大使館にて 02

 エステルはアークレインにエスコートされ、休憩ができるようになっている別室へと移動した。護衛官達もついてくる為、自然と大人数での移動になる。


 見知った顔に出会ったのは舞踏室ボールルームの出入り口にたどり着いた時だった。


(オリヴィア嬢……)


 珊瑚色の髪に深い青の瞳を持つ、美貌の侯爵令嬢がそこにいた。焦げ茶の髪の実直そうな青年にエスコートされている。


 オリヴィアはこちらに気付くと青年と一緒に頭を下げた。

 今日の夜会の招待客は、ローザリアの政争には関与しないというフランシール政府の意向を反映してか、第一王子派と第二王子派のバランスがだいたい同等となるような顔ぶれになっている。


 婚約の噂が出ていた二人の久々の再会だけに、周囲の好奇の目が一気にこちらに向いた。


「……久し振りだね、オリヴィア嬢」


 この状況で素通りは難しい。アークレインが声をかけると、オリヴィアは正式な礼を取った。


「ローザリアの若き太陽、アークレイン殿下とエステル嬢にご挨拶申し上げます」


「オリヴィア嬢、お久し振りです」


 エステルからも声をかけると、オリヴィアは顔を上げてにこりと微笑んだ。そこに敵意は感じない。むしろマナをきらきらと輝かせた姿は本当に綺麗で、エステルは思わず目を奪われた。


「婚約の話が進んでいるとは聞いたけど、もしかして彼が?」


 アークレインが話しかけると、オリヴィアは優雅な笑みを浮かべたまま嬉しそうに頷いた。


「はい。まだお許しを待っている段階ですが」

「ルイス・エルミュートと申します。ローザリアの若き太陽、アークレイン殿下にお目にかかれて光栄です」


 青年が自己紹介をした。エルミュートと言えばフランシールでも有名なワインの生産地だ。地理が苦手なエステルにもルイスが誰なのかは何となくわかった。隣国の有力貴族、エルミュート伯爵家に縁のある人に違いない。


「母の遠縁なんです。両国の国王陛下の裁可が降り次第、フランシールに渡航致します」


 オリヴィアは、エステルに向かって補足するように教えてくれた。

 貴族間の婚姻には国王の許可が必要だ。外国の貴族と結婚する場合は、加えて双方の国家間の合意も取り付けなければいけない。


「殿下、エステル嬢、私、お二人に負けないくらい今幸せです」


 オリヴィアはルイスに寄り添うと幸せそうに微笑んだ。そこに負け惜しみも気負いもないのはマナの色合いから明らかだ。


「殿下がエステル嬢に巡り会ったからできたご縁だと考えると、人の未来は何がどう転ぶのかわからないものだと実感致しました」


 皮肉と捉えたのかアークレインのマナが陰った。

 違う。これはオリヴィアの本心からの言葉だ。


「お幸せなんですね、オリヴィア嬢」


 エステルは慌てて割り込んだ。するとぱあっとオリヴィアの表情が花が開くように明るくなる。


「おわかりになりますか?」


 オリヴィアはうっとりとした眼差しをルイスに向けた。

 アークレインはそれを見て、ぽかんと呆気に取られた表情をする。


「殿下もどうぞエステル嬢とお幸せに。あ、できれば国王陛下に早くご裁可頂けるよう伝えてくださると嬉しいです」


 にこにことした表情でそう告げると、オリヴィアはルイスと去って行った。




   ◆ ◆ ◆




 気を取り直して別室に移動すると、こちらにもそこそこの人がいて、様々な感情の乗った視線を感じた。

 アークレインはエステルをエスコートし、空いているソファへと連れていった。そして並んで腰掛ける。


 休憩のために設けられた部屋には軽食や飲み物が置かれているが、アークレインは晩餐の席でもない限り毒殺を警戒して何も口にしない。

 アークレインと婚約した事でエステルも巻き添えになっているのだが、そんな姿を見ると複雑だった。


「まさかオリヴィア嬢があんなにお花畑になるとはね……」


 ぽつりとアークレインがつぶやいた。どこか疲れたような表情に、エステルは吹き出しそうになった。


「お幸せそうで良かったです。ずっと気になっていたので」


 もしかしたらオリヴィアにとってはアークレインの隣に立つより幸せな未来がひらけたのかもしれない。

 ならば自分は、と考えかけて思考を止める。

 アークレインとの未来を考えると、甘くて苦くて切なくなる。

 ……いや、始まりは強引でも、結果的にアークレインを好きになれたのだから十分自分は幸せだ。


 親子ほど年の離れた男性に嫁いだり、身を持ち崩して娼婦に堕ちたり、不幸な女性の話なんてあちこちに溢れている。


 アークレインは眉目秀麗で清潔感があり、地位と財産の両方を兼ね備えた青年だ。少々性格に問題はあるが暴力や賭事などの問題行動がある訳ではない。むしろ優しくて紳士的なのだから、片思いが辛いなんて考えるのは贅沢にもほどがある。


「体の調子は大丈夫?」

「少し休めばまた踊れると思います」


 ほら、やっぱり優しい。

 気遣ってくれる事が嬉しくて、アークレインに微笑みかけた時だった。


「ほら……あの方が竜伐の……」

「まあ、勇ましい名声とは違って大人しそうな女性なのね」


 そんなひそひそ声が聞こえてきた。


「北の方というのは女性でも射撃を習うのですって」

「まあ、こちらでは考えられない事だわ」

「ほら、北の方は勇猛だと言うから。古代ラ・テーヌの時代には女性も弓を取って戦ったとか」


 エステルは声の聞こえる方にさりげなく視線を向けた。

 四十代くらいのご婦人が二人、マナを陰らせながら楽しげに談笑している。


 こちらに聞こえるギリギリの声量で陰口にならない言葉を選んではいるが、エステルを嘲笑っているのは表情や声色からも明らかだ。


 意地の悪い貴婦人達は言葉選びがとても上手い。一見すると悪く言っているように聞こえない言葉を使うのは、アークレインが傍にいるからだろう。

 第二王子派にその地位を脅かされているとは言え、アークレインはこの国の第一王子で国王に準じる立場の人間だ。その婚約者であるエステルを、正面から堂々と攻撃すれば手痛いしっぺ返しを食らう可能性がある。


 隣から不穏なマナを感じた。

 アークレインの顔から表情が消えている。


「私なら大丈夫ですからそんな顔なさらないでください」


 エステルはアークレインに微笑みかけた。


「第二王子派だ。女の片方は狩猟大会にも出てた」


 恩知らずな、と吐き捨てるアークレインに向かってエステルは首を振る。


「あの人達の目的はこちらの精神をすり減らす事です。聞こえない振りが一番ですよ」


 エステルは笑みを崩さないよう心がける。


「エステルは意外に図太い」

「失礼ですね」

「ごめん、褒め言葉のつもりだった」


 エステルは息をつくと、意を決してアークレインの肩に頭をこつんとぶつけた。


「エステル……?」

「あんな陰口に反応するよりも演技をして頂けませんか?」

「演技?」

「お互いに夢中であんな内緒話なんて聞こえないっていう振りをするんです。あの手の人達には無関心が一番効くと思います」

「確かにそうかもしれない」


 アークレインの表情が和らいだかと思ったら、肩を引き寄せられた。そのまま素直に身を任せると、いつものアークレインの香りがした。

 額に唇が落ちてくる。こんな風に人前で引っ付くのは初めてだから少し恥ずかしい。


 陰口への対処として演技をして欲しいなんて口実だ。単にこうして欲しくなったからこんなはしたないお願いをした。

 気にしない。味方はいる。そう言い聞かせても悪意を向けられて傷付かない訳じゃない。だけどアークレインに甘えるように身を寄せたら、ささくれだった心が癒される気がした。

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