王妃の反逆 06

 アークレインはあらん限りの語彙を使って心の中でトルテリーゼを罵倒していた。


 普段なら決して口にする事のない汚い俗語スラングを交え、ひたすら政敵への罵詈雑言を思い浮かべる。

 真っ白な牢獄に閉じ込められて、そうでもしていなければ精神の均衡を保てそうもなかった。


 今のアークレインはマナの放出を防ぐ手枷と足枷をはめられ、がんじがらめの状態でこの白い牢獄に囚われている。

 壁も床も天井も白く塗られたこの部屋は、宮殿の地下に存在する《覚醒者》を閉じ込めるための牢獄だ。


 既に手枷と足枷で異能が使えないようにされているというのにご丁寧な事である。王族の《覚醒者》は化け物じみた力を持つからそれだけ警戒されているのだろう。


 それにしても悪趣味な牢獄だ。

 白いのは室内だけでなく、牢獄に入れられるにあたって着替えさせられた衣服も、手足を拘束する枷も白い。

 全てを白で埋めつくしているのは拷問を兼ねての処置に違いない。更にこの部屋からは一切の物音も排除されていた。


 これは感覚遮断を目的とした心理的拷問だ。色と音を徹底的に奪われた人間は精神を少しずつ侵されていくと言われている。


 この部屋の中では与えられる食べ物すら白いという徹底ぶりである。

 差し入れられるのはライスプディングやポリッジといった白く味気ない食べ物で、家畜扱いを受けている気分だった。


 罵倒に疲れると頭の中に浮かぶのはエステルの姿だ。

 彼女も同じ扱いを受けていたとしたら――。想像するだけで胸が張り裂けそうになる。


 アークレインが大人しく捕縛されたのはエステルが先に抑えられたからだ。捕縛されたのが天秤宮の側近だけなら恐らく抵抗して逃げた。


 常々そうする方向で側近たちとは話し合っていた。

 不穏な気配を感じた瞬間に全員が散り散りになって逃げる。間に合わなかった場合は知恵を絞って逃亡を目指し、結果的に命を失っても互いを恨まない。そう取り決めていた。


 しかしそこにエステルという存在が加わる事で計画が狂った。彼女が関わればアークレインは逆らえない。


 ――だから特別を作るのは嫌だったのだ。


 唯一の特別は弱点になる。だから万全の体制で守っていたつもりだった。


 天秤宮という鳥籠の中に閉じ込めておけば、それで安全だと思っていた自分はなんて愚かだったのだろう。

 しかし全ての外出を伴う公務に彼女を同行させるのは、例え結婚後であってもさすがに無理だ。自分の不安定な立場が情けなくて腹立たしい。


 まさか王妃がサーシェスを狙う暴挙に出るとは思わなかった。それも、自分が公務で宮殿を離れた時に。


 今日の公務は陸軍の式典への出席で、前もってアークレインが外出するというのは周知されていた。


 サーシェスを狙うタイミングも、こちらを捕縛するタイミングも今思えば周到だった。国王親衛隊ソブリンズガードに取り囲まれたのは、式典が終わり、同行していた補佐官のクラウスとも別れて宮殿に戻ろうとしていた時だった。


 王妃の権力はサーシェスの寵愛あってのものだ。だからサーシェスへの反逆は予想外だった。

 継承順位変更が成される前にサーシェスが倒れたら困るのは王妃の方――そう思い込んでいた自分の脇の甘さに反吐へどが出る。


 エステルがはぐれ竜討伐の第一功労者となって、こちらに向かって風が吹き始めたことが第二王子派を追い詰めてしまったのかもしれない。


 自分の死よりも発狂よりもただエステルの処遇が心配だった。

 また自分は守れなかったのだ。悔しさと不甲斐なさにアークレインは苛まれる。

 これはエステルを手放せなかった自分の罪だ。


 側近たちはどうしたのだろう。下手な抵抗をして怪我人が出ていなければいいのだが、エステルに関する取り決めをしていなかった事が悔やまれた。


 存在するだけで周囲に不幸を振りまく自分はまるで疫病神だ。

 ――生まれてこなければよかった。

 自分さえいなければそもそも王位継承にまつわる政争は起こらなかった。エステル、そして側近。関わった人間の人生を巻き込むこともなかった。


 せめてエステルだけは無事に、とは思うものの、自分のいない世界で幸せになる想像をして吐きそうになった。

 大切な人の幸福を祈ることもできない自分はなんて卑しくて汚いんだろう。




 鬱々と暗い考えに囚われ、深くて大きなため息をついたアークレインは、何かの物音が聞こえた気がして顔を上げた。


 色と音を奪われ、ついに幻聴が聞こえるようになったのだろうか。

 自嘲の笑みを浮かべながら顔を上げると、再び何かの音が聞こえた。


 どすん、ごとん。

 そんな感じの重い音だ。そして人の怒鳴る声らしきものも聞こえ、アークレインは聴覚に意識を集中させた。


 もしかして助けが来たのだろうか。いや、違った場合の落胆を考えたらまだ確信してはいけない。

 そんなアークレインの葛藤をよそに、ほどなくして白い部屋の出入り口が開いた。


「殿下! ご無事ですか!」


 バタバタと飛び込んできたのは目にも鮮やかな青の制服を身にまとった兵士――自分をここに捕らえたはずの国王親衛隊ソブリンズガードたちで、アークレインは呆気にとられた。




   ◆ ◆ ◆




「アーク様!」


 屈強な親衛隊員の後から飛び込んできたのはエステルで、アークレインには何が何だかわからなかった。

 しかしこちらに駆け寄ってくるエステルの姿は元気そうでひとまず安心する。


 抱きついてきた柔らかな体と甘い香りにくらりとすると同時に、囚われてから入浴していない事を思い出して居た堪れない気持ちになった。

 ああ、だけどこのぬくもりには抗えない。


「恋人同士の再会を邪魔して申し訳ないんだが、エステル嬢、少し退いて貰えないだろうか」


 水を差すように割り込んできたのはサーシェスで、アークレインは再び驚いた。


「父上!? 毒を盛られたはずでは……?」

「飲んだ振りをして捨てた。説明は後だ。枷を外すから手を出せ」


 その言葉にエステルは身を離した。

 手元から去っていく温もりが名残惜しくて、ついアークレインは恨みがましい目をサーシェスに向けてしまう。

 サーシェスは軽く肩をすくめると、腰に佩いた剣を抜いた。その外装にアークレインはギョッとする。


「カレドヴルフに見えるんですが」

「カレドヴルフだからな」


 さらりと告げるサーシェスに、エステルも驚愕の目を向けている。


 カレドヴルフ――王権の象徴レガリアの一つ、聖剣とも呼ばれる古代遺物アーティファクトである。

 海を裂き大地を割ると言われる極めて強力なマナブレードだ。


「何でそんなもの持ち出したんですか」

「後で必要になるからだ」


 短く告げると、サーシェスはカレドヴルフでアークレインを戒める手枷と足枷を切り離した。

 強靭な金属の鎖がまるでバターのように両断され、途端に体が軽くなった。


 試しにマナを放出し、断ち切られた鎖を動かせるか試してみる。使える。宙にふわりと鎖が浮いた。

 独房の室内全体にかかっていた異能の抑制効果も、サーシェスたちが乗り込んできたことで無効化されたらしい。


「後は自分でどうにかしなさい。下手にこいつで斬ったら手首ごと切り離しそうだ」


 サーシェスが笑えない事を言ってくる。

 アークレインは軽く息をつくと、手足に残る枷のつなぎ目に念動力を流し強引に破壊して外した。

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