竜伐の英雄 04

 ローザリアの王室の居住地であるアルビオン宮殿は、十二の建物で構成されており、それぞれに黄道十二星座にちなんだ名前が付けられている。


 直系王族に生まれた者は、王子も王女も七歳になれば自分の宮を国王から賜り、親元を離れて暮らすのがしきたりだ。その時に選ばれるのは、基本は自分の誕生星座の宮である。


 獅子宮に居住するサーシェスは八月生まれで天秤宮のアークレインは十月生まれ、そして宝瓶宮を賜ったリーディスは二月生まれだった。


 ちなみに王族の住居として使われていない宮は、議事堂や裁判所といった官庁として利用されている。




 王室主催の狩猟大会にて祖父の企みに乗り、飛竜と対峙する事になったリーディスは、飛竜の攻撃を受けて肋骨を折り在学中のロイヤル・カレッジには戻らず宝瓶宮内で療養していた。


 内臓にも損傷が見られたため、平民なら死んでいたかもしれない大怪我だったがリーディスは王族だ。マナの量が極めて豊富な王族は、自然治癒力が非常に高く頑丈にできている。三日も安静にしていればかなり痛みは治まってきた。


 しかし肋骨を保護するための医療用コルセットを付け、ベッドに転がり続ける日々はひたすらに退屈である。

 ぼんやりとしていると、飛竜に立ち向かう異母兄の婚約者の姿が頭の中をちらついた。


 狂乱バーサクした飛竜の突進を受け、エステル・フローゼスは一旦は恐怖に凍りついたものの、リーディスが異能で守った直後自失から立ち直り、凛々しい軍人のような表情を見せた。


 その顔は、リーディスが好奇心のままに天秤宮に忍び込み、兄の優秀な手駒を潰そうとした時に彼女が一瞬見せたものと同じものだった。


 竜骨山脈にアヴァロン島――竜生息地出身のマナの高い女性は竜伐銃を扱う術を学ぶと言うが、皆あのような別の顔を持つものなのだろうか。


 貴族令嬢としての家柄も能力も平均的で容姿も地味だが、王族に嫁ぐ為の最低条件は満たしているし、よく見ると顔もそんなに悪くない。射撃の腕は王子妃には不要な能力だが、危機に直面した時に見せた姿には不覚にも惹き付けられた。


 そこまで考えて、リーディスは舌打ちをした。

 自分にとっての最大のライバルが、それなりに優秀な女性を配偶者に迎えるというのは面白くない。


 寝室を侍従が訪問してきたのは、もやもやした気持ちを振り払うため、暇つぶし用の本に視線を落とした時だった。


「殿下、お見舞いにマールヴィック公爵閣下とシルヴィオ卿がおいでになっています」

「お祖父様と叔父上が?」


 リーディスは顔を上げると目をわずかに見開いた。

 釘を刺しに来たのだ。反射的にそう思った。




 はぐれ竜の飛来が作為的なものだったという事は、飛竜の遺骸を見れば一目瞭然だった。何しろ眉間に明らかに古代遺物アーティファクトの部品と思われるものが撃ち込まれていたのだから。


 しかもはぐれ竜はこの首都に至るまでの道中、不自然な事に『餌』を捕った形跡がなかった。普通ははぐれ竜が出たら、その進路上の町や村に大きな被害が出るものだ。


 上記の理由からはぐれ竜が怪しげな古代遺物アーティファクトで操られていたことは隠蔽しきれず公表されたため、首都は今大騒ぎだ。


 王室主催の狩猟大会ではぐれ竜を暴れさせ、王室そのものと主だった貴族を殺害しようした――国家転覆を狙った反政府組織の仕業だと噂されている。


 市民の動揺を鎮めるため、サーシェスはエステルとリーディスの二人を『竜伐の英雄ドラゴンスレイヤー』として担ぎあげる事にした。

 特に飛竜にとどめを刺したエステルを聖女としてまつりあげ、第二王子派こちら側への牽制とするつもりだ。


 元々サーシェスは法の原則を崩すべきではないという立場から、アークレイン寄りの立場を取っている。

 アークレインの未来の妃であるエステルを論功行賞の第一位とし、リーディスを討伐補助という立場に置くことで、アークレインの立太子を有利にする方向に持っていくつもりなのだろう。


 当初の目論見が外れたばかりか、アークレイン側に優位に働く結果となり、祖父はさぞかし怒り狂っているに違いない。




 リーディスの予想通り、叔父のシルヴィオを連れて現れた祖父、ミルセア・マールヴィックは、不機嫌な表情でリーディスのベッドの傍に置かれた椅子へとどっかりと腰掛けた。


 ミルセアは前国王の弟に当たる人物である。サーシェスやリーディスとも共通する容貌の眼光鋭い老人だ。


「具合はいかがですか、リーディス殿下」

「……随分良くなりました。ご期待に沿えず申し訳ありません、お祖父様」


 リーディスが謝罪すると、ミルセアは目を閉じて首を横に振った。


「こちらこそ申し訳ありませんでした。……実は森まで飛竜を連れてきたところで古代遺物アーティファクトが壊れてしまいまして」

「壊れたのですか?」


 飛竜が制御されておらず、大騒動となった事について一体どんな言い訳をするのかと思いきや、なんともお粗末な理由である。


「僕はこんな計画無茶だって止めたんですよ、一応……」


 おずおずと発言したのは祖父の付属品……もとい叔父のシルヴィオである。彼はトルテリーゼの十歳下の弟だ。

 トルテリーゼとシルヴィオの姉弟は、既に故人であるミルセアの妻によく似ている。

 だが、シルヴィオは気弱な性格が見た目にも現れていて、猫背と俯きがちの姿勢が王妃に似た整った顔立ちを台無しにしていた。覇気がなく頼りない印象の人物だが、ミルセアの次にマールヴィック公爵家の当主となるのは彼である。


「お前は黙っていろ」


 舌打ち混じりにミルセアに睨まれ、シルヴィオはビクリと身をすくませた。

 いつも祖父の前では萎縮し、おどおどとしている叔父の事がリーディスは好きではないが、今回はリーディスも彼と同じ意見だった。


 二年の検証期間は未知の古代遺物アーティファクトを調べるには不十分だったという事だ。

 この一件の責任を問われ、リーディスに長く仕えてくれた侍従長のルシウスは更迭された。他にも何人かの職員が宝瓶宮から姿を消したのが腹立たしい。


「どうしてあのような危険な計画を立てられたのですか。下手をすれば、僕を含めたあの場にいた全員が死んでいたかもしれない」


「忌々しい事に第一王子への工作はことごとく失敗に終わるのですよ。……だからリーディス殿下には鮮烈な印象のある手柄を立てていただきたかったのです」


 リーディスの心の中に呆れと怒りが湧き上がった。

 しかしミルセアにへそを曲げられては面倒なので、必死に心の中へと押し止める。


 下手に祖父の機嫌を損ねると、自分がいかにリーディスを王にするために苦労しているのか、そして、ミルセアの中にある王位への妄執の二つを延々と聞かされる羽目になる。


 『王冠を賭けた恋』で知られるギルフィス公が王太子の地位を捨て新大陸に去った後、その地位に就いたのはリーディスのもう一人の祖父である先王エゼルベルトだった。


 エゼルベルトとミルセアは双子だ。表向きには知られていないが、帝王切開により生母の命と引き換えにこの世に誕生した。帝王切開での出産だった事が伏せられているのは、この国では『腹裂き児』と呼ばれ忌避されるためだ。しかしその出生の秘密こそがミルセアを歪めてしまった。

 ミルセアは医師に取り上げられた順番の差で王位を逃したと思っていて、未だに根に持ち続けているのだ。


 エゼルベルトもミルセアも同じ《覚醒者》同士で、双子だけあって能力も似通っていた。だからこそ余計王位への未練が捨てきれなかったのだろう。


 エゼルベルトの子であるサーシェスは異能に目覚めたが、ミルセアの子であるトルテリーゼとシルヴィオは、先天的に高いマナを持って生まれてきたものの《覚醒》しなかった。


 子供に差が出た事はミルセアに更なる劣等感を植え付け、より王位への執着心を煽る事になった。

 王位を継承した双子の兄と比べると、一段劣る家柄の女性を妃に迎える羽目になったから子に差がついた――ミルセアはそう考えたのである。


 ミルセアは孫であるリーディスに自分と同じ思いをさせたくないと主張し、アークレインを蹴落とす事に執念を燃やしている。


 ローザリアの王権は強い。一応議会を尊重するという体を取ってはいるが、議会の議決を承認するかどうかを最終的に決めるのは国王である。


 より優れた者が王位を継ぐべき、それがミルセアの主張だった。リーディスはずっとそう言い聞かされ、アークレインよりも優れた人間でいる事が求められてきた。だけど今、その信念が揺らぎつつある。


 『優れた』とは何を基準に評価されるものなのだろう。

 特別な異能、マナの量、そしてカレッジの成績。全てにおいて、自分はアークレインを超える成績を修めてきた。


 だけど座学と実践は違う。既に公務において一定の成果を上げている兄のように、成人した自分がうまくやれるかは未知数だ。

 それだけじゃない。自分は兄ほどに対人能力が高くない。

 兄は人たらしだ。機知に富んだ会話と穏やかな笑みを武器に器用に立ち回り、知らず知らずのうちに自分のペースに巻き込む話術を心得ている。


 そもそも兄には厄介な外戚がいない。

 無関係な人間を巻き込むような危険な計画を立て、平然としている祖父は、国の事を考えれば害獣と言えるのではないだろうか。


 果たして王たる資質はどちらにあると言えるのか、今のリーディスには即答できない。


「お祖父様、このようなやり方はもうやめてください」

「そうですね。さすがに今回の件は肝が冷えました。次はもっと確実な手段を考えます」


 穏やかな笑みを浮かべるミルセアがひどく醜悪な化け物に見えた。

 ミルセアには常に暗い噂が付きまとう。アークレインの生母であるミリアリア前王妃とその兄、前ロージェル侯爵が若くして亡くなったのは、この祖父の陰謀ではないかと影では囁かれている。

 今まではそんなものただの噂だと笑い飛ばせたのに。

 もしかして兄にも政治的失脚を狙う以上の事を仕掛けてきたのでは……そんな疑惑が浮かび上がる。


「そのような事より殿下、飛竜の件について余計な事は仰いませんように」

「……言いませんよ」


 やはり釘を刺しに来た。リーディスは心の中で舌打ちをした。


 この件は首都警察だけでなく、国王専属の諜報機関も動いて総力を上げて調べているようだが、犯人像については誤った方向へと突き進んでいるようだ。


 しかしミルセアに言われるまでもなく、リーディスに真相を誰かに話すつもりはなかった。もし誰かに告げれば祖父だけではなく母やこの宝瓶宮の職員達を含めた多くの人間の身も危うくなる。

 保身の為に真実を隠さなければいけないなんて、自分が酷く汚い人間になった気がした。


「今回の件は母上も承知されていたのでしょうか」

「……いいえ。姉上は荒事は嫌われるし、出来レースの予定だったとはいえ、リーディス殿下と飛竜を戦わせるなんて聞いたらきっと卒倒したと思うので……」


 リーディスの疑問に答えたのはシルヴィオだった。

 ミルセアは舌打ちをすると手にしたステッキで八つ当たりのように床を叩く。


「それにしても忌々しい。まさか手柄をよりによって第一王子の婚約者に攫われるとは」

「エステル嬢がいなければもっと大きな被害が出ていたでしょう。少なくとも僕はこの世にはいませんでした」


 リーディスは内心の嵐を押し隠しながら反論した。


「その点は感謝しておりますとも。しかし我らにとって目障りな存在になったことは間違いない」


 憎々しげなミルセアの表情に、リーディスはエステルが祖父にとっての排除対象になった事を悟った。


 自分は一体どうすればいいのだろう。祖父を止めなければと思うのにどうすればいいのか分からない。まだ社会経験が乏しい子供だという事を思い知らされ、悔しくてたまらなかった。


 兄ならば何かいい方法を思いつくのだろうか。


 自分の無力さが歯がゆい。祖父が正視できなくて、リーディスは目を逸らした。

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