王妃の反逆 07

 サーシェスは自身の体調の事は伏せてアークレインに事情を説明した。

 エステルは複雑な目でサーシェスを見つめる。

 すると、その視線に気付いたのか、サーシェスは視線をこちらに向けてきた。

 その目は「余計な事は言うな」と言っているようだった。


 その後、一行は二手に別れる事になった。


 宮殿全体にマナの使用制限をかけるためには、宮殿地下の最深部にある古代ラ・テーヌ時代の遺構に向かい、そこで国王自身の手で『鍵』を使わなければいけないらしい。

 そちらにはサーシェスが出向く必要があるので、エステルはサーシェスに同行するよう頼まれた。


 アークレインは国王親衛隊ソブリンズガードの隊員たちと共に国王側の兵と合流する。

 そしてサーシェスがマナの使用制限をかけたのを確認してから、兵を率いて一気に王妃たちの元へ討って出るという計画だ。


 その場にいた全員が満場一致でエステルをサーシェスに同行させようとしたのは、きっと血腥ちなまぐさい場面を見せないためだ。


 危険から遠ざけようとする彼らの姿勢に複雑な気持ちになったが、人を撃ったことも撃つ覚悟もないエステルが同行したところで足手まといになるだけである。サーシェスの体調も心配だったので素直に従うことにした。


「アーク、これを持って行け」


 サーシェスは聖剣カレドヴルフをアークレインに手渡した。


「過去の記録によるとマナの使用制限がかかってもこいつだけはマナブレードとして使えるらしい。威力はかなり落ちるそうだが」

「よろしいのですか?」

「マナが最盛期にあるお前の方が使いこなせるはずだ。……それに、お前がこれを持つ事で無駄な血が流れずに済むかもしれない」


 この局面でサーシェスが王権の象徴レガリアをアークレインに預けるという事は、次代の王太子はアークレインだと発表するのに等しい。


「重いですね」

「その覚悟がなかったとは言わせない」


 アークレインは小さく息をつくとカレドヴルフを受け取った。


 その姿を目にしたエステルは急に恐ろしくなった。

 アークレインが立太子されれば必然的にエステルは未来の王太子妃となる。

 その先に待っているのはこの国の母、王妃の地位だ。

 あまりにも重く、分不相応な肩書がのしかかる可能性に気付き、ぞくりと寒気がした。




   ◆ ◆ ◆




 ロイヤル・カレッジの寮から宮殿に呼び戻されたリーディスにとって、父と兄が同時に倒れたという一報は青天の霹靂だった。


 そのため母、トルテリーゼが摂政として一時的に立つ事になったという説明を聞き、第一に浮かんだ考えは祖父の何らかの関与だった。


 牛肉が原因の食中毒だと聞いたが、取ってつけたような理由にしか思えなかった。

 脳裏に浮かんだのは、狩猟大会の日、竜を相手に異能を使って血を吐いた父の姿だ。


 あの時既にどこかが悪かったのではないだろうか。

 だから祖父と母は暴挙に出たのではないか。そんな嫌な想像をしながら獅子宮に向かうと、正規の職員の他に何故か見覚えのない服装の兵士がうろついていて、物々しい雰囲気が漂っていた。


「この兵は……」

「マールヴィック公爵家の私兵ですよ。王妃陛下の身辺警護の為に駆け付けたそうです」


 答えたのは同行しているリーディス付きの侍従だ。


 出迎えに出てきた女官に通された応接室では、トルテリーゼ王妃とマールヴィック公爵が待っていた。

 マールヴィック公爵の後ろには、叔父のシルヴィオも控えている。


「この度は大変な事になりましたが、殿下にはこの私も王妃陛下も付いておりますからね。精一杯支えますから何も心配しなくてよろしいのですよ」

「そうよリーディス、陛下がこのまま……という事になっても成人までは私が輔弼ほひついたしますからね」


 祖父と母が口々に話しかけてきたが、辛そうな表情は仮面で、その下では笑っているような気がして吐き気がした。


 サーシェスの体調が思わしくなかったとしたら、リーディスが成人しておらず、継承順位変更の法案も宙に浮いている今、王位に一番近いのはアークレインだ。


 二人揃って消す為に食中毒をでっち上げたのではないか――。

 一度疑ったらもうだめだった。この疑惑が頭から離れない。


「父上の容態は……?」

「残念ながら良いとは言えないわね」


 はっきりと明言したトルテリーゼの言葉はショックだった。


「父上に会わせて下さい」

「……そうね。行きましょうか」


 会わせてはくれるようだ。リーディスは立ち上がったトルテリーゼに従った。




   ◆ ◆ ◆




「兄上とエステル嬢はいかがされているのでしょうか」


 サーシェスが療養する寝室に向かう道すがら、リーディスは隣を歩くトルテリーゼに尋ねた。


「残念ながら二人とも寝込んでいるそうよ。私は天秤宮の職員たちには警戒されていて会わせて貰えないから、どんな状態なのかはわからない」


 これまでの母と兄の関係を考えれば当然だ。リーディスは内心で肩を落とす。


「ねえリーディス、もし陛下とアークレインがこのまま――」

「やめてください」


 リーディスはトルテリーゼの言葉を遮った。

 父と兄がいなくなれば自動的に王位はリーディスのものになるけれど、そんな事は考えたくもなかった。




 国王の容態は国家機密だ。寝室の中にはリーディスとトルテリーゼだけが入る事を許された。


 ベッドの中のサーシェスは青白い顔で眠っていた。

 胸がわずかに上下しているから生きているのだとはわかる。しかし、病みやつれて随分と老け込んで見えた。

 腕にはたくさんの管が繋がれていて痛々しい。


「意識がお戻りにならないの。侍医からはもしかしたら……と言われているわ」


(父上……)


 一年半前に倒れた事、竜と対峙した時に吐血した事、ミリアリア前王妃や前ロージェル侯爵に付きまとう暗殺説、そんなものが頭の中を駆け巡る。


「本当に食中毒ですか?」

「……どういう意味かしら」

のではありませんか? 兄上と父上を同時に消して僕を王にするために」


 思い切って尋ねたリーディスに返ってきたのは、トルテリーゼの穏やかな微笑みだった。


「だったらどうするの? あなたは私を軽蔑する?」


 美しく微笑んだ母の姿に寒気がした。


「何を仰っているのですか、母上……」

「あなたも自分が王に相応しいと思っていたでしょう? お祖父様からずっとそう言われて育ってきたのですものね」

「それは……」


 これまでの自分の発言を思い返すと即座に否定はできなかった。だけど。


「だからといって、毒や謀略を使うのは間違っています……僕はそんな汚い玉座になんて座りたくない」

「随分と綺麗事を言うのね」


 くすくすとトルテリーゼは声を上げて笑った。


「玉座なんてそもそも血にまみれているものよ。例えどんな平和な時でも無血の玉座など存在しない。だってどんな治世においても重罪人を死刑台に送り込むのは国王だもの」


 赤薔薇に例えられる美貌に艶やかな笑みを浮かべて、どこか詩をそらんじるようにトルテリーゼは告げる。


「罪人を処刑するのと、何の非もない兄上を陥れるのは違います!」

「あら、非ならあるわ。あなたより先に生まれたことよ」


 トルテリーゼはにこやかに毒を吐いた。


「兄上はまさかもう……」

「一応まだ生かしてはいるわ。だってすぐ死なれてはつまらないもの」


 リーディスは息を飲んだ。


「エステル嬢も巻き込んだんですか!?」

「仕方ないわ。騒がれたら困るでしょう?」

「……っ!」


 ただアークレインに見初められただけの女性も巻き込むなんて。


「父上には母上が何かしたんですか……? それともご病気で……?」

「さあ、どちらかしら」


 笑みを浮かべ続けるトルテリーゼの顔からは何も読み取れない。


「あなたが知る必要はないわ。後ろ暗いことは全部お母様が引き受けてあげる」


 背筋が冷えて肌が粟立った。目の前にいる母が得体の知れない生き物に見える。


「なんでこんな事に……」


 そんな王位なんていらない。だけど、直系王族が自分しかいなくなれば王位に就くしかない。


 王室が保有する古代遺物アーティファクトのうちいくつかは、直系王族以外を拒むと言われている。


 特に重要なのが宮殿の地下に眠る『礎の石碑』と呼ばれる古代遺物アーティファクトだ。この古代遺物アーティファクトは、大ローザリア島全体の水道機能や、宮殿を守る防御機能を司っている。


 王の不在は結果的に国民を苦しめる事になる。しかしリーディスが望んだのはこんな形での王位継承ではない。

 ――むしろ自分には王の資格はないとすら思っていた。祖父が狩猟大会の時にしたことはそれほどに罪深い。


「リーディスったら意外に肝が小さかったのね」


 慈母の笑みを浮かべ、トルテリーゼは震えるリーディスの頬に手を添えた。

 かと思ったら、ちくりと首に針で刺したような痛みが走る。


 くらりと目眩がした。


「はは、うえ……?」

「少しお休みなさい。眠っている間にお母様が全て良いようにしておいてあげる」


 トルテリーゼの中指にはまっている指輪に針が付いているのが見えた。

 何かの薬を使われたのだと察した時にはもう遅かった。視界が揺らぎ、意識が朦朧とする。


 ふらついた体が母の腕に抱きとめられた。

 その温もりを感じたのを最後にリーディスの意識は闇に沈んだ。

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