで言ったらよくないです」


 半ば投げやりにエステルは告げた。


「王太子妃とか聞いていないですし、もう何と言ったらいいのか……責任は重いし、絶対公務は忙しいだろうし、子供を産むようにっていうプレッシャーもすごいだろうし、それを考えると今から憂鬱なんですが……」


「……ごめん」


 エステルは深いため息をついた。そして一度目を閉じてからアークレインに向き直る。


「……でも仕方ないです。私が好きになったのはそんな人なんですから」


 目の前のアークレインの顔を見つめると、深い青の瞳は驚きに見開かれた。


「王太子となるアーク様の隣に立つには能力も知識も足りていませんし、追い詰められたら実家を優先するような事を考えてしまう人間ですが……私で本当にいいのなら私をお側に置いてください」


「……いいに決まってる」


 アークレインは呆然とつぶやいた。そして一拍置いてから苦笑いをする。


「私はずっとエステルがいいって言ってる」

「……そうでしたね」


 エステルは淡い笑みを浮かべた。


「ありがとう」


 アークレインは囁くと、ソファから立ち上がって執務机へと向かった。

 そして、書類に交じって机の上に置かれていた紺色のベルベットの小箱を手に取るとこちらに戻ってくる。


「今日届いたんだ」


 エステルの目の前までやってきたアークレインは、箱を開けて中身をこちらに見せてきた。

 中に入っていたのは、大粒のダイヤモンドの隣にロードライトガーネットがあしらわれた指輪だった。

 ダイヤモンドを止める爪は花の形になっており、作り直す前の婚約指輪の面影を残すデザインになっている。


 ――新しい婚約指輪だ。


 アークレインと一緒にデザイナーに相談して、彼のラペルピンと、リカットした前の婚約指輪の石で作り直したもの。それがきらきらと外からの日差しを受けてきらめいていた。


 アークレインは指輪を手に取るとその場に跪いた。


「エステル嬢。私と結婚して頂けますか?」


 思わぬタイミングでのプロポーズにエステルは目を見開いた。続いて涙腺が緩んで視界が滲む。

 エステルは左手を覆う手袋を外すとアークレインに差し出した。


「はい、喜んで」


 囁くように返事をすると、左手の薬指に指輪がはめられ指先に口付けられた。

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