王妃の反逆 02

 独房のドアには小さな扉がついており、食事はそこから差し入れられた。

 食事を持ってきたのも女性で、やはり背後に何らかの配慮が働いている事が感じ取れる。

 そしてエステルは、食事の載ったトレイと一緒に新聞が差し入れられた事に驚いた。


「どうして新聞が付いているのかしら」

「王妃陛下からのご配慮と聞いております」

「王妃陛下が……?」


 呆然とつぶやいたエステルは、立ち去ろうとする女を慌てて呼び止めた。


「待って! アークレイン殿下は今どうなっているの!?」

「余計な事は話してはならない決まりになっております」


 女は冷たく告げると去っていった。

 エステルは肩を落とすと手の中にある食事のトレイに視線を落とす。


 野菜が入った具沢山のスープに柔らかそうな白いパン、林檎のコンポートまでついている。

 スープとパンはまだ湯気を立てていて、思ったよりもずっとまともな食事である。

 しかし、不安と緊張で全く食欲が湧かない。


(今後の事を考えたら食べるべき? でも……)


 毒が入っているかもしれないという考えも頭に浮かび、どうしても手を伸ばす気分にはなれなかった。

 エステルはため息をつくと、食事は机の上に放置し、新聞を手に取るとベッドに戻った。


 差し入れられていた新聞は『アルビオン・タイムズ』。保守系の論調で知られる高級紙クオリティ・ペーパーだ。


 保守系ということは、第二王子派寄りの新聞とも言い換えられる。

 エステルは苦々しい思いが湧き上がるのを感じながらも記事に目を通した。


 ……一面から国王が倒れた事が大きく報じられている。

 だけど原因は食中毒とされていた。


 宮殿に納入された牛肉が原因と判明、陛下だけでなくアークレインも倒れ、二人とも政務を取れる状態ではない為、急遽王妃が摂政として国王の回復まで代理を務めることになった、と書かれている。


(隠蔽したんだ)


 エステルは察した。

 国王に毒が盛られただなんてあまりにも刺激的センセーショナルだし対外的にも外聞が悪い。

 だから食中毒ということにしたに違いない。記事によると、王妃は牛肉を苦手としていた為難を逃れた事になっている。


 原因が毒だと大々的に明かせば当然犯人探しが始まる。

 王妃やマールヴィック公爵がアークレインに罪をなすりつけたとしても、市民の疑惑は王妃にも向くだろう。


 国王が死ねば得をするのはアークレインだけど、実はアークレインを追い落とすために王妃が仕組んだのではないか――。


 大衆はこの手の陰謀論や無責任な推理が大好きだ。


 エステルは悔しさに歯噛みしながらも記事を読み進めた。

 気になっていた摂政法についての解説があった。



   ◆ ◆ ◆


摂政法第一条


国王が王位継承時に十八歳未満である場合には、十八歳に達するまでの間、摂政が国王の公務を国王の名で代行するものとする。



摂政法第二条


国王の妃又は夫君、大法官、貴族院議長、首席裁判官及び記録長官のうち三名以上の者が、国王の精神的又は身体的な故障のために当分の間国王は公務を行うことができないと医師の証明書等の根拠をもって判断し、その旨を文書で宣言するときは、国王の健康状態が回復してその公務復帰を担保できること、又は国王の公務遂行が可能になったことが文書で宣言されるまでの間、摂政が国王の公務を国王の名で代行するものとする。



摂政法第六条


摂政は、次の順序により成年に達した王族が就任する。

一、王太子または王太孫

二、王子

三、王妃

四、王太后

五、王女


   ◆ ◆ ◆




 だから王妃が摂政に就任したのだ。

 全てが王妃の企みとして……まんまと摂政の地位を手に入れた王妃は次にどうするつもりだろう。


 そこではたとエステルは気付いた。これはかなりまずい事態なのではないか、と――。


 食中毒で倒れた事を名目に、ひそかに捕縛したアークレインを亡き者にすれば、王位はいずれリーディスのものだ。


(王位の為とはいえ陛下に毒を盛るなんて……)


 国王夫妻は傍目にはとても仲睦まじく見えた。

 だから王妃が毒を盛ったというのが信じられない。


(……待って、本当に陛下は毒を盛られたの?)


 ふと思い出したのは、竜の襲撃を受け、異能を無理して使って血を吐いたサーシェスの姿だ。

 サーシェスは一年半ほど前にも病気で療養していて、それ以来健康不安説がひそかに噂されている。


 当時は肺炎と発表され、摂政を立てるのではなく公務負担をアークレインと王妃に分散させる方向で対応したため、そこまで深刻な病状ではなかったというのが大方の見方だったが、為政者の健康状態は往々にして伏せられるものである。


(普通に何かの病気で倒れて……それを毒を盛ったということにした可能性はない……?)


 自分でも飛躍していると思う。だけどそこに思い至った瞬間背筋が冷えた。


 何が正しい情報なのか、何を信じればいいのか、考えれば考えるほどわからなくなってきた。

 ただ一つ確かなのは、今自分が極めて危険な状況に置かれているということだ。


 人知れずアークレインが始末されたら次はきっとエステルの番だ。

 《覚醒者》のアークレインがそう易々と殺されるとは思いたくないけれど、最悪の想定と心の準備はしておかなければ。

 だけど怖い。死ぬかもしれない立場だと覚悟はしていたけれど、実際に命の危機に直面して初めて自分の考えが甘かった事に気付いた。


 ――嫌だ。まだ死にたくない。

 シリウスに、フローゼス伯爵領に影響が出たらどうしよう。


 アークレインの事が好きだと思う気持ちは確かにあるのに、出会わなければよかったという考えが頭の中をよぎる。

 自分がひどく汚い人間に思えた。


 エステルの中にはアークレインへの想いとは別に、家族や領地への愛情も同居していて、そちらに迷惑がかかるかもしれないのがどうしても耐えられない。


 じわりと涙が滲み視界が歪んだ。

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