王妃の反逆 08

 アークレインと別れ、エステルはサーシェスと一緒に宮殿最深部を目指した。


 アルビオン宮殿は、かつてこの地が古代ラ・テーヌ王国の支配下にあった時代、総督府が置かれていた場所に建てられており、宮殿の地下には当時の遺構が眠っていると言われている。




 迷宮のような地下通路を抜けた先は行き止まりになっていて、乳白色の光沢を放つ石で造られた両開きの扉が埋め込まれていた。

 扉には蔓草文様が彫刻されている。この文様は古代ラ・テーヌ時代の遺跡によく見られるものだ。


「ここはかつてアルビオン総督府の中枢だった場所だ。『神殿』と呼ばれている」


 扉の近くには例によってパネルがある。

 サーシェスは『鍵』を取り出すと、パネルの下部の鍵穴に差してからマナを流した。


 すると、重々しい石が擦れるような音とともに扉が開き、まばゆい銀色の光が中から溢れ出る。

 エステルは眩しさに思わず目を細めた。

 中には膨大なマナが渦巻いていて、それがエステルの瞳には光として視えたのだ。


「いつ来ても地下とは思えない景色だ」


 サーシェスがつぶやいた。

 エステルはまばたきを繰り返して目を慣れさせる。すると、少しずつ扉の向こう側の様子が見えてきた。


 確かにそこに広がっていたのは、到底地下とは思えない光景だった。


 石畳の道が伸びた先は一段高くなっていて、乳白色の細かな彫刻が施された柱が周囲を取り囲んでいる。


 内部はまるで昼間のように明るく、通路の左右には白い花々が咲き乱れていてまるで庭園のようになっていた。

 鈴蘭、デイジー、百合、スノードロップ……名前の分からない花も含めて、季節感など関係なく様々な白い花が集められ、清楚に咲き誇っている。


「これは本物の花……? 照明の光があるとはいえこんな地下に……」


 手入れしている人などいなさそうなのに。

 そこに思い至ると、見事な花園が一種異様なものに見えてくる。


「失伝魔導技術で造られたものだからな。あまり深く考えない方がいい」


 サーシェスはそう言いながら手をこちらに差し出してきた。


「エスコートを受けて貰えるかな?」

「はい、光栄です」


 エステルはサーシェスの肘に手を添えると、最深部の中へと足を進めた。




 最深部の中央の一段高くなった場所には、巨大な魔導石が埋め込まれた石碑があり、それが内部に満ちる大きなマナの源になっていた。

 石碑の手前には祭壇が置かれていて、『神殿』と呼ばれているのも納得できるつくりだ。

 白い花園に囲まれたこの白い空間は、どこか神聖でおごそかな空気が満ちていた。


「ここでは様々な宮中祭祀が行われている。最も重要な儀式は、毎年の大晦おおつごもりに国王が自身の血液とマナをそこの『礎の石碑』に注ぐ儀式だ」


 サーシェスは祭壇の前に立つと、『鍵』を取り出し、何やら操作を始めた。


 祭壇にも鍵穴が付いており、『鍵』を差し込んでマナを流すとサーシェスの手元に平面的な映像が浮かび上がった。


 映像にはラ・テーヌ語と思われる古代文字が書かれており、サーシェスが触れると音もなく映像が変異する。

 通信魔導具の入出力装置コンソールパネルみたいだ。エステルは古代の失伝魔導技術に目を奪われた。




 ややあって、一通りの操作が終わったのか映像が消えた。

 続いてサーシェスは『鍵』に触れると体内のマナを流し始めた。膨大な量のマナが『鍵』を通して祭壇に吸い込まれていくのが視える。

 石碑に古代文字が浮かび上がり、銀色の光を帯びた。

 白い花園に囲まれた白い『神殿』が光に包まれる様子は神秘的で、エステルはその荘厳な光景に圧倒される。


 ――だからサーシェスの異変に気付くのが一拍遅れた。

 視界の端に崩れ落ちるサーシェスの姿が見えた。


「陛下!?」


 エステルは慌てて駆け寄った。サーシェスはその場に蹲ると激しく咳き込んでいる。


「大丈夫ですか? 通信魔導具を貸してください。すぐにアーク様に連絡を……」


 サーシェスは国王親衛隊ソブリンズガードと連絡を取るための通信魔導具を持っていたはずだ。エステルは上着を探ろうと手を伸ばした。しかし即座にサーシェスに制される。


「無駄だ。もう魔導具は使えない」


 そう告げるサーシェスの口元と袖口は赤いもので汚れている。また血を吐いたのだ。


 塔の独房から出て着替える暇なんてなかったから、何も持っていないのがもどかしい。清潔なハンカチが手元にあれば口元を拭ってあげられるのに。

 エステルにできたのはサーシェスの背中をさすってやる事だけだった。


「マナを使いすぎるとこうなるんだ。少し休めば治まる」


 サーシェスはその場に座り込むと、物憂げなため息をついた。


「すまないな、エステル嬢。地上の様子が気になるだろうにこちらに付き合わせて」

「私が上にいてもアーク様の足手まといになるだけですから」


 エステルは首を振るとサーシェスの背中をさすり続けた。

 アークレインとよく似た端正な容貌は、ひどくやつれて疲れ果てている。よく見ると髪にも白いものが随分と混ざっていて、サーシェスが重ねてきた苦労が感じられた。

 サーシェスは確か五十代前半のはずだ。

 ここ一ヶ月で急速に老けたように見えるので、実際のところかなり悪いのかもしれない。


「エステル嬢、この一件が終われば、君は将来的に王太子妃となる可能性が高い。未来の国の母として立つ覚悟はあるか?」


 ぽつりとサーシェスが小さな声で尋ねてきた。


「覚悟と言われると……正直なところ難しいです。ここ数日色々とありすぎて……」


 エステルはつかえながらサーシェスに答えた。


「アーク様に王太子に、という意識もなかったと思います。以前に直轄領のどこかを賜って地方領主になるのが第一希望だと仰っていましたから……命がいよいよ危なくなったら国外に逃げるつもりもされていたはずです」

「そうさせてしまったのは私のせいだな……」


 サーシェスは苦い表情でつぶやいた。


「どうして陛下はアーク様を守ってあげなかったのですか? 後継者としてお考えなんですよね? アーク様の命を狙う王妃陛下を傍に置き続けるのは何故ですか……?」


「私なりに守ろうとはしたのだよ。だがマールヴィック公爵の影響力を無視する事もできなくてね……必然的にやれる事は限られてしまった。王妃の件も同じだ」


 サーシェスは苦しげに息をつきながら回答した。


「色々な思惑と事情があって、結果的にこうなっている。……力のない王で本当にすまない」


 また咳き込んだ。エステルはサーシェスに謝罪する。


「申し訳ありません、お体がこんな状態なのに色々と聞いてしまって」


 サーシェスは首をわずかに横に振った。


「私に強要はできないが、どうかエステル嬢にはアークを隣で支えてやって欲しい。王太子妃の肩書きが重いのは理解しているが……」


 エステルはサーシェスの言葉に震えた。


 冷静に考えればアークレインは国王の第一子で第一王位継承者で、次の国王に一番近い存在なのに……王子妃になる覚悟はできていても、王太子妃と言われると尻込みする自分がいる事に気付いたのだ。


 王太子妃の先にあるのは王妃の地位だ。王の配偶者にして国の母。場合によっては今回のトルテリーゼのように幼少や病身の王を輔弼ほひつする立場にもなり得る存在である。


 あまりにも分不相応で恐ろしい。


 投獄されて追い詰められていたとはいえ、アークレインに出会った事を後悔した自分に務まるとはとても思えない。


「……親としてのエゴを君に押し付けてすまない」


 エステルの恐れを察したのか、サーシェスはそう告げると深く息をつき目を閉じた。エステルは何も答えられなくて、そんな自分に自己嫌悪した。

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