王妃の反逆 03

 自分は結構図太いのかもしれない。

 空腹で目覚めたエステルは、自嘲の笑みを浮かべた。


 時計がないから正確な時刻はわからないけれど、窓からは白み始めた空が見えるからたぶん明け方だ。

 結局何も口にせずに眠ったからひどくお腹が空いている。


 簡素なベッドから体を起こすと、机の上に置きっぱなしになっている食事が視界に入ってきた。

 毒がやっぱり気になったが、人間飲まず食わずでいられるのは三日が限度だったはずだ。


 特に水が重要で、水分のみ確保できる環境下だとその猶予は一週間に伸びると聞いた事がある。

 このまま何も口にしなかった場合、待っているのは餓死するか脱水で死ぬかだ。

 エステルは意を決すると、パンに手を伸ばした。


 まずい。

 放置されたパンは、乾いて固くなっており、林檎のコンポートに浸してみても完食できる代物ではなかった。かといって時間が経ちすぎて冷めたスープに手を付ける気にもなれず、エステルはため息をつくとパンをトレイに戻す。


 食事を準備してくれた人には申し訳ないことをしてしまった。

 とりあえず今のところ体に異変はない。

 空腹に抗議するお腹を押さえながらエステルはベッドに戻った。

 眠れる気はしなかったけれど、他にやる事もないので横たわって目を閉じる。


 一人で眠るなんて随分と久しぶりで、アークレインの体温が恋しかった。




   ◆ ◆ ◆




 独房で二日間過ごしてわかったことは、食事は一日に三回、決まった時間に支給されて、その都度暇つぶしの為の本やら新聞やらがついてくるという事だ。


 時計はないが、近くにあるメサイア教の寺院の鐘がよく聞こえるので、今が何時なのかはなんとなくはわかる。


 見回りや食事を持ってくる女は交代制になっているらしく定期的に替わるのだが、何も話してはいけないと言い付けられているらしく、外の情報は何も引き出せなかった。


 食事は適温で提供され味も悪くない。質素で品数も少ないが、肉と野菜がバランスよく調理されていた。

 今のところ妙なものも盛られていないから、王妃の意図が不気味である。


 この二日間、新聞は摂政となった王妃の動向を大きく取り上げていた。国王とアークレインは予断を許さない状態と書かれていて、少しずつ嫌な予感が現実味を帯びてくる。


 せっかく本を差し入れてもらってもちっとも頭に入ってこない。

 自分、アークレイン、兄、側近――身近な人々の今後についてぐるぐると考えながら新聞記事を何度も繰り返し読んでため息をつく。その繰り返しだ。


 死刑執行を待つ囚人はこんな気持ちなのだろうか。

 こんな生活が何日も続けば精神をやられそうだ。どんな形になるにしろ、早く今後の処遇を教えて欲しかった。


 アークレインに出会わなければよかった。こんな異能なければよかった。アークレインがエステルを婚約者にしたのはこの異能のせいだ。

 こんな事を考えてしまう自分が嫌で嫌でたまらない。


(私はアーク様の婚約者なのに)


 第一印象は正直良くはなかった。穏やかで優しい王子様の顔は仮面で、その下には狡猾で計算高い本性が隠れていたからだ。

 だけどやけに紳士的で優しくて、強引に婚約者として迎えたエステルを精一杯尊重しようとしてくれる姿勢に少しずつ絆されていった。


 最初は彼の腹黒さが嫌いだった。だけど少しずつその裏側に隠された根深い人間不信とか孤独に気付いて――。


 こうしている今も、アークレインを慕う気持ちが溢れてくる。

 彼は間違いなく世界で一番大切な人だ。

 信じられないことに、彼もまたエステルを好きになってくれた。だから婚約者として、未来の伴侶として支えて尽くしたいと思った。今でもそう思っている。


 だけど同時にエステルは世襲貴族の家に生まれた人間でもあるから、フローゼス伯爵家の事も同じくらいに気にかかってしまうのだ。


 物憂げな息をつきながら、エステルはもう何度も目を通した新聞記事にもう一度視線を落とした。

 エステルの異能が大きなマナが近付いてくるのを感知したのはその時だった。


(このマナの量は……)


 かなり大きい。高位貴族以上なのは間違いない。

 マナを感じたのは自分のいるこの独房の壁の向こう側だ。


 隣の独房に新たな囚人が来たのかと思い廊下をこっそりと覗くが、外は静まり返っている。

 エステルは疑問に思いつつも、マナの持ち主がいる辺りを凝視した。


 ズズ……という何かを引き摺るような音が聞こえ、ドア一枚分の壁が突然下にスライドした。

 そしてその向こう側から腰に剣を佩いたどこか物々しい姿の男性が現れる。

 エステルはその人物の顔にぎょっと目を剥いた。


「……元気そうでよかった。エステル嬢」


 そこに居たのはアークレインを三十歳ほど老けさせた容姿の壮年の男性――ローザリア国王、サーシェス・エゼルベルト・ローザリアだった。


「へ、陛下……!?」


 思わず声を上げたエステルに向かって、サーシェスはにっこりと微笑んだ。


「囚われの姫君を迎えに来たのが王子様ではなくこんなおじさんで申し訳ないが、事情は後できちんと説明するから、まずは一緒にここから脱出してもらえるだろうか?」


 そう告げると、サーシェスはエステルに手を差し伸べてくる。

 エステルは戸惑いながらもその手を取った。




   ◆ ◆ ◆




 スライドしたドアの向こう側は、人一人がようやく通れるくらいの広さの通路になっていた。

 石造りの通路の上部には魔導灯らしき明かりが付いていて、オレンジ色の光で通路を照らし出している。細い通路は螺旋状の階段になっていて、どこまでも下に伸びていた。


 中はカビ臭くて埃っぽい。

 サーシェスに続いて足を踏み入れると、顔に蜘蛛の糸と思われるものが引っかかってエステルは顔をしかめた。


「これは隠し通路ですか?」

「アルビオン塔もまた古代ラ・テーヌ王国時代の遺構でね。宮殿と同じでこの手の抜け道や隠し通路があちこちに張り巡らされている」


 サーシェスは答えながら、通路側に埋め込まれていたパネル状のものにマナを流した。

 すると、壁が開いた時と同じ音がしてスライドした壁が元に戻っていく。


「すごいですね。壁が通路になるようには見えませんでした」


 独房の内部から見た限り、壁に継ぎ目の類はなかったはずだ。


「古代王国時代の失伝魔導技術の遺産だ。使い方はわかっても同じものは作れない。技術が発展しても当時の水準に至るまではこの後一体何年かかることか……」


 サーシェスはそう告げると軽く肩をすくめた。


「さて、誰かに気付かれる前に移動しなくては。着いてきなさい」

「どこへ向かうのですか?」


 エステルはサーシェスのエスコートを受けて歩きながら尋ねた。


「ひとまず宮殿へ。この抜け道は首都内の様々な場所に通じているけれど、迷宮にもなっているから絶対に私の側を離れないように」


 そう言われると少し怖くなる。


「陛下は通路の全てを記憶されているんですか?」

「ああ……王に即位するとここに刻み込まれるんだ」


 サーシェスは自分の頭を指差した。

 意味がよく分からずエステルは首を傾げる。


「即位式を行うと、頭上に戴く王冠によって、この頭の中にラ・テーヌ時代の遺構の知識が流れてきて刻み込まれるようになっているんだ」


 王冠、鍵、羽根筆クイル、聖剣――王権の象徴レガリアとして代々の国王に受け継がれてきた戴冠宝器は、そのそれぞれが極めて強力な古代遺物アーティファクトとしても有名でる。


「……そのような事を私に教えてもよろしいのでしょうか?」

「エステル嬢はあと数ヶ月で王室の一員になるんだ。遅かれ早かれ知る事になる」


 そう言うとサーシェスはエステルに向かって微笑みかけてきた。


(認めて下さっている)


 初めは反対されたのに。

 何がサーシェスを変えたのだろう。はぐれ竜の一件だろうか。

 叙勲の話を聞いた時にサーシェスからの好意はなんとなく感じていたものの、実際に目にすると違う。

 大切な人の家族に認められた喜びが湧き上がると同時に、アークレインの所在がわかっていない事を思い出した。


「あの……アーク様はご無事でしょうか? もしご存知でしたら教えてください」

「アークは宮殿の地下牢だ。見なさい」


 サーシェスは一旦足を止めると、フロックコートのポケットから手の平サイズの鍵を取り出した。鍵には大きな魔導石が埋め込まれており、精緻な細工が全体に施されていて、一目で古代遺物アーティファクトとわかる代物だった。


「まさかそれは王権の象徴レガリアの『鍵』ですか……?」

「そうだ」


 答えながらサーシェスは鍵にマナを流した。

 すると、鍵から銀色の光が放たれ、光の中には白亜の美しい建造物群の立体的な映像が浮かび上がった。


 アルビオン宮殿だ。

 宮殿のよく出来た模型のような画像にエステルは思わず魅入られた。建物の壁は半透明になっており、室内の様子もうっすらと見えるようになっている。


 サーシェスはその中の一つ、獅子宮にあたる建物部分を右手の親指と人差し指で摘むようにしてから、その二本の指を広げるように動かした。

 すると、その地点が大きく拡大され、建物の中の様子が更によく見えるようになった。

 映し出されているのは建物だけではない。建物内にいる人の様子もよく見える。

 掃除をする下女、厨房で忙しく働く料理人達。


「すごい……『鍵』にはこんな機能があったんですね」


 一般的に『鍵』は、アルビオン宮殿の地下に眠る古代兵器を動かすためのものとして知られている。このように宮殿内を監視するような力まで持っているとは思わなかった。

 

「何でも見えるんですか?」

「宮殿の敷地内で私に把握出来ないことはない」


 以前、宮殿内で念動力を使えばサーシェスにすぐに伝わるとアークレインが言っていた。もしかしたらそれもこの『鍵』の機能なのかもしれない。


 背筋が冷えた。その気になればエステルが生活する様子を覗き見できるという事ではないか。


「……一応断っておくがこれを使うのは久々だ。誓って天秤宮の中を覗いたりはしておらんから妙な目を向けないように」


 もしかして表情に出ていただろうか。エステルは慌てて自分の頬に手をやった。


 そんなエステルに苦笑いしながらも、サーシェスは別の場所を拡大する。

 すると、トルテリーゼ王妃とマールヴィック公爵が何やら話し合っているところが大きく映し出された。王妃の後ろには、ロイヤル・カレッジから呼び出されたのかリーディスの姿もある。


「まだ悪巧みをしているようだな」


 サーシェスは王妃達に冷ややかな視線を向けた。


「陛下、一体今何が起こっているんですか? 突然天秤宮に国王親衛隊ソブリンズガードが乗り込んできてから何がなんやら……」


「摂政王妃の名のもとにアークレインとエステル嬢に対して逮捕状が出された事なら把握している。罪状は私の毒殺容疑だな?」


「はい。でも牢の中で読んだ新聞では、陛下はアーク様と一緒に食中毒で倒れた事になっていて……」


「食事に毒を盛られたのは事実だ。その食事は食べた振りをして捨てたが」


 エステルは驚きに硬直した。

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