飛竜襲来 01

 外が騒がしくなったのは、一通り会うべき人達への挨拶を終え、シエラと共に天幕の中でゆっくりしていた時だった。


 エステルはシエラやメイと顔を見合わせる。

 そこにネヴィルが慌ただしく顔を出した。


「エステル様、シエラ夫人、お逃げ下さい!」

「一体何が……」

「飛竜です! はぐれ竜が上空に!」


 その言葉に、エステルは慌てて天幕を飛び出した。


 確かにいる。上空に飛翔する竜が見えた。そして竜が内包する大きなマナも。


 一般的に大型の動物ほど大きなマナを持つが飛竜は別格だ。その外皮が強靭なのももしかしたらマナが影響するのかもしれない。


 しかし、何故こんな所に飛竜が現れたのだろう。

 飛竜は基本的に生息地の付近から離れない。生息地を離れるはぐれ竜が出るなんてかなり珍しい。


 飛竜の体色は黒だった。竜は生息地によって色が異なる。黒竜なら、はるばる竜骨山脈から飛来した飛竜という事になる。


 竜骨山脈の飛竜はアヴァロン島の飛竜よりも小柄だが機動力が高い。天空よりじっくりと獲物を物色し、ここぞと狙いを付けたら一気に急降下する。その狩り方は鷹に似ている。


 周囲では、沢山の女性達が右往左往している。

 その場で怯えて震える者、我先にと馬に乗りその場を離れようとする者――その行動は千差万別だ。


「エステル様、こちらへ。恐れ入りますが俺の後ろにお乗り下さい。ルナリスは並走させます」


 ニールが自身の馬を引いてこちらにやってきた。

 今日のエステルは、スカートタイプの乗馬服を身に着けていて、ルナリスに取り付けている鞍も横乗り用のサイドサドルだから気を利かせてくれたのだろう。


 しかしエステルはニールの提案に首を振った。


「いいえ、あの状態の飛竜の前では下手に動かない方がいいわ」

「いや、そんな事仰ってる場合では……」

「群れからはぐれたら標的になる! 余計危険なのよ!」


 きつく言い返した時だった。

 上空を旋回していた飛竜が一気に急下降してきた。そして、誰よりも早く馬を駆ってその場を離れようとしていた女性に向かって一直線に向かっていく。


 エステルは思わず顔を背けた。

 が、次の刹那、バチバチという音と共に周囲にどよめきが走る。


「リーディス殿下だわ!」

「戻ってきて下さったのね!」


 その言葉に再びそちらを見ると、赤みがかった金髪ストロベリーブロンドの少年が飛竜と女性の間に立ち塞がりマナを放出しているのが見えた。

 異能だ。念動力の壁で飛竜の降下を間一髪の所で防いだのだ。


 誰よりも早く森の奥から戻ってきたのは、空間転移の異能を使ったのだろうか。


「皆体勢を低くし、ゆっくりと天幕内に退避せよ! 下手に逃げるよりその方が生存率が高まる!」


 威厳ある声が響いた。サーシェス王の声だ。


「陛下! なりません! せめて護衛をお連れ下さい!」

「足手まといはいらん! 王妃は皆と手分けし皆を天幕内に退避させよ!」


 制止する王妃を無視し、サーシェスはサーベルを抜刀すると飛竜の方に向かって駆けていった。


 サーシェスのサーベルは刀身にマナが通っている所を見るとマナブレードだ。王侯貴族、そして軍人の装備は大抵がマナブレードである。


 トルテリーゼ王妃は悔しげに唇を噛むと、厳しい声で命を下した。


「陛下の指示に従え! 皆天幕内に避難するのです!」

「エステル様! エステル様も!」


 ニールに腕を引かれ、人々が慌てふためく中エステルは天幕内に押し込まれた。




 サーシェスの指示は的を射ていた。

 竜骨山脈の山間に住む住民たちは、飛竜の姿を見たら真っ先に屋内に避難する。人里に降りてきた飛竜は胃が満たされるか討伐されない限り山には帰らない。だから最も頑丈な地下室に引き篭もり、家畜を犠牲に飛竜が立ち去るのをじっと待つのだ。


 うまくリーディスとサーシェスの二人で倒せたらいいが、もし倒せなかったらかなりの犠牲が出るだろう。春先の飛竜は凶暴だ。外に残された馬で満足してくれればいいが、全ては竜の腹具合次第だ。


「エステル嬢!」


 天幕内に入ると、シエラがぎゅっと抱きついてきた。


「大丈夫。きっと大丈夫よ。陛下とリーディス殿下は《覚醒者》だもの。きっと何とかしてくださるわ」


(いくら陛下たちが《覚醒者》でも、竜伐銃なしで飛竜を倒せるかしら……)


 魔導銃は使用者のマナを凝縮し弾丸として撃ち出す銃だ。その中でも竜伐銃は極めて出力が高い。

 そのため、竜伐銃は並みの銃士なら二発撃てればいい方と言われている。領主貴族の出身であるシリウスやエステルでも一日に五発撃つのが限界だ。撃った後は体内のマナが枯渇寸前になる。


 王族のマナを込めたマナブレードなら硬い飛竜の外皮も貫けるかもしれない。しかしいかんせんリーチが短すぎる。


(しかもあの飛竜、少しマナの流れがおかしかった)


 ちらりと見ただけだから断言は出来ないが、眉間にマナが集中していた気がする。

 飛竜の弱点は眉間と心臓の二箇所だが、心臓よりも眉間の方が狙いをつけやすく、皮や内臓といった討伐後利用できる部位への傷も最小限で済むので竜を撃つ時にはヘッドショットを狙うのが基本である。

 なんだか嫌な予感がした。


「ニール、お前はこのままエステル様を側でお守りしろ」


 ネヴィルの発言が聞こえてきて、エステルは思考の世界からはっと現実に引き戻された。


「何言ってんですかネヴィルさん! まさか外に出るつもりですか?」

「国王陛下やリーディス殿下が体を張っていらっしゃるのに、王室護衛官ロイヤルガードが何もしない訳にはいかない」


 最悪の場合人間の盾として竜の前に立ち塞がるつもりなのだろう。ネヴィルの顔からは痛いほどの決意が伝わってくる。


 アークレインがエステルの警護の為に付けてくれた護衛官は他にもいるのだが、天幕の中に避難してくる気配がない。ネヴィルと同じような覚悟で外にいるのだろうか。


「ネヴィル護衛官、そのまま行っても陛下たちの足手まといになるだけよ。陛下も足手まといはいらないと仰ってたわ」


 エステルは、抱きついてくるシエラの体をやんわりと押しのけてネヴィルを見上げた。


「しかし最悪奴らの餌になる事はできます。はぐれ竜は確か食欲が満たされれば去っていくんですよね?」

「……ええ、その通りよ」


 しかしこの時期、冬眠から目覚めたばかりの飛竜はかなり凶暴だ。腹を空かせているというだけでなく、春から初夏にかけての繁殖期に備え、ここに至るまでの道中もを食い荒らして来たに違いない。


 エステルは深呼吸をすると、真剣な表情でネヴィルを見返した。そして尋ねる。


「……腕を犠牲にする覚悟はある?」

「どういう意味ですか?」


 ネヴィルはエステルの質問に眉をひそめた。

 エステルは、腰のホルスターに吊り下げていた愛用の魔導銃を手に取ってネヴィルに告げる。


「覚悟があるならこの銃を持って行って。カリスト社製の銃には一度だけ竜伐銃並みの出力を出す機能が備わってるの」


 カリスト社はフローゼス伯爵領に本拠地を置く銃器メーカーだ。カリスト社製の魔導銃の一部のモデルには、竜骨山脈に生きる者の身を守る為の工夫が施されている。


「まさか……制御装置リミッターが外せるという事ですか?」


 ネヴィルの質問にエステルは頷いた。

 制御装置リミッターは魔導銃の部品で、弾丸の威力を調整する為に取り付けられているものだ。


 銃は用途によって求められる威力が変わるし、あまりに高出力の弾丸を撃ち出すと、一般的な魔導銃の場合銃身が持たず壊れてしまう。その問題を解決するための部品である。


 高威力の弾丸を射出する竜伐銃は、銃身の強度を確保するため竜骨鋼で造られているが、竜骨鋼はコスト面から簡単に使用できる素材ではないのだ。


制御装置リミッターを外せば一発だけは超高出力の攻撃ができる。でも、撃ったら確実に銃は壊れるでしょうね。その時の壊れ方によっては……」

「手に大怪我をするって事ですか」


 エステルの言葉をネヴィルが継いだ。

 制御装置リミッターの解除は、竜伐銃が手元にない状態で飛竜と出くわした場合に備えた最終手段だ。自爆に近い覚悟を持って使うものである。


「エステル様、銃をお借りしてもいいでしょうか。腕と引き換えに皆を守れるのなら安いものです」

「……わかった。でもこの銃の有効射程はそんなに長くないの。相当引き付けて撃たないと当たらないと思う……」


 エステルの魔導銃は護身用の小型のハンドガンだ。有効射程は三十メートルといった所だろう。


「丸腰で行くよりずっといいです」


 ネヴィルはきっぱりと言い切った。

 エステルは頷くと、早速制御装置リミッターの解除作業に取り掛かる。


 髪を纏めるピンを一本外し、ピン先を魔導銃の引き金近くの部品にねじ込んだ。この部品が制御装置リミッターだ。

 この銃の制御装置リミッターは所定の手順を踏めば簡単に外せるようになっている。この銃の場合は先の尖ったもので部品のある部分を押し込みながら下に引けば外れるようになっていた。


 ガキン、という音と共に制御装置リミッターが外れた。――その時だった。


 外から凄まじい咆哮が聞こえてきた。

 かと思ったら、一拍遅れて天幕に何かが勢い良くぶつかってきた。そして天幕を支えていたはりが大きくたわむ。


「エステル様!」


 一番近くにいたネヴィルがエステルを抱き込んだ。


 天幕の布を巻き込みながら梁がこちらに向かって倒れ込んでくる。それがやけにゆっくりと見えた。


 シエラの声だろうか。けたたましい女性の悲鳴が聞こえる。


 ミシミシという音、怒号、そして砂埃がエステルの視界を塞ぎ――

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