竜伐の英雄 03
サーシェスは公務を休んでいる。真正面から面会を申し込んでも断られる可能性があるのでアークレインは『裏口』を使うことにした。
通信魔導具を使い約束を取り付けたアークレインは、自分の部屋から獅子宮へと通じる隠し通路を開いた。すると嫌な記憶が頭の中をよぎる。
エルダーフラワーの香りも強い酒が苦手なのもトルテリーゼ王妃のせいだ。むせ返るような甘い香りも喉を焼く感触も『あの日』の洗剤入りのフレーバーティーを連想させる。
今回向かうのは父の寝室だから、なるべく別のルートを通るように心がけた。かび臭く薄暗い通路を抜け、目的地にたどり着くと、消毒液と薬品の入り混じった病院の中のような匂いがした。
「よく来たな、アーク」
サーシェスはベッドの上で書類の束に向き合っているところだった。
腕には点滴の管が繋がっているが、顔の血色は良くて元気そうだった。
「お加減はいかがですか、父上」
「もう普通に動ける。侍医が大袈裟にしただけだ」
「ならさっさと復帰して下さい。これ以上肩代わりする公務を増やされるのは困ります」
「いずれお前が全部やる事になるんだ。予行演習と思って頑張るんだな」
――いずれ。
少しずつサーシェスによって外堀が埋められているが、そう簡単に王妃やマールヴィック公爵がアークレインの立太子を認めるだろうか。
「玉座はそんなにもお前にとって重荷か?」
「……重いに決まってるじゃないですか。何の憂いもなかったとしても、そう簡単に背負えるものではありません」
法が定める第一王位継承者は自分。リーディスや王妃の存在がなかったらと仮定しても一国を背負うという事は恐ろしい。
平和であればそれなりにうまくやれるとは思う。しかし戦争や内乱など国を揺るがすような事態が起こったら?
重要な決断を下す局面で間違えない自信はアークレインにはない。
「第一王子はお前なんだからいい加減覚悟を決めよ。何の為にエステル嬢を飛竜討伐の第一功労者にしたと思っておる」
「こちらの了解も取らずに勝手な事をされては困ります」
「相談すればお前は反対するではないか」
「当たり前です! どこの世界の女性が『
白々しい態度のサーシェスに腹を立て、アークレインは強い語調で言い返した。
「未来の
サーシェスの口から飛び出した義娘という単語にアークレインは虚を衝かれた。
「……父上がエステルを義娘として認めているとは知りませんでした」
「一番最初に反対したのは、北部貴族の娘では中央における基盤が弱いからだ。知識や教養面は少し心もとないが、地頭は悪くないし度胸もある。……何よりお前の心を捉えたのなら認めるしかなかろう」
「……そうですか」
何故だろう。父にエステルを認められて喜ぶべきなのに心がもやもやする。仕方がないから認めてやる、という言い草が気に触るのだろうか。それとも……
「――で、どうなのだ。怒っていたか……?」
(しつこいな)
自分の気持ちの分析を中断し、アークレインは心の中で舌打ちすると、父の質問に答える。
「怒ってはいませんでした。どちらかと言うと恐縮していて……リーディスが第一功労者ではないのかとあいつの気持ちを配慮し恐れていました」
「とどめを刺した者が第一功だ。リーディスもわかっているだろう。フローゼス伯爵令嬢がいなかったらどれだけの被害が出ていたか」
「しかし勇猛なイメージを伴う名声ですから喜んでもいませんでした。女性には決して嬉しいものではないだろうに……私の為になるなら受け入れると」
「そうか。ならば近いうちに叙勲式典の日程を組まねばな」
サーシェスは満足気な笑みを浮かべた。
「父上、今後はエステルに関わる事はこちらを通すとお約束下さい」
「随分と過保護だ」
くつくつと笑われ殺意が湧く。睨み付けると生温い目を向けられた。
「知っているか? 王家に生まれた人間は、たった一人を見つけたら一途にその人物だけを愛し続ける者が多い。ギルフィス公のように」
「何が仰りたいのかわかりかねますが、父上はその例外という事でしょうか」
サーシェスとミリアリア前王妃は政略結婚とは思えないくらい仲睦まじい夫婦だったらしい。
ミリアリアが亡くなった時アークレインはまだ幼かったから記憶がおぼろげだが、世間一般の普通の親子のように三人であちこちに行った覚えがある。
しかし今のサーシェスはその寵愛をトルテリーゼ王妃へと向けていて、まるでミリアリアの存在など無かったかのような態度を取っている。
この寝室にも獅子宮の中にも、かつてはそこかしこにあったミリアリアの気配が一切残っていないのがその証拠だ。
アークレインの皮肉にサーシェスは答えない。押し黙って目を逸らすだけだ。苦々しいものが込み上げてきた。
父の唯一はミリアリアではなくトルテリーゼだった、そういう事なのだろう。
「……もう下がれ。それともまだ聞きたいことがあるのか?」
「いえ……失礼致します」
アークレインが一礼すると、サーシェスはどこか疲れた表情で目を閉じた。
◆ ◆ ◆
(覚悟を決めろ、か……)
天秤宮へと至るかび臭い隠し通路の中で、アークレインは戴冠宝器を身に着けた自分とエステルの姿を夢想する。
戴冠式において王は、王冠、鍵、
王の隣に立つ王妃もまた、ロイヤルブルーのマントをまとい、王妃に代々伝承されてきたサファイアの宝飾品を身につける。ティアラ、ネックレス、そしてイヤリング。その三点の宝飾品は、クイーン・ブルーと呼ばれている。
穏やかで控えめで、自分の分をわきまえたエステルは、きっといい王妃になる。
知識、教養、どちらも足りないと陰口を叩く者は出てくるだろうが、王妃の最も重要な役割は王を癒し支えながら後継者を産み育てる事だ。社交界ではただアークレインの隣で微笑んでいればいい。
だけど、エステルの望みは地方領主の夫人になる事だ。王子妃ですら嫌がっていたのだ。国の母になれと言われたら萎縮するに決まっている。
アークレインは深いため息をついた。
様々な計算と思惑のもと、異能を目当てに彼女を強引にこの世界に引き込んでしまった。そんな自分が酷く薄汚い人間に思えたのだ。こんな自分が触れたらエステルまで汚してしまう。
――汚してしまえ。
自分の中の悪魔が囁く。
既に彼女はアークレインの婚約者、言わば運命共同体になったのだ。自分の中の汚いものを全てぶちまけて純白の彼女を黒く染め、同じ場所へと堕ちていきたい。
その一方で、これ以上彼女に
……いや、解放はできない。それだけは絶対に。
アークレインは目を伏せ、自分の手の平を見つめるとそっと握り込んだ。
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