狩猟大会 01

 王室が主催する狩猟大会は、三月の初旬に開催される。その舞台は首都近郊にある王家が管理する森だ。


 軍事訓練という側面があるため、参加者は一旦宮殿前の広場に集まって隊列を組む。男性は猟犬や猟犬係ハンツマンと呼ばれる使用人と先行し、女性は男性たちの後をゆっくりと着いていく事になっていた。


 エステルは、シエラを始めとした第一王子派の夫人たちと一緒に行動する事になった。天秤宮付きの王室護衛官ロイヤルガードとメイも一緒だ。全員が馬で移動するので、乗馬ができないリアは留守番である。


 狩猟大会は、国王夫妻を始めとして、首都に滞在中のほとんどの貴族が参加する大規模な催しだ。

 襲撃の危険がないとは言い切れないので、エステルは、シエラや護衛官と常に行動を共にするようにとアークレインから注意を受けていた。


 狩った獲物に点数を付け、優劣を競う男性たちと違って、女性たちにとっての狩猟大会はピクニックのようなものである。

 森の外に天幕を張り、その中で優雅にお茶や軽食を楽しみながら男性の帰りを待つのだ。


 現地までは慣れない横乗りでの移動になるが、周囲の速度はゆっくりだったので、エステルにも難なく付いて行けた。


「晴れてよかったわねぇ、エステル嬢」


 シエラが馬首を並べて話しかけてきた。

 月が変わって随分と暖かくなったし、上空には青空が広がっているので、今日はお出かけ日和である。


「少し雨が降った程度でしたら開催されるんですよね?」

「そうよ。天候があまりに悪いときは日を改める事になるんだけど、ちょっとくらいの雨なら決行するのよね……その場合は参加する方も大変なのよ」


 今日もシエラは氷の精霊のように綺麗で、エステルは思わず見蕩れた。優雅に馬に横乗りし、乗馬服に身を包んだ姿は綺麗なだけではなく格好いい。

 自分がシエラの年代になった時に、こんなに綺麗でいられるだろうか。


「アークレイン殿下のマント、エステル嬢が刺繍されたのよね? とっても素敵だったわ」


 アークレインもクラウスも顔がいいから、狩猟服の上からマントを身に着けた姿は眩いばかりに麗しかった。


 今回の狩猟大会にはリーディスもロイヤル・カレッジを休んで参加している。

 容姿ではアークレインと同じ顔の彼も負けてはいないのだが、残念ながらまだ若すぎて、主に未婚のお嬢様たちの視線を集めていたのは、おとぎ話の王子様を体現するアークレインと氷の騎士のようなクラウスだった。

 森に入る予定の男性たちは、今は隊列のはるか前の方にいるはずだ。


「ありがとうございます。クラウス様もマントがとてもお似合いでした。刺繍はシエラ夫人がなさったんですか?」


 お礼を言うついでに尋ねると、シエラは苦虫を噛み潰したような顔になった。


「ええ。だってあの子ったら、誰とも婚約しようとしないんですもの。いい加減に解放して欲しいわ」


 そう言うとシエラは大きなため息をついた。

 クラウスにはアークレイン以上に女性の影がない。アークレインによると、初恋をこじらせているらしいのだが、そのせいで男色なのではないかという噂も出ているそうだ。


「婚約の話を持って行っても話にならないのよ。それどころか叱られちゃうからもう諦めちゃった。後継は最悪親戚から養子を貰えばいいんだけど……孫を抱いてみたいのよねぇ……」


 切実なつぶやきに、何と返せばいいかわからなくて、エステルは愛想笑いで誤魔化した。




   ◆ ◆ ◆




 首都はフローゼス伯爵領より春の訪れが早い。

 道には色鮮やかに花が咲き乱れ、新芽が芽吹き始めていた。


 景色を楽しみながらのんびりとしたペースで森に着くと、先に到着していた男性たちによって森の入口には天幕が張られていた。


 ざっと見て三十から四十の天幕が張られている様子は壮観である。


 エステルはシエラや天秤宮の職員達と共にアークレインが張った天幕へと向かう。

 王族の天幕は、森に一番近い場所に張られ、周囲よりもひときわ目立っていた。

 今日は一日シエラが一緒にいて、天幕にやってくる訪問者を捌く手伝いをしてくれる事になっている。


「エステル、わかってると思うけど、基本的にはここから出てはいけないよ」


 過保護なアークレインは、改めて念押ししてから狩りへと向かった。


「いいわね。今が一番楽しい時期よね」


 シエラの生温い目が気まずい。


 大切にされてはいるのは間違いないが、シエラが想像しているような恋人のような甘さはエステルとアークレインの間にはないのに。


 アークレインにとっての自分は、貴重な手駒で性欲を発散するのにも都合のいい存在という程度だろう。エステルを気に入ってくれているのは間違いないが、そこには唯一の女性に対する感情はない。


「とりあえず先に嫌な事は済ましてしまいましょうか。国王陛下の天幕に参りましょう」


 シエラの提案にエステルは現実に引き戻された。

 アークレインとの関係を考察したせいで湧き上がった苦い想いを心の中に押し殺す。


 天幕の群れの中には国王夫妻のものがあり、そこにだけはこちらから挨拶に出向かなければいけない。

 王妃に会いに行く事を『嫌な事』と言い切るシエラは正直だ。エステルは重い腰を上げると、シエラに続いて天幕を出た。




   ◆ ◆ ◆




 護衛官やシエラと共に王家とサーシェス王個人の狼の印章が描かれた天幕に向かうと、すぐに国王夫妻の元に通された。


「よく来てくれたね、シエラ夫人、エステル嬢」

「ローザリアの輝ける太陽、国王陛下、並びに王妃陛下にシエラ・ロージェルがご挨拶申し上げます」

「エステル・フローゼスがご挨拶申し上げます」


 二人揃って正式な口上を述べると、天幕内に設えられた席を勧められた。

 この口上は宮中儀礼にのっとったもので、王妃だけに挨拶する場合は『輝ける太陽』の部分を『たっとき薔薇』に変えるなど、王族の誰に挨拶するかによって細かく変化する。


 今回の狩猟大会はサーシェスは狩りには不参加だ。

 月末に風邪を引き、それがまだ完治していない為と発表されているが、一度倒れてから健康不安説が囁かれているので心配である。


 目の前のサーシェスの顔色は普通に見えるが、頬や唇の血色は化粧で誤魔化す事もできるからあてにならない。


「随分とお久しぶりね、シエラ夫人」

「申し訳ございません、息子の補佐の為に何かと忙しくてすっかりご無沙汰しております」

「まあ、あまりにも顔を合わせないものだから、てっきり避けられているのかと思いました」

「まあ、そんな訳ございませんわ。昔も今と変わらず私は王妃陛下を敬愛しておりますもの」

「本当だったらとても嬉しいわ」


 エステルがサーシェスの顔色を観察している間に、シエラとトルテリーゼ王妃の間では寒々しい応酬が始まっていた。

 二人ともマナを陰らせており、互いに嫌い合っていることが一目でわかる。

 なまじ両方とも美女なだけに、そのやり取りには迫力がある。正直関わりたくない。


「エステル嬢の顔を見るのも一緒に観劇して以来かしら」


 王妃がこちらに水を向けてきた。エステルは内心で冷や汗をかく。


「はい。あの時はお招き頂きありがとうございました」


「喜んで頂けたのなら嬉しいわ。実はあれからもアークレインには何度か声はかけたのよ? でも断られてしまったの。心の狭い子だと思わない? 私があなたを虐めるとでも思っているのかしらね」


 舌打ちせんばかりの表情とは裏腹に、王妃のマナは明るくなった。

 やはり王妃は何か変だ。エステルを見る時の表情と内心が今日もちぐはぐだ。


「トルテリーゼ、あまり干渉すると嫌われてしまうぞ」


 割って入ったのはサーシェス王だった。

 サーシェスは顔を合わせる度にエステルへの負の感情が和らいでいく。

 諦めたのか認めてくれたのか、どちらにしてもエステルにとっては嬉しい事だ。


「いやだ、私はただエステル嬢と仲良くなりたいだけですよ。色々な意味でね」


 意味深な笑みに明るいマナ。王妃を視ると頭が痛くなってくる。真意がよくわからないから気持ち悪い。


「王妃陛下にそう仰っていただけるなんて光栄です」


 エステルはどうにか愛想笑いを浮かべると、無難な答えを絞り出した。


「それが本心である事を願っているわ」


 高圧的に振る舞う王妃に、サーシェスはため息をつくと、再び取り持つように間に入った。


「シエラ夫人、エステル嬢、そろそろ自分の天幕に戻るといい。トルテリーゼ、エステル嬢に構いたい気持ちはわかるが、他にも外で待っている者がいるから」


 サーシェスの言葉に王妃はつまらなさそうな顔をすると、手にした扇で顔の下半分を隠した。


「……では、お言葉に甘えて私達はそろそろ失礼いたしますね」


 これ幸いとシエラは席を立ち、そそくさと一礼する。


「失礼いたします。拝謁の機会を与えていただきありがとうございました」


 エステルも慌ててシエラに倣うと、一礼し国王の天幕を辞した。

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