愚者は踊る 07

 偽リアの件で動きがあったのは、更にその二日後の事だった。

 囚人の様子がおかしいと連絡を受け、駆けつけたアークレインは、牢の中を覗き込んで息を呑んだ。


 牢の中には、うずくまる女の姿がある。

 その背中が不気味に波打っていた。


「ああああああぁっ!」


 女は獣のように絶叫している。

 苦悶の表情を浮かべ、冷たい床に爪を立て、もがき苦しむ様子は見るに堪えない。


 何よりも、骨や筋肉などの形を無視してうねうねと動く体が異様だ。肩甲骨が大きく盛り上がったかと思うと引っ込み、次は手の骨があらぬ方向へとメキメキと音を立てながら曲がる。


 全身がそんな奇怪な動きを見せているのだ。アークレインは目を疑った。


「申し訳ございません、殿下。急に呻き始めたかと思ったらこの状態になって……下手に触れるのもはばかられる状態で、我々としてもどうすればいいのか……」


 アークレインを呼びに来た護衛官は青ざめておろおろしている。執務室で一緒にいて、アークレインと共にここに降りてきたクラウスも顔色が悪い。


「痛いぃぃぃ! 痛い痛い痛い、うっ……あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 ずるり、と偽リアの髪が抜けた。

 茶色の髪がごっそりと抜け落ち、代わりに金茶の髪が根元から生えてくる。


 頭の中に浮かんだのは『代償』という言葉だ。


 強力な古代遺物アーティファクトの中には、時に使用者にとんでもない代償を要求するものがある。


 例えばローザリア王室が所有する古代兵器。

 天空より裁きの雷を呼び寄せ、大地を焦土に変えるという古代遺物アーティファクトが宮殿の地下に眠っているが、起動させるには王族の生贄と共に莫大な量のマナを捧げなければいけないと伝承されている。


 他人の姿に肉体を変える古代遺物アーティファクトとなると、アークレインが以前使った髪と目の色を変える古代遺物アーティファクトとは比較の対象にもならないくらい強力だ。顔だけでなく骨格やほくろ、痘痕あばたさえも再現するという効果を考えると、この惨状にも納得できた。

 肉体を作り替えた代償は、変身の時の痛みのみで済むものであればいいが……。




 癖のない真っ直ぐな茶色の髪は、くるくると渦巻く豪奢な金茶に。

 働き者の荒れた手は、細く白い貴族の手に。


 アークレインの目の前で、不気味にうごめききながら、偽リアはその姿を変えていく。


 変貌が落ち着いた時現れたのは――


(ディアナ・ポートリエ)


 エステルを酷く傷付けた女の姿だった。




   ◆ ◆ ◆




 偽リアは本人の主張通りディアナ・ポートリエだった。――となると、彼女の供述も信憑性を帯びてくる。


 しかしロマ族の女占い師、フロリカの足取りは依然掴めていない。

 そういう女が存在して、少数民族の隔離居住地ゲットーに住居があったところまで突き止めたが、既に家は引き払った後でもぬけの殻だった。

 あそこは首都の暗部だ。一種の無法地帯のため深く探るのは難しい。こちらの密偵スカウトの身に危険が及ぶ。そもそもこんな事に関わって、いつまでも首都に留まっているとも思えない。つまり黒幕をたどるのは難しいという事だ。


 ただ一つ言えるのは、王妃やマールヴィック公爵は無関係の可能性が高い。

 マールヴィック公爵は民族主義者で有名だ。平然と人種差別的発言をして、昔からマスコミを騒がせてきた。移民や流浪の民ジプシーを嫌っているから、彼らを自分の手足として使う事はまず考えられない。


 しかし、それはつまり、変身の古代遺物アーティファクトを持つ未知の敵の存在を示すものだ。エステルの異能の重要性がますます増した。


 アークレインは婚約者の顔を思い浮かべて小さく息をついた。


 最近の自分は変だ。エステルの顔を見ると心がざわめく。

 一度この腕の中に抱けばこの感情は治まるかと思ったのに、むしろ落ち着かない気分が増していく。


 アークレインはわずかな焦燥と共に、ディアナを閉じ込めた牢を一瞥した。




   ◆ ◆ ◆




 偽リアの正体を知らせるためにエステルを探すと、彼女は天秤宮の居間でピアノを弾いていた。


 ピアノは上流階級の女性には必須の教養である。サロンに参加した時に演奏を求められる事があるからだ。サロンはティーパーティーと共に重要な女性が主催する社交である。


 エステルが弾いているのは、社交界で流行っている可愛らしい舞曲だった。

 残念ながらお世辞にも上手いとは言えない。何度も同じ所で間違えるしつっかえる。

 しかし、なるべく丁寧に弾こうとしているのが伝わってくるエステルらしい演奏だった。


 よっぽど集中しているのか、アークレインが居間に入った事にも気付かずエステルはピアノを弾き続けている。

 ようやくこちらに気付いてくれたのは、曲を一通り弾き終えた時だった。


「いらしてたのなら声をかけて下さったらよかったのに」


 恥ずかしいのか、頬を染めながらの苦情が可愛らしい。


「演奏の途中で遮るのも悪いかなと思って」

「次からは声をかけて下さい」


 エステルはむすっとした顔でそう告げると、ピアノを片付け始めた。


「一応知らせておきたい事があって」

「? 何かあったんですか?」

「偽リアの体が元に戻った。彼女の正体はディアナ・ポートリエだった」

「……そうでしたか」


 エステルは静かに受け止めると、じっとアークレインを見つめてきた。


「ロマ族の占い師については何かわかりましたか?」


「いや、残念ながら足取りを追うのは難しそうだ」


「黒幕はいるとお考えですか?」


「そうだね。ディアナ・ポートリエという人物を見た限り、一人でこんな事ができるとはとても思えない。強力な古代遺物アーティファクトも絡んでいる以上、何者かにエステルに対する悪い感情を利用された可能性が高いと思う」


 父親のポートリエ男爵は恐らく無関係だろう。こんな計画に関わらせるにはディアナの頭が悪すぎる。

 失敗を前提としたアークレインを脅すための捨て駒――そう考えるのが一番しっくりとくる気がした。


「以前考えさせて下さいとお伝えしていた処罰感情の件ですが、今お伝えしても構いませんか?」


「ああ。エステルの意見を聞かせて欲しい」


「……私の命を狙ったことよりも、リアを誘拐して衰弱させた事が許せないです。ライルもあの人に目を付けられたせいで阿片に手を出してしまった。例え黒幕がいて操られていたんだとしても、法に則った厳正な裁きを……と思います。でも……」


 エステルは一度言葉を切り、言いにくそうに口ごもった。


「法律に沿ってあの人を裁けば、大逆罪に問われますよね?」


「……そうだね。この宮に毒物を持ち込んだからね」


 ローザリアの刑法では、国王、王妃、国王の長男の死を企んだ者、そして王妃、未婚の王女、国王の長男の妻を穢そうとした者には大逆罪が適用される。


 王家への害意は国家への反逆と同義と見なされ、かつては死刑の中でも最も重い、『引きずり回し・死ぬまでの首吊り・死後の斬首・四つ裂きの刑』に処せられた大罪だ。


 今ではこの残酷な処刑方法は人道的な観点から廃止されているが、計画を立てただけでも絞首刑が言い渡される可能性がある重罪である。


「本来であれば法の裁きに委ねるべきなんでしょう。……でも、あの人がこの件で処刑されたら、心が痛むと思うんです」


「実際そこまで行くかはわからないけどね。家や商会の名誉に関わる事だから、ポートリエ男爵が私財を投げ打って助命嘆願するだろうし、ロマ族の関与が証明されたら情状酌量されるかもしれない」


「大逆罪の過去の判例について調べました。例え大逆予備罪であっても悪ければ絞首刑、良くても無期懲役になりますよね」


「……そうだね。エステルはこれを重いと思う?」


 アークレインの質問に、エステルの瞳が揺れた。動揺が伝わってくる。


「私は……自分の意見で人一人の命が左右されるかもしれないというのが怖いです。……罪を犯せば相応の罰を受けるのは当然の事だと思います。でも……」


 エステルは一度言葉を切ると目を伏せた。そして、しばしの沈黙の後、意を決したように再び口を開く。


「責任転嫁と思われるかもしれませんが、この件はアーク様にお任せしてもいいでしょうか」


 エステルは顔を上げると、アークレインの顔を真っ直ぐに見つめてきた。感情を見透かす赤紫の眼差しが、アークレインの視線と交錯する。


「この件を利用すれば、ポートリエ男爵と取引ができる。心の中ではそうお考えではありませんか?」


 その指摘に心がわずかに痛んだ。アークレインの計算高い本音が見抜かれている。

 ……これまで何度も彼女にそんな姿を見せてきたのだ。見抜かれても当然だ。なのに、どうして自分は動揺しているのだろう。


「アーク様には私の意見なんて無視して、なさりたいようにする権力ちからをお持ちです。だけど私の意思を尊重しようとして下さったんですよね? それが嬉しいのと同時に大逆罪が関わるせいで重たいとも思えて……申し訳ありません、私にも頭の中の考えを上手く言語化できなくて、うまく説明ができないんですけど……」


 途切れながらの言葉からは、エステルの葛藤や真摯な感情が伝わってくる。


「この件がアーク様の役に立つのなら……嬉しいと思う感情が私の中にはあるんです。リアは死にかけたのに、酷い主人ですよね」


 自嘲の笑みを浮かべるエステルに、アークレインは思わず手を伸ばした。髪に触れ、よく手入れされた艶やかな栗色の髪を梳くように撫でる。


「それ以上言わなくていい。エステルの言いたい事は何となくわかったから」

「…………」


 エステルは沈黙すると、気まずげに視線を逸らした。


「この件は私に預けてくれる。そういう事でいいかな?」


 アークレインの言葉にエステルは頷いた。


「できれば、今後はあの人と顔を合わせないで済むようにして頂ければ私はそれで充分です。どうかこの件はアーク様のお役に立てて、ご自身が有利になるように『使って』下さい」


「……わかった」


 厳しいという評判の女子修道院にて終生誓願を立てさせるというのが現実的だろうか。

 終生誓願というのは生涯を神に捧げるという誓いのことである。この誓いを立てて修道生活に入った場合、還俗は認められず、死ぬまで修道女として過ごす事になる。

 それに加えてポートリエ商会を第二王子派から切り離せたら……


 どこまでの条件が引き出せるかの計算をする一方で、アークレインはそんな自分を嫌悪する感情が存在する事に気付いた。

 自分にとって理想的な方向で決着がつけれる事を喜ぶべきなのに、『利用していい』とエステルに言わせた事に心が痛み、内心のざわめきがより大きくなる。


 この気持ちの揺らぎは危険だ。脳内で警鐘が鳴る。

 感情の揺れは隙になる。人間らしい感情は、未来が不確定な今のアークレインには不要なものだ。


 この揺らぎをもたらす原因はわかっている。目の前にいるエステルだ。

 遠ざけなければ。今ならまだ引き返せる。そう思うのに――


 指先に残る彼女の髪の感触が消えない。


 アークレインは指先を見つめると、そっと握りこんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る