飛竜襲来 03

 ガタガタと体が揺れている。

 頭の下にはクッションらしきものがあるが、背中に当たる感触はやけに硬い。まるで板張りの床にそのまま寝かされているみたいだ。おまけにその床は常に揺れていて、振動が体に堪えた。


 全身のあちこちが痛い。特に痛むのは左手だ。飛竜を撃つ時、命中率を上げるために両手で銃を持ち、左手を右手の上に添えたから、きっと怪我をしたのだろう。


 ――飛竜。


 そうだ。自分は竜を撃ったのだ。だけど、引き金を引いた瞬間の反動がすさまじくて、そのまま後ろに吹っ飛ばされたのを思い出した。

 そこからの記憶が無いから、恐らく反動の衝撃で気を失ったのだろう。


 エステルは、ゆっくりと目を開いてみた。すると、白い布で作られた屋根が見えた。その丸く曲がった屋根の形と、外から聞こえてくる蹄の音や体に伝わる振動から、幌付きの荷馬車に乗せられているのだと把握する。


「う……」


 体を動かそうとすると酷く痛んで、エステルは呻き声を上げた。すると、視界に唐突にアークレインの顔が入ってきた。


「エステル! 気が付いたのか! 良かった……」


 憔悴した表情にエステルは首を傾げた。エステルに対するアークレインの感情表現は少しずつ豊かになりつつあるが、ここまで明らかなのは珍しい。


「アークさま……」


 喉がからからで、自分でも驚く程に涸れた声だった。


「水分を摂った方がいい。体を起こすよ」


 エステルは頷いた。するとアークレインはエステルの背中に手を回し、少しだけ上体を起こすと水筒を口元にあてがってくれた。


 魔導式の保温機能が付いた水筒の中には紅茶が入っており、程よい温さになっていた。疲労回復の為だろうか、ほんのりと蜂蜜の甘さが付いている。


「まだ飲む?」


 アークレインの質問に、エステルは首を横に振った。

 すると再び起こした体を元に戻してくれる。アークレインはエステルの頭を丁寧にクッションの上に乗せると、そっと頬に指を滑らせた。


「飛竜が見えて……慌てて森を出てベースキャンプを見た時、息が止まるかと思った……」


 小さな声でつぶやくアークレインのサファイアのような瞳は、潤んでいるように見えた。


「……飛竜は……、たおせましたか……?」

「ああ……エステルが討伐したと聞いている」

「みんなは……?」

「怪我人は沢山出たが奇跡的に誰も死んでない。天幕の下敷きになったうちの護衛官の馬が二頭犠牲になっただけで……ルナリスは無事だったから安心して欲しい」


 手負いとなり、狂乱バーサクした飛竜を前にそれで済んだのは確かに奇跡と言っていい。


 エステルは自分の体を確認するため、酷く痛む左手に視線をやった。指先から手首まで白い包帯で覆われており、どんな状態なのかわからない。

 頭もズキズキする。こちらは多分マナの枯渇症状だ。


制御装置リミッターを外した銃を撃った時に銃が壊れて……手にいくつも破片が食い込んでいた……動かせるようにはなるらしいけど、傷痕が残る可能性が高い」

「……そうですか」


 覚悟はしていたがショックだった。飛竜を倒した代償としては安いものなのだろう。でも。


「指輪にもきずが付いてしまった」


 アークレインは狩猟服の胸ポケットからロードライトガーネットの婚約指輪を取り出した。

 石の中央に大きなきずが入り、土台部分の金属にも破損が見られる。常にはめていたから壊れた魔導銃の破片が当たってしまったのだろう。


「ちゃんと職人に見せてみないとはっきりした事は言えないけど、たぶんリカットが必要になる。だから、この指輪は別のアクセサリーに加工して、もう一度改めて新しい石を選ぶところから始めて贈り直してもいいかな?」

「それは……」

「結婚にケチがつくみたいで嫌なんだ。贈り直しをさせて欲しい」


 絶対に譲らない。そんな迫力のある表情で言われ、エステルは困惑した。

 高価な婚約指輪を二度も贈ってもらうのは正直負担である。


「新たなものを購入していただくのはちょっと……」

「私の気が済まないんだ」

「えっと……今は体中あちこちが痛いので……そのお話は改めてにして頂けないでしょうか」


 とりあえず後回しにして引き伸ばそう。その思いからどうにか言葉を搾り出すと、アークレインははっとした表情をしてから眉尻を下げた。


「負担になるような事を言ってごめん。エステルは今怪我をして体調も良くないのに……」

「ネヴィル護衛官の方が酷いのではありませんか……? リーディス殿下もお怪我をされていたような……」

「二人とも命に別状はないから気にしなくていい。特にリーディスは王族だからすぐ治る」


 エステルに比べると扱いが雑だ。


「二人とも私を守ってくれたんです」


 特にリーディスがエステルを義姉と呼び、異能で守ってくれたのは意外だった。


「リーディス殿下が私を助けてくださるとは思いませんでした」

「王族なら臣民を守るのは当然だ。リーディスにもその意識は一応あったらしい」


 不本意そうな表情をしつつも、アークレインはリーディスを認める発言をした。


「なら、どうしてメイを……メイも守るべき臣民じゃないですか」


 エステルは眉根を寄せた。リーディスは初めて出会った時メイを攻撃した。それは許せない記憶としてエステルの中にまだ鮮明に残っている。


「私の手の者で移民だから……だと思う。リーディスの祖父のマールヴィック公爵は良くも悪くも貴族らしい貴族だから」


 マールヴィック公爵は公爵位を賜り臣籍降下した元王族だ。先代の国王、アークレインの祖父の弟にあたる人物で、頭の硬い前時代的な老人という印象がある。特に民族主義者で移民嫌いな事は有名だ。


「リーディスは確かに歪んでいるけど、それは主に周りのせいだ。でもカレッジでの様子を見る限り、性根はそこまで腐り果てていないと思う」


 アークレインはどこか遠い目でつぶやいた。


(アーク様はリーディス殿下の事を完全に嫌っていらっしゃる訳ではないのね……)


 リーディスにも認められる部分はあって……だからこそ王位に執着していないのかもしれない。


 頭の中に浮かぶのは、天秤宮にて日々の公務に真面目に取り組むアークレインの姿だ。

 エステルの目には、アークレインの中にも王族の責任感はしっかりと存在しているように見える。そして彼はそれを簡単に放り捨ててしまえる人ではない。


 リーディスを認められるからこそ身を引いてもいいと考えるようになったのではないだろうか。


「……ごめん、エステル。もし私が間に合っていれば、こんな怪我をせずに済んだかもしれない」


 アークレインの謝罪にエステルは首を振った。


「はぐれ竜は天災です。どうかお気になさらないで下さい」

「違う。あれは天災じゃない。作為的なものだ」

「え……?」


 エステルは目を見張った。


「飛竜の額に古代遺物アーティファクトの部品らしきものが埋め込まれていた」


 飛竜の頭にマナの壁のような物が展開されていた事を思い出す。あれは古代遺物アーティファクトの仕業だったのだ。


「黒の飛竜という事は竜骨山脈から飛んできたという事ですよね? そんな長距離を古代遺物アーティファクトで操るなんて……」


 言いかけてエステルは口をつぐんだ。不可能を可能にする。そんな効果を持つ強力な古代遺物アーティファクトは、数は少ないものの確実に存在しているからだ。


「王族が主催する狩猟大会を狙ったんだ。国家転覆を諮る秘密結社の仕業かもしれない。今頃首都は蜂の巣をつついたような騒ぎになってるはずだ」


 そう告げるアークレインは憂鬱そうだった。


「先月のディアナの事件なんだけど、その後ポートリエ男爵家に協力してもらって行った追跡調査の結果、《世界の車輪ロータエ・ムンディ》という秘密結社が関わっていた事がわかった」


「……何ですか? その《世界の車輪ロータエ・ムンディ》って……」


「少数民族を中心に結成された秘密結社だ。既存の王侯貴族による支配の枠組みを破壊し、ありとあらゆる民族が融和した新たな世界の創造を目的としている、らしい」


 エステルは唐突にアークレインの口から飛び出した壮大な話に呆気に取られた。


「馬鹿みたいな名前の組織だけど連中の影響力は意外に侮れない。三十年前にフランシールで起こった革命にも関わっていたと言われている」


 三十年前の隣国の革命と言えば、オリヴィア・レインズワースの母親がこの国に亡命してくるきっかけになった政変である。


 でもあの革命は、かの国でブルジョアと呼ばれる富裕層の市民たちが中心となって蜂起したものだったはずだ。


 そのブルジョア革命だが、一旦は成功し当時の国王を断頭台に送り込んだもののたった一年で崩壊した。

 混乱する政局を収めるため、結局隣国の政治家達は前国王の従弟を旗頭として担ぎあげ王政を復活させた。現在の隣国は、王権にかなりの制限をかけられた立憲君主制の国になっている。


 ローザリアがそうであるように、フランシール王家も《覚醒者》をよく輩出する血統だ。

 ローザリア、フランシール、アスカニア、イベレス――ヘレディア大陸の西側に位置する諸国の王族は、そのほとんどが古代ラ・テーヌ王家の末裔と言われている。


 その血統は特別で、それぞれの王家に伝わる古代遺物アーティファクトには、王族の血液をマナと共に注がないと反応しないものが多数存在するらしい。


 フランシールでの革命が上手く行かなかった原因は、王族を首都から追放した事によって国内の水道機能が停止したためだ。

 上下水道の要となる装置は古代ラ・テーヌ時代の遺構を利用した古代遺物アーティファクトで、定期的に王族の血を注がなければ動かなくなるような仕組みになっていたらしい。


 実は当時隣国で大騒ぎになった事で、このローザリアのアルビオン宮殿にも同様の機能が備わっていた事が発覚した。これまでわかっていなかったのは、血液を注ぐ儀式が王室に伝わる祭祀に含まれていたためだ。長い歴史の中で忘れられていた儀式の意義が再び見つかった事は、当時の新聞を大きく賑わせたそうである。


(国家の体制をひっくり返すなんてあり得ない……国の土台が崩れてしまう)


 そもそも平民と貴族では生まれつきのマナの量が違う。この世界は魔導具や古代遺物アーティファクトがないと立ち行かず、威力の高いそれらは高いマナを持つ者にしか使いこなせない。

 王侯貴族が為政者として君臨している理由は、マナによる恩恵をマナの少ない者に分け与えるためとも言える。


「……黒幕の事はこちらでしっかり調査するから、エステルは体を治すことを考えるんだ。もう少しで宮殿に着くから、それまで少しだけ我慢して欲しい。本当はもっとちゃんとした馬車が手配できたら良かったんだけど騒ぎになってるから……」


 こっそりと戻る為にこの荷馬車になったらしい。理由を告げるアークレインは申し訳なさそうだった。

 ああ、なんだかまた段々眠くなってきた。体が痛みや疲労から逃れようとしているのだろう。


「アーク様、すこし、眠ってもいいですか……?」

「……了解なんて取らなくていい」


 エステルは頷くと目蓋を閉じた。するとすぐに眠りの世界に引き込まれる。

 意識が完全に闇に沈む直前、何かが再び頬に触れた気がした。

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