竜伐の英雄 02

 薬湯を準備する為にリアも出て行き、エステルは一人部屋に取り残された。

 その直後である。部屋の外からアークレインとクラウスが言い争うような声が聞こえてきた。


 日々の訓練の成果か、エステルのマナの感知範囲はアークレインとの婚約前に比べると少し広くなっている。扉の向こうを『視る』と、アークレインのマナが酷く陰っていた。


 どうやらアークレインとクラウスは扉のすぐ側で話し込んでいるらしい。二人の位置関係はマナの量ですぐわかる。クラウスのマナもアークレインほどではないが昏いので、外で行われているのは愉快な話ではなさそうだ。


 何故か無性に気になった。盗み聞きなんてはしたないと思うのに衝動が抑えられない。エステルはそっとベッドから降り立つと、ルームシューズを引っ掛けてドアへと近付いた。


 背中からお尻にかけてきしむような痛みが走るので、歩みは自然と慎重なものになる。

 ふらつきながらもどうにかドアにたどりつくと、ガチャリと音がして部屋に戻ってこようとしたアークレインと出くわした。


「エステル! 寝てなきゃ駄目じゃないか!」


 間髪入れず叱られた。


「殿下。この件ですが陛下に抗議に行かれる前にエステル嬢にまずちゃんとお伝えすべきです」


 後方からクラウスの淡々とした声が聞こえてきた。かと思ったら、エステルはアークレインの腕の中に抱き込まれる。


「見るな」


 アークレインの言葉に、エステルは自分がナイトウェア一枚しか着ていない事を自覚し、かあっと頬を染めた。露出は控えめなものとはいえ、淑女が人前に出る格好ではない。

 クラウスが盛大なため息をつくのが聞こえてきた。


「見ていませんし興味もありませんから、さっさとこの記事についてエステル嬢に教えてあげてください」


 アークレインの肩越しに、クラウスがこちらから顔を背けながら新聞を差し出しているのが見えた。

 さりげなく失礼な事を言われた気がしたが、すぐに頭の中から消え去った。とんでもない見出しが目に入ってきたからだ。



 『竜伐の聖女エステル・フローゼス、首都近郊を襲ったはぐれ竜を討伐』



「アーク様、新聞記事に私の名前が書かれているように見えるのですが……」


 硬直しながら尋ねると、アークレインは舌打ちし、クラウスから新聞を引ったくってから勢い良くドアを閉めた。


「……どういうことなのかは今から話すから、とりあえずベッドに戻ろうか」


 そう促すアークレインの表情はどこか暗く沈んでいた。




   ◆ ◆ ◆




 結論から言うと、首都は今王室主催の狩猟大会がはぐれ竜の襲撃を受けた事で大変な騒ぎになっており、事態の収拾をはかるために国王の名前で様々な発表が出され――その中で、エステルの名前が飛竜討伐の一番の功労者として挙げられたらしい。


「それでこの記事ですか……」


 アークレインによって強制的にベッドに戻されたエステルは、新聞記事を前に頭痛を覚え、こめかみを揉みほぐした。


 記事をざっと読み、アークレインからの補足説明を受けている途中でリアが薬湯を持ってきたが、込み入った話の途中だったので下がらせた。

 エステルは、苦い薬湯を少しずつ飲み下しながら頭の中で教えてもらった情報を整理する。




 まず前提として、はぐれ竜の出現が古代遺物アーティファクトを用いた作為的なものだった事は隠蔽できず公表された。というのも、竜骨山脈からここに至るまで、飛竜が『餌』を漁った形跡が存在しなかったためだ。


 通常はぐれ竜が出たら、その進路上にある町や村で何らかの被害が出る。それが一切なかったというのはあまりにも不自然で、政府は竜を操る未知の古代遺物アーティファクトの存在を明かすしかなかった。


 問題はその古代遺物アーティファクトの出どころだ。これについては目下調査中とされているが、荷馬車の中でアークレインが推測したのと同じ事を皆考えたようで、国家転覆をはかる過激派の仕業だというのが大方の見方となっている。


 特に大衆紙タブロイドの記事は酷く、こぞって誰が企てたのかを推測し、ある事ない事根も葉もない噂も混じえて書き立てていた。いくつか挙げられた過激派とされる集団の中に、《世界の車輪ロータエ・ムンディ》の名も挙がっていたから、ディアナをそそのかした組織はそれなりに有名な秘密結社だったらしい。




 例の飛竜がもたらした被害は、馬二頭が死んだ他は重傷者二名に軽傷者が五名だった。

 重傷はリーディスとネヴィル、軽傷はエステルを含むアークレインの天幕の中にいた四名と、一番最初に飛竜に襲われた女性である。


 怪我人がアークレインの天幕に集中しているのは、飛竜の一撃を貰ったリーディスが突っ込んだせいだ。

 突っ込んだ先が別の場所だった場合、もっと酷い被害が出ていた事が予想されたため、アークレインは怒りながらも複雑そうな顔をしていた。


 一番の重傷者はリーディスだが、彼は自然回復力が極めて高い王族なので、治療期間はネヴィルの方が長くかかると思われる。ちなみにネヴィルは足と腰の骨を折っており、当分の間休職し治療に専念することになった。護衛官として復帰できるかどうかは現在のところ未定である。


 軽傷者の中では一番怪我が重いのはエステルで、他の人たちは程度の差はあれ打ち身や擦り傷程度で済んだのは不幸中の幸いだ。


 シエラはロージェル侯爵邸で静養中とはいえ元気に過ごしているらしく、ニールとメイは明日まで休ませて、明後日から仕事に復帰する事になっている。


 怪我人の中にサーシェスが入っていないのは意図的なものだ。

 サーシェスはリーディスを援護するために異能を使い血を吐いた。体調が悪いのに無理に念動力を使ったのが祟ったらしい。国王の健康不安説が取り沙汰されては困るため、サーシェスが吐血した事は伏せられ、心労のためという名目で獅子宮にて何日間か静養すると発表された。


「陛下のお加減は大丈夫なんでしょうか?」

「父上の体調については私もよくわからないんだ」

「前に長期療養された時は風邪から肺炎になったのが原因でしたよね?」


 確かその時にアークレインは士官学校を辞め、かなりの公務を肩代わりすることになったはずだ。


「肺炎は完治したはずなんだけどね。父上については後でこの記事の事で抗議しに行こうと思ってるから、その時ついでに様子を見てくるよ」


 アークレインはため息をつくと、憎々しげにクラウスに渡された新聞を睨んだ。


「こちらに一切の相談もなくよくもこんな勝手な発表を……」


 竜伐の聖女、竜殺し嬢、竜伐の女傑――

 新聞によって表現は違うものの、どの紙面も一律にエステルが飛竜を仕留めた事を大々的に取り上げていて、エステルは恥ずかしさに気が遠くなった。


「エステル、不快なら不快って言っていいし怒っていい」


 アークレインの表情はこちらを気遣うものだった。

 このローザリアで求められる理想の淑女とは、控えめで出しゃばらず、常に夫の半歩後ろを歩く良妻賢母である。

 そのため『竜を倒した』という勇ましいイメージは、マイナスに働く可能性が高いから心配してくれているのだろう。


「きっと社交界では色々言われるでしょうね」


 野蛮、蛮族の末裔、女のくせに出しゃばるなんて……陰口の内容もなんとなく予想できる。


 瞳に紫の要素が入る北部の人々が蛮族扱いされていたのは、古代ラ・テーヌ王国による大ローザリア島征服時代の話なのだが、北の人間を馬鹿にする時未だに蛮族と呼ぶ心無い人々がいるのは嘆かわしい話である。


「もし何か言われてもアーク様が守って下さいますよね? 私にはシエラ夫人もついていますし、シエラ夫人が後ろ盾になって下さっているからこちら側のご婦人達は味方になって下さると思うんです。だから別に怒っても不快になってもいないんですけど……恥ずかしくて居た堪れないです」


 エステルはアークレインに向かって眉を落とした。


「飛竜にとどめを刺したのは私かもしれませんが、リーディス殿下が異能で守って下さらなかったら銃を撃つ余裕なんてとても無かったので……」


 あそこでリーディスに守ってもらわなかったら、エステルは今頃奴の腹の中だ。


「第一功労者が私でいいんでしょうか? リーディス殿下ではないかと思うんですが……」


「リーディスのサーベルでは心臓を貫けなかった。心臓の位置が特定できず、中途半端な位置に傷を負わせた結果飛竜を狂乱バーサクさせてしまったと聞いている」


「恐らくそうでしょうね。でもリーディス殿下が悪い訳ではないです。飛竜の心臓を一撃で撃ち抜くのは元々竜伐に慣れた北の銃士でも難しいので……私の場合はたまたま異能で見えるから仕留められたんです」


 恐縮するエステルにアークレインは目を細めて微笑んだ。

 怒っていたせいで陰っていたマナがようやく和らぐ。


「その場にいた者の証言を総合的に判断した結果、父上が決めたんだ。だから第一功労者としての功績は有難く受け取っていいと思う。『竜伐の英雄ドラゴンスレイヤー』の称号は女性としてはあまり喜ばしいものではないかもしれないけど……」


「そうですね……勇ましい印象のある称号なので手放しに嬉しいとは思えないですが……この称号を私が受け取れば、それはアーク様にとっては良い方向に働きますよね?」


「……エステルもクラウスと同じ事を言う」


 複雑そうな顔をするアークレインにエステルは首を傾げた。


「そうなんですか? リーディス殿下には申し訳ないですけど、あの方の名前が大々的に出るよりも私の名前が挙がった方がいいに決まってますよね?」

「……そうだね」


 第一王子派の人間なら誰でも同じ事を言いそうだが、どうしてアークレインはこんな変な顔をするんだろう。エステルは本気でわからなくて頭を捻る。


「エステルが嫌がってないのならそれで良かった。公式発表された以上撤回はもうできない」

「それはそうでしょうね」


 国王の名前で発表されてしまったのだ。今更エステルが嫌だと言っても通らない。


「父上は君にローザリア・クロス勲章の授与を検討しているらしい」

「勲章を?」


 エステルは驚きに目を大きく見開いた。

 ローザリア・クロス勲章は国家への貢献が認められた者に贈られる勲章だ。運用範囲の幅広い勲章だが大変な栄誉である。またこの勲章には勲功爵という名誉称号が付随する。


「すごく名誉な事ですけど……リーディス殿下がどう思われるか……」

「こちらに何か言ってきたら私が対処するからエステルは何も心配しなくていい。ただ、こちらになんの断りもなく勝手に発表した事に関しては、父上に抗議しようとは思う」


 アークレインはひどく疲れた表情でつぶやいた。

 ぶち壊しになった狩猟大会の後始末やら、エステルを始めとした自分の天幕から出した怪我人の事で動き回って疲労が溜まっているのだろう。


「あの、難しいと思いますがちゃんと休んでくださいね?」

「やるべき事をやったら休むよ」


 アークレインは力なく微笑むと、エステルの頭に手を伸ばし、髪を一房手に取ると感触を確かめるように指先を滑らせた。

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