王妃の反逆 01
どうしてこんな事になったんだろう。
アークレインと想いを伝え合い、幸せの絶頂にいたはずのエステルは、現在牢獄の中にいた。
ここはアルビオン塔。首都アルビオンの中心、アルビオン宮殿のほど近くにそびえ立つ、政治犯を収容するための牢獄である。
天秤宮で暮らしていたエステルが牢に身柄を移されたのは昨日の昼下がりで、ローザリア・クロス勲章の叙勲式を三日後に控え、自室で式典に着ていく予定のドレスを試着していた時だった。
公式の式典になるため、着用するのはローブ・モンタントと呼ばれる昼間用の礼装である。
エステルが選択したのは、天秤宮に入るにあたってアークレインから贈られたドレスのうち、オフホワイトの生地に金糸で薔薇の刺繍が施されたドレスだった。
「……全体的に少しキツいわ。やっぱり太ったわよね?」
ドレスが納品されてから三ヶ月程度しか経っていないので結構ショックである。
「確かに少しふくよかになりましたけど、胸が大きくなったのはきっと殿下のせいですよ」
「どうして殿下のせいなの?」
リアの言葉にきょとんと首を傾げると、意味深な笑みを向けられた。
「男の人に愛されると大きくなるらしいですよ。最近殿下とエステル様はとっても仲良しにされてますよね」
「!?」
エステルはかあっと頬を染めた。
「少しお直しした方が良さそうですね。このままでは動きにくそうです」
メイはいつも冷静だ。エステルは贅肉が確実に増えた事を思い知らされ肩を落とした。
外から騒ぎが聞こえて来たのはその時だった。
どうやらエステルの部屋の外に、無理矢理押し入ろうとしている不届き者がいるようで、部屋の外を警護する護衛官と押し問答になっているようだ。
「何事でしょうか? 見て参ります」
メイが部屋の外を見に行くと、深い青の軍服を着用した物々しい集団が室内に強引に侵入してきた。
目の冷めるような軍服のロイヤルブルーにエステルもリアもギョッと目を見開く。
王家の貴色、ロイヤルブルーは禁色、着用を許されるのは王族と、国王が特に許した者だけである。
つまり、彼らはそれにあたる特別な軍人という事だ。
(どうしてここに)
エステルの背中を嫌な汗が流れた。
◆ ◆ ◆
「フローゼス伯爵令嬢でいらっしゃいますか?」
声をかけてきたのは、侵入してきた
「……断りもなく淑女の部屋に押し入るような方々に名乗る名前はございません」
冷たく言い返しながらも内心は不安と緊張でいっぱいだった。
今日、アークレインはクラウスと一緒に公務で外出しており、夜までこちらには戻らない予定だ。つまり彼らの相手はエステルがするしかない。
「これは失礼を。しかし素直に名乗って頂いた方が身のためですよ。フローゼス伯爵令嬢には摂政王妃陛下より逮捕状が出ております」
摂政王妃陛下? 逮捕状?
男から飛び出した単語の羅列の意味がわからず、エステルは眉をひそめた。
「摂政……? 国王陛下が健在なのに……?」
摂政とは国王の国事行為の代行者で、十八歳未満の未成年が王になる場合や、国王が病気で長期療養が必要になった場合に設けられる役職である。
「陛下は昨日未明、何者かに毒を盛られ人事不省の状態に陥っていらっしゃいます。そのため摂政法に基づき王妃陛下、貴族院議長、首席裁判官の合意によって王妃陛下が摂政の任に就く事が決定されました」
国王が倒れたというのも驚きなら、アークレインを差し置いてトルテリーゼ王妃が摂政に就任したというのも驚きだった。
「恐れ入りますが摂政を立てる場合、王妃陛下よりも第一王位継承者であるアークレイン殿下の方が就任順位が高いのではないでしょうか?」
割り込んだのはメイだった。
摂政法の細かい規定は覚えていないが、第一王位継承者であるアークレインを押しのけて、国王の配偶者にすぎない王妃が就任するというのは明らかにおかしい。
眉をひそめるエステルをよそに、
「アークレイン殿下には国王陛下毒殺の嫌疑がかかっております。そしてフローゼス伯爵令嬢、あなたにもです」
「私が!?」
「エステル様がそのような事なさる訳がない!」
その場は騒然とした。
「我々は逮捕状を執行するのみです。釈明は後日裁判にてなさって下さい」
「そんな横暴な!」
「待って! 逆らってはだめよ!」
騒ぎ出した女官と護衛官たちを慌ててエステルは止めた。
「逮捕状が出ているのでしたらあなた方に従います。でもその前に着替えても構いませんか? アーク様に頂いたドレスを汚したくないの」
「……かしこまりました。我々は外で待機しておりますので、ゆめゆめ逃亡などお考えにはなりませんよう」
そして貴金属や銃など、牢には持ち込めそうにないものを一切合切女官たちに預け、手持ちの中で一番シンプルなブラウスとスカートに着替えた。
その後連れてこられたのが、この牢獄だったという訳である。
エステルの部屋には外に繋がる隠し通路があるらしく、そこからの逃亡も可能だと着替えを手伝ってくれたメイから言われたのだが断った。
仮に逃走に成功したとしても、残された職員はきっとただでは済まない。
下手に逃げるよりも、一旦は捕まって改めて身の潔白を主張した方がまだ周りに及ぶ被害は少ないと思ったのだ。
不幸中の幸いと言うべきか、エステルが収監された牢はそこまで劣悪な環境ではなかった。
板張りの床に白い壁紙が張られたシンプルな独房には、鉄格子付きとはいえ窓が付いていて、定期的に換気と清掃がされているらしく、全体的に古びてはいるが清潔だった。
床には絨毯が、天井には魔導灯が取り付けられており、室内には上半分がガラス張りになっているとはいえお手洗いもある。
ベッド、机に椅子、そして物入れ。簡素だが最低限の家具は備え付けられているし、寝具も真新しかった。
窓から外を覗くと、市街地の様子が良く見えて、アルビオン塔の中でも随分と高い位置にある事がわかる。そしてエステルは思い出した。
劣悪な環境で有名なアルビオン塔ではあるけれど、その最上階には王侯貴族の為の『特別室』が存在していると聞いた事がある。きっとここはその『特別室』だ。
出入口は無骨な金属製のドアで、ちょうど顔の位置に窓と鉄格子が付いていた。
定期的に見回りが巡回し、部屋を覗いていくのだが、今のところ顔を覗かせる見回り役は
牢に入る前、妙なものを持ち込んでいないかの身体検査があったのだが、その時の検査係も女性だったので、偽リアの事件の時に見た天秤宮の地下牢とは比べものにならない待遇である。
何故だろう。まだ容疑という段階で確定はしていないからだろうか。
エステルはベッドに座ると、上半身を倒して行儀悪くシーツに横たわった。
アークレインが国王陛下に毒を盛っただなんて、なんて酷い言いがかりなんだろう。
冤罪だとエステルは確信していた。
かつて王妃に盛られた毒で倒れた事のあるアークレインは、毒という存在を全般的に嫌悪している。
(陛下に毒を盛ったのは絶対にアーク様じゃない)
そもそもアークレインが外出中に
アークレインは《覚醒者》だ。王族の高いマナによって放たれる念動力で抵抗されたら、対抗できる人間はサーシェスが倒れている今はリーディスしかいない。
まず天秤宮を抑え、エステルや職員を人質に取った上でアークレインを拘束しに向かったに違いない。
決めつけは危険だとは思うものの、全ては第二王子派の企みとしか思えなかった。
現状、第一王位継承権を持つのはアークレインだから、サーシェスに何かあった場合、次の王位に就くのはアークレインになるはずだ。
王妃やその背後にいる第二王子派の妨害のせいで『王太子』の称号を名乗る事は許されていないが、継承順位変更の法案が通っていない現状では、玉座に一番近いのはアークレインである。
つまり、今サーシェスが亡くなったら一番得をするのはアークレインという事になる。
(得をする者が怪しいという強引な論理でアーク様を犯人にしようとしている……?)
そうだ。きっとそうに違いない。
何だか無性に腹が立ってきた。
サーシェスに毒を盛る機会が一番あるのは、どう考えても獅子宮で同居する王妃ではないか。
こちらに何も知らせず、密室の中で摂政を名乗り出したのも強引だし怪しすぎる。
――陰謀は時に強引で理不尽だ。エステルは妃教育の中で学び直している歴史の講義を思い返した。
ある公爵は教会に寄進した鐘楼に刻まれた文言に難癖をつけられ、大逆罪の汚名を被せられ処刑された。
ある王妃は国王の寵愛を失い、姦通と近親相姦の疑いをかけられ処刑された。その時の王は様々な理由で生涯に五人の妻を娶り、うち三人の妻を処刑したことから、ローザリアの歴史上最悪の暴君として名前を残している。
陰謀論が囁かれる歴史的事件は、家庭教師の講義の中では読み物として聴けるが、それがいざ自分に降りかかると笑えない。
アークレインの身の潔白が証明されればいいが、もしできなかった場合、その先に待ち受けているのは――。
絞首台を想像しぞっとした。
彼と想いを交わしたことは後悔していない。だけど、もし巻き添えを食らって処刑されたら、シリウスに大きな迷惑が掛かってしまう。
(アーク様の嘘つき)
危なくなったらその前に逃げるって言ったのに。
今彼はどうしているのだろう。外出先でやはりエステルと同じように
大人しく捕縛された? それとも逃げた?
逃走や抵抗していた場合、エステルの扱いはもっと酷いものになっていそうだから、大人しく捕まった可能性が高そうだ。
人間不信の傾向があるアークレインだが、懐に入れた人間は大切にする人だから、エステルや側近を人質に取られたらきっと抵抗はしないと思う。
突然だったとはいえ、彼の足を引っ張ってしまうかたちになった事が申し訳なかった。
やっぱり逃げるべきだったのだろうか。
(いえ、そんな事をしたらメイやリアがどんな目にあうか)
これからの自分のこと、側近のこと、婚約者や家族のこと――不安がいっぱいで押しつぶされそうだ。
エステルはぎゅっと目をつぶるとベッドに突っ伏した。
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