愚者は踊る 08

 ディアナが天秤宮に不法侵入して捕まった。しかも捕まった時、ディアナは毒物を持っていたらしい。


 その知らせをアークレインから受け取ったディアナの父、ヒューズ・ポートリエは耳を疑った。


 ライルとの婚約破棄に傷付いたディアナは、侍女のユフィルを連れて傷心旅行に出かけたはずだ。


 慌ててユフィルに持たせていた通信魔導具で連絡を取り、ディアナの所在について確認すると、ユフィルに相当な額の小遣いを握らせて、当の本人はどこぞに行方をくらませたという。それも、よく邸に来ていたロマ族の占い師と一緒に。


(あの馬鹿娘……)


 ライル・ウィンティアを略奪してから、ずっと彼の元婚約者であるエステル・フローゼスを意識しているのはヒューズも知っていた。怪しげな占い師を邸に招き、エステルとライルに対する愚痴を吐き散らしていた事も。


 しかし、自分も商会を運営するにあたって占い師の助言を参考にする事があるため、あまり強く言えなかった。またヒューズにとってディアナは可愛い末娘だった。

 かなり甘やかした自覚はある。だが、まさかこんな大それた事をしでかすとは思わなかった。


 ユフィルにはすぐ戻ってくるよう伝えたが、このまま姿をくらませる可能性が高いとヒューズは思っている。

 戻ってきたところで待っているのは叱責と解雇だ。わざわざ帰ってくるメリットはユフィルにはない。


 これはかなり不味い事態である。アークレインからの呼び出しを受け、ヒューズは頭を抱えた。

 国王の長男であるアークレインに害意を向けたとなると大逆罪に問われる可能性がある。事が表沙汰になれば、ディアナが罪に問われるだけでなく、商会にも大きな影響を受けるだろう。


 まずは事の真偽を確かめなければ。そして本当にディアナが天秤宮に捕らわれているのなら、なんとか事を穏便に済ませてもらわなければならない。


 ヒューズは頭を抱えつつも、宮殿に向かうための準備を始めた。




   ◆ ◆ ◆




「どうせなら見たかったです。私のそっくりさん」


 自分の部屋でゆったりと過ごしていたエステルは、残念そうなリアの発言に思わず苦笑いした。

 リアが回復した時には既に偽リアは元の顔に戻った後だったので、結局本人と偽者の対面は実現しないまま終わってしまった。


「よくそんな事が言えますね。あなた下手したら死んでましたよ」


 冷静に返したのはメイだ。エステルもそれに同調する。


「人間、水を飲まずに生きていられるのは三日が限界らしいわよ。あと一日見つかるのが遅かったら……」

「それを考えるとゾッとしますね」


 リアは顔を曇らせると身震いした。

 偽リアの事件はいつも明るい彼女に影を落とした。誘拐されて目覚めたらたった一人人気のない民家の中に縛られて、水も食料もなく、どんなに心細かったかを考えると心が痛む。

 縛られていたということは、用を足すこともできなかったに違いない。リアは何も言わないけれど、見つけられた時の状況はなんとなく想像がつく。


 現在この天秤宮にはポートリエ男爵が訪問していて、ディアナの処遇についての話し合いが行われている。

 ディアナは今もまだ地下牢だ。

 地下はあまりいいとは言えない環境だが、ディアナの健康状態に問題はなく、今も元気にフロリカへの文句を言い続けているそうだ。

 変身が解けるときのディアナは、体があらぬ方向に曲がったり、髪が一旦全部抜け落ちたりと、それはもう凄まじい様子だったというが、幸い変身の古代遺物アーティファクトには、肉体を損なうような副作用はなかったようだ。


 話し合いの様子は聞かせたくないというアークレインの意向で、エステルは今日は一日自室で過ごすように言われていた。


 いつもの事だがアークレインは過保護だ。しかしこの真綿の檻の中で、ほんの少しの息苦しさと同時に、嬉しさを感じ始めたあたりエステルも重症だ。


 エステルに接するアークレインはとても優しい。

 まるで壊れ物を扱う時のようにエステルを尊重して大切にしてくれるのだ。愛されていると勘違いしそうになるくらいに。


 意外にも天秤宮の中で過ごす生活はそんなに悪くなかった。

 フローゼス伯爵領にいた時は、兄の補佐のため何かと外出する機会が多く、自分でも気付いていなかったが、エステルは、外に出る必要がなければいくらでも室内で過ごせる気質だったらしい。


 元々田舎育ちで都会の賑やかな中心街はあまり好きではなかったから、時々庭の散歩に出て乗馬の練習をする程度の外出で気分転換には十分だった。


「結局ディアナ・ポートリエに関してはアーク様にお任せする事にしたけど、リアはそれで良かったのかしら?」


 尋ねると、リアはこくりと頷いた。


「エステル様がお決めになった事ですから。私は学がありませんので、どれくらいの罪が妥当なのか判断ができません」


 労働者階級の識字率は低く、リアもかろうじて読み書きができる、というレベルである。

 魔導具の進歩によって工業化が進み、首都や王家直轄領では初等教育が義務化しつつあるが、地方の農村部はまだそこまでの水準には達していない。

 首都の子供たちに比べると、フローゼス伯爵領は明らかに遅れていて、それを思うとエステルの中には苦いものが湧き上がった。




 ポートリエ男爵との話し合いの結果は、晩餐の席でアークレインから報告があった。


 ディアナは心を病んだという名目で、鉄格子付きの病院に入院する事になったそうだ。

 こちらは女子修道院入りを提案したのだが、ポートリエ男爵側から、より目の行き届く環境で監視したいとの申し出があったらしい。

 彼女は少なくとも、ヒューズ・ポートリエとその次代、ディアナの兄に当たる人物が男爵家の当主を務める間は、病院の中で過ごすことになる。


 また、この件を表沙汰にしない代わりに、ポートリエ男爵とアークレインの間でこちらが有利になるような取引がいくつか結ばれた。


 ディアナに対しては同情する気持ちが湧かないでもないが、しでかした事が大きすぎた。可哀想だがその対価としては妥当な所でケリがついたのではないかと思う。


 仮に法の裁きに委ねた場合、懲役刑で済んだとしても、収容先は政治犯のための牢獄であるアルビオン塔になるだろう。アルビオン塔は劣悪な環境と獄死者が多く出る事で有名だ。




 ――最終的に、このような形で偽リアの事件は決着がついた。

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