王妃の反逆 04

「一体誰が陛下に毒を……」

「一連の流れを見るにトルテリーゼだろうな」


 そう告げるサーシェスの表情は静かだったが、マナからは内心の怒りが見て取れた。


「恐らくあれは私の妻であることよりもマールヴィック公爵の娘でありリーディスの母である事を選んだのだ」


 エステルはサーシェスに対して自業自得だと思った。

 外戚のマールヴィック公爵共々アークレインの命を狙い続けてきた王妃を傍に置き続けてきた罰が当たったのだ。


 王族の婚姻は簡単ではない。

 ローザリアの王妃には、王家の血統を維持する為に最低でも二人以上の子供を産むよう求められる。

 ミリアリア前王妃はアークレインしか子供を残さなかったから、サーシェスは前王妃の死後トルテリーゼを後妻として迎えなければいけなかった。


 サーシェスがトルテリーゼを寵愛してきたのは、王妃本人の魅力なのか、外戚や貴族間のパワーバランスを考慮した結果なのか……。

 まじまじとサーシェスを見つめると、苦笑いが返ってきた。


「そんなに衝撃的だっただろうか? エステル嬢の竜伐の功績もあって世論はアークレインに傾きつつある。そろそろ強硬策に出る頃だとは思っていた。だからそこを逆手に取って逆にはめてやる事にしたのだ」


「……今頃陛下がいらっしゃらなくなって獅子宮では大騒ぎになっているのでは?」


「まだしばらくは誤魔化せるはずだ。影武者ダブルを置いてきたからな」


 次にサーシェスが指で操作して拡大したのは、調度の質や内装から貴人の寝室とわかる部屋だった。

 その部屋の中央に置かれたベッドの中には、サーシェスによく似た面差しの男が眠っていた。


「凄く似てますね」

「《薔薇の影》の人間だ。薄気味悪く感じるくらい私そっくりに化ける」


 《薔薇の影》は国王親衛隊ソブリンズガードと同じく国王直属の諜報機関だ。

 『王冠を賭けた恋』で知られるギルフィス廃太子の事故死や、王室が関わる不可解な事件の影には彼らの暗躍があると囁かれている。


「もしかして、牢での私の扱いが良かったのは陛下が手を回して下さったからですか?」


「王妃の企てが成功したかのように思わせる為にも一旦エステル嬢には牢に入ってもらう必要があった。恐ろしい思いをさせて本当にすまなかった」


 そう告げるサーシェスの表情は申し訳なさそうだった。


「アークレインがいるのはここだ」


 また別の場所が拡大された。

 アルビオン宮殿の正門から十二の建物までの間は広大な庭になっており、その庭の中央には巨大な噴水がある。

 サーシェスが拡大したのは、その噴水の真下に位置する地下の空間だ。

 複雑に入り組んだ通路と小部屋がまるで迷路のようになっている。


(アーク様!)


 小部屋の一室にアークレインの姿を見付け、エステルは息を呑んだ。

 手と足に枷をはめられ、壁に寄りかかって座り込んでいる。その姿が痛々しくて、心の中に王妃に対する怒りが湧き上がった。


「ここは古代王国時代の遺構を利用して造られた《覚醒者》を閉じ込める為の特殊な牢だ。あらゆる異能を遮断する造りになっている」


 アークレインが閉じ込められている小部屋は、壁も床も天井も、全体が白い建材でできていた。それだけでなく、アークレインの衣服も、手枷足枷に至るまで全てが白で埋め尽くされている。


 拷問方法の一つに、白い部屋に閉じ込めるというものがあると聞いた事がある。真っ白で何も無い密室に閉じ込められると人は精神に異常をきたすらしい。

 それを思い出して、アークレインがますます心配になった。


「さて、次は囚われの王子の解放に向かうがエステル嬢はどうする? 天秤宮で待っていてくれても構わないが」

「お供させて頂けるのでしょうか? 私がご一緒しても足手まといではありませんか?」

「エステル嬢さえよければ付いてくるといい。君の顔を見ればきっとアークも安心する。あいつが素直に捕まったのは君や側近を人質にとられたからだ」


 エステルはその言葉にはっと気付いた。


「天秤宮の皆は大丈夫でしょうか?」


 色々と動転していたとはいえ、今の今まで忘れていた事が恥ずかしい。


「安心しなさい。天秤宮の制圧に向かった国王親衛隊ソブリンズガードは私の統制下にある部隊だ。王妃の指示に従っているように見せかけているだけなので何も手荒な真似はしていない。天秤宮の王室護衛官ロイヤルガードたちには、アークレイン救出後には戦力として合流してもらう予定だ」


 サーシェスの言葉にエステルは胸を撫で下ろした。




   ◆ ◆ ◆




 『鍵』をポケットに戻すと、サーシェスはエステルに付いてくるように目配せし、隠し通路の中を歩き始めた。エステルはその背中を追いかける。


 狭い階段をサーシェスの先導に従って降りながら、エステルは一つの疑惑を覚え眉を顰めた。


(……陛下のマナの量がかなり減ってる。どうして?)


 エステルがサーシェスと顔を合わせたのは、ほぼ一ヶ月前、例の狩猟大会の日以来だ。


 人間が体の中に持つマナは、成長と共に量が増えていき、二十代前半から三十代にかけてピークを迎えた後は、緩やかに減っていく。

 また、重い病気や怪我を負った際には、肉体の回復にマナが使われる為やはり目減りする。《覚醒者》が異能を一気に使った時も同様だ。


 エステルの異能は捉えていた。一ヶ月前にはアークレインやリーディスに次ぐ量を誇っていたサーシェスのマナが、一般的な貴族と大差ない量まで減っている。


(脱出するのに異能をたくさん使った……? いえ、それだけが理由とは思えない)


 サーシェスの後ろ姿には以前とは違う違和感があった。

 その違和感の正体を探るため、エステルは歩きながらじっくりと観察する。

 そして気付いた。首や手など、服から露出している部分の肌色が良くない。


 特に手が気になった。血色が悪いだけでなく、指輪が食い込んで浮腫むくんでいるように見える。

 顔色は化粧で誤魔化しているとしたら――。


 突然毒殺という強硬手段に出た王妃。

 一年半前に倒れてからこちら、ずっと健康状態に関する噂が囁かれてきた国王。

 狩猟大会の時も、異能を使った事で血を吐いた。


 もし今サーシェスが病で倒れたら、立太子の儀式とは関わりなく、アークレインの元に王権が転がり込むことになる。

 アークレインは第一王位継承者たる王子にして成年王族だ。また、摂政の就任順位においても第一位は彼である。


 一度アークレインが王権を握ったら、いかにマールヴィック公爵が政界に大きな影響力を持っていたとしても手出しするのは難しくなる。


 全ての符号がかちりとはまった気がした。


「……陛下、いつからですか?」

「は……?」

「お加減が良くないですよね? それはいつからですかとお聞きしています」


 あえて断定的な口調で尋ねたのは、はぐらかされると思ったからだ。


「私はいたって健康だが……?」

「嘘です。国王陛下のお体が良くないから王妃陛下もこんな暴挙に出たのではありませんか?」

「何を根拠に嘘だと決めつけるのだ」


 不機嫌そうな声とマナに怯みそうになるが、引き下がってはいけないと思った。


「顔に比べると手や首の肌色が悪すぎます。それに手が酷く浮腫むくんで指輪が食いこんでいらっしゃいます。顔は白粉おしろいや頬紅で誤魔化されているのではありませんか……?」

「…………」


 サーシェスはぴたりと足を止めると沈黙した。


「……狙撃手ならではの観察眼というやつか。私も詰めが甘かったな」


 ため息をつきながらサーシェスはこちらを振り返った。

 認めた。やはり体のどこかが悪かったのだ。


「……竜が襲ってきた時に無理に異能を使ったのが良くなかった。今すぐどうこうということでは無いのだが、正直なるべく早く譲位したい所ではある」


「その譲位先はアークレイン殿下ですか……?」


「まだリーディスは幼すぎる。戦時中、異能の強さを理由に継承順位を変更した前例はあるが現在は平時だ。特例を適用する時勢ではない」


 サーシェスは苦い表情でつぶやいた。


「アークにもエステル嬢にも余計な心労をかけて本当に申し訳ない。全ては私が不甲斐ないせいだ。ミリアリアを失ってからトルテリーゼを拒めず、またマールヴィック公爵を蔑ろにする事もできず……宮殿に入り込む暗殺者の駆除も完全には難しく……アークが今まで生き延びてきたのはあの子自身の才覚によるものだ」


 一応手を回してアークレインを守ってはいたのだ。

 父としての顔を見せるサーシェスを、エステルは意外な思いで見つめた。


 直系王族に生まれた子供は七歳になると親元を離れ、宮を一つ与えられて側近に囲まれて生活をする。

 ミリアリア前王妃の死後ほどなくしてトルテリーゼ王妃が後妻として宮殿に入ったという事情もあるし、アークレインとサーシェスの親子関係にはかなりの距離があった事は想像にかたくない。


「いくら法を曲げたくないと伝えてもマールヴィック公爵が理解しようとしないのは、王位を奪われたという意識があるからだろうな」


「先王陛下とマールヴィック公爵が双子だったからですか? でも、双子と言えどもどちらが兄になるのかはお母様から生まれた順番だから……」


「帝王切開だったんだ」


 エステルはサーシェスが発した言葉に目を見張った。


「腹裂き児と呼ばれるのを避けるため秘匿されているが、父上と叔父上は自然分娩ではなかった。……人の手が入って自分が弟と決められた事への叔父上の憤りはそれはもう凄まじいものだったそうだ。あの人の王位への執着は既に妄執の域に達している」


 また王家の秘密を聞いてしまい、エステルは心の中で頭を抱えた。

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