竜伐の英雄 01

 次に目覚めた時、エステルの視界に入ってきたのは天秤宮の中に与えられた自分の部屋だった。


(あ……けが……したから……)


 共通の寝室ではなく自分の部屋のベッドに運んでくれたのだろう。

 室内を見回して、エステルはベッドのすぐ側に置かれた椅子でアークレインがうたた寝している事に気付き目を見開いた。


 宮殿に入って三ヶ月一緒に過ごしてきたが、アークレインの寝顔を見るのは初めてだ。彼は寝付きが悪く寝起きが早い。それだけではなくて、ちょっとした音でもすぐ目を覚ましてしまう。


 まるで野生の動物だ。熟睡できないのは体質だと本人は言っていたけれど、天秤宮に仕える職員たちの話を総合すると、どうやら子供の頃から暗殺者に襲われてきたせいらしい。


 エステルが体を起こして覗き込んでも目覚めない所を見ると、相当に疲れているようだ。

 彫像のように整った端正な顔はどこかやつれている。随分と心配をかけたようで申し訳ない気持ちになる。


 眠りすぎたせいか頭が重だるいけど、体の痛みは馬車で運ばれていた時に比べると随分とマシになっていた。相変わらず左手はズキズキするけれど、背中やお尻は押すと痛いという程度に変わっている。

 そっとナイトウェアの裾をめくって痛む部分を確認してみると、内出血の痣がかなりの広範囲に渡ってできていた。

 銃を撃った時に反動でかなり勢いよく後ろに吹っ飛んだ記憶があるから、その時にぶつけたのだろう。赤黒くなっていて我ながら気持ち悪かった。


 これは治るまでアークレインには見せられない。ただでさえ自分の体はアークレインほど綺麗ではないのだ。既に治療の時に見られているかもしれないが、こんなに汚い痣だらけの体を、意識している異性に見られるのは絶対に嫌だった。


 エステルは小さなため息をつくと、アークレインに向き直った。こんな場所でうたた寝したら体を痛めそうだ。


「アーク様」


 声をかけながら指先を伸ばすと、唐突にアークレインの目がカッと開いた。そしてエステルの腕が掴まれたかと思うと、次の瞬間にはベッドの上に押し倒されていた。


 爛々らんらんと輝く獣のような深い青の瞳がエステルを射抜く。――が、次の瞬間、その目は驚きに見開かれた。


「エス……テル……?」

「はい」


 返事をすると、アークレインは慌てて身を離し椅子へと戻った。


「ごめん、襲われたのかと思って反射的に……痛くなかった?」

「大丈夫です。私の方こそ申し訳ありません。突然触ったりしたから……」

「エステルのせいじゃない。そうじゃなくて……」


 アークレインの顔が苦しげに歪んだ。


「目が覚めて良かった……」


 まるで泣き笑いのような表情に、エステルはぽかんと呆気に取られる。


「私、そんなに寝てましたか……?」

「ほぼ一日かな。全然目を覚まさなかったから心配した」


 アークレインの回答に、慌てて壁の時計を確認すると十時を少し過ぎた所を差していた。

 カーテン越しに光が差し込んでいるところを見ると午前十時という事になるのだろう。


「体調は?」

「あちこち痛いしだるいですけど……気分はそんなに悪くないです」


 これは枯渇状態だったマナがほぼ全快しているのが大きい気がする。


「左手の状態を見たいので包帯を取ってみてもいいですか?」


 エステルは半身を起こすと、左手を目の前にかざした。

 左手は全体が包帯に覆われているが、特に痛むのは人差し指から小指にかけての第二関節から指の付け根にかけての範囲である。そこは、両手で銃を構えた時に銃口からの距離が一番近かった場所だ。


「ついでに包帯を替えようか。貸して」

「アーク様がやって下さるんですか?」

「本職の人たちほどは上手くないけどね」


 左手を差し出すと、アークレインはするすると包帯を解いていった。すると、シート状の貼り薬に覆われた手があらわになる。


「痛むかもしれないけど剥がすよ」

「はい」


 慎重にシートが端から剥がされ、患部が少しずつ見え始めた。


(これは……)


「壊れた銃の金属片がいくつも刺さってたんだ。しっかり洗浄して破片は取り除いて貰ったんだけど……」


 予想通り、四本の指の第二関節から指の付け根にかけて、裂傷がいくつも出来てズタズタに傷付いている。


 傷口の手当をするためのセットは、ベッドサイドのテーブルに整理整頓されて置かれてあった。

 アークレインはその中から新しいシートと包帯を取り出すと器用に手当てしてくれる。その手つきは板に付いていて、しっかりとした知識がある事が窺えた。


「お上手ですね」

「士官学校時代に習ったから」

「……ごめんなさい。また消えない傷が増えてしまいました」


 謝った瞬間、アークレインのマナが昏くなった。


「エステルのせいじゃないだろ……!」


 アークレインには珍しく声を荒げられ、エステルはビクリと身をすくめた。


「あ……お、王子妃としては、こんなに傷だらけの女は不適格かと思って……」

「不適格じゃない!」


 強い語調にエステルは硬直する。アークレインははっと目を見張った。


「エステルに怒ったんじゃないんだ……大きな声を出してすまない……」


 アークレインは慌てた様子で謝ると、包帯を巻き終えたエステルの左手をそっと引き寄せると、自身の額を押し当てた。


「二の腕の傷もこの指の傷も私のせいで付いたものだ。二箇所も傷の残る怪我をさせてごめん。私に移せたらいいのに……」

「そんなの駄目です。アーク様の体は綺麗だから傷なんて付いちゃいけません」

「男の体が綺麗な訳ないだろ。君の体の方がずっと綺麗だ」


 エステルは突然のアークレインの言葉にぽかんと呆気に取られた。


「傷があってもエステルの体は綺麗だよ。だから私の婚約者として不適格だなんて言わないで欲しい」


 アークレインは顔を上げた。真剣な深い青の眼差しがこちらに向けられ、エステルは戸惑う。


(アーク様、どうしていきなりこんな……)


 指先に吐息が触れそうで、何故か背筋がむずむずした。

 エステルはやんわりと手を引き寄せた。すると名残惜しげにアークレインの視線が左手を追う。


「マナの強化訓練はまだ続けてる?」


 唐突な質問にエステルは首を傾げた。


「はい。一応まだ続けてます。最近ようやく全身の経路がわかるようになってきました」

「もしできそうなら、傷口にマナを集中させると治りが早くなる。傷痕も薄くできるかもしれない」

「そうなんですか?」


 エステルは左手を目の前に持ってきて見つめた。

 マナを循環させる訓練は毎日時間を決めて続けてはいるものの、集中が続く時間はやはり一度の瞑想で十五分程度だ。だが傷痕が薄くなる可能性があるなら試してみる価値はある。


「もし目立つ傷痕が残ったとしても自分を卑下しないで欲しい」


 そう告げるアークレインの瞳には、今までに見た事がない熱がこもっている。

 エステルは何故か居た堪れない気持ちになって目を逸らした。


 部屋の外から遠慮がちなノックの音が聞こえてきたのはその時である。


「入りなさい」


 アークレインの許可を受けて室内に入ってきたのはリアだった。リアにも心配をかけてしまったのだろう。アークレインほどではないが疲れた顔をしている。その表情がエステルに気付いた瞬間ぱあっと明るくなった。


「エステル様! 気が付かれたんですか!?」

「さっき目が覚めたばっかりなんだ。包帯は交換したから化膿止めの薬湯を持ってきて欲しい」

「はい。すぐに。あ、でもその前にお伝えする事があるんでした。殿下、外でクラウス様がお待ちになっています。殿下にお話があるそうです」


 リアは元々その為にやってきたらしい。淑女の部屋に婚約者でもない異性が入る事は許されない。アークレインは眉を顰めると、どこか面倒臭そうな様子で部屋を出て行った。

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