愚者は踊る 06
偽リアの所に行く前に、エステルは本物のリアが療養する部屋を訪れた。
職員寮ではなく、来客用の寝室をあてがったのはアークレインなりの気遣いだろうか。
「リア、ごめんなさい。私の専属女官と言うだけであなたに怖い思いをさせてしまった」
「エステル様のせいじゃありません。悪いのは私を誘拐した奴らなんですから」
ベッドの中のリアは思ったより元気そうだった。
マナの大きさも、エステルを見た時の反応も、馴染みのあるリアのものだ。ほっとするのと同時に偽物との違いを改めて思い知る。
「ところで私の偽者って、そんなにそっくりだったんですか?」
「気持ち悪いくらいに似てましたよ。顔が似てるだけじゃなくて、手の爪の形とかほくろの位置まで全て同じでした」
リアに答えたのは傍に控えていたメイだった。
その答えを聞いて、リアは薄気味悪そうに呟く。
「うわあ……それはちょっと見てみたいような見たくないような……」
「偽リアを見に行くのは、お医者様とアーク様の許可が出てからね。まずはゆっくり休んで体を治してね」
攫われてから丸二日間、水も食事も口にしていなかったようで、リアは発見された時脱水症状を起こしていた。
治療を受けて随分と顔の血色は良くなっているが、まだ腕には点滴の管が繋がれている。
「そうですね。いい機会なのでしっかりお休みさせてもらいます」
リアは横になりながらエステルに微笑んだ。
「エステル様、悪いのは悪い事を企んで実行した人なんです。だからご自分を責めないでくださいね」
「……ありがとう、リア」
不覚にも泣きそうになった。感情表現が素直で、裏表がないリアは、エステルが異能に目覚めてからも問題なく側に居てもらえた大切な側近だ。しかし、だからこそ確認しなければいけない事がある。
「ねえリア、今回の事でここに居るのが恐ろしくなってはいない?」
「……どういう意味ですか?」
「アークレイン殿下の婚約者に選ばれて、私の立場は変わってしまったわ。宮殿はフローゼス伯爵領とは違う。このままここにいたら、もっと怖い目に遭うかもしれない。もしあなたが女官を辞めたいと思うなら、お兄様に連絡してまたフローゼスで働けるように……」
「辞めません」
リアはエステルの言葉を遮って主張した。
「私はお嬢様が大好きです。だから辞めたくありません。お嬢様が私を不要だと仰るのであれば仕方ありませんが……」
「リア……ありがとう」
エステルはリアの手を握って心からの感謝を告げた。
◆ ◆ ◆
天秤宮の地下牢はかび臭く、じめじめしていた。石造りの無骨な廊下は寒々しく、ここに長時間いるだけで病気になりそうだ。
「宮の中にはこんな場所があったんですね」
宮殿に入ったばかりの時には案内されなかった場所だ。
エステルは辺りを見回しながらアークレインに話しかけた。
「王室の暗部に繋がる場所だから。ここの存在は式を挙げた後に教える予定だった」
そう答えるアークレインの表情からは、不本意だという感情が読み取れる。
「宮殿内には牢もあれば様々な隠し通路や仕掛けもある。その辺りはちゃんとした王族の一員になってからじゃないとさすがに教えられない」
首都アルビオンは、古代ラ・テーヌ王国が大ローザリア島を征服した時に総督府が置かれた場所だ。
宮殿はラ・テーヌ時代の総督府の遺構を利用して建築されていて、
エステルがアークレインに連れていかれたのは、罪人との面会のために設けられた部屋だった。
室内は鉄格子付きの窓で仕切られ、教会の告解室を連想させる作りになっている。
護衛官によって面会室に引き出された偽リアは、エステルを見て一瞬怒りの表情を浮かべたものの、すぐにさあっと青ざめた。偽者の視線はエステルの背後に立つアークレインに向けられている。
拷問はしていないと言っていたけれど本当だろうか。
エステルは思わず偽リアの全身を確認した。
手錠がはめられ、前に拘束された右手の人差し指の爪が、少し赤くなっているような気がする。
さしあたってそこ以外におかしな所はないが、爪に拷問すると脅した時に、軽く突く程度のことはしたに違いない。
「何か……まだお聞きになりたい事があるんですか……?」
偽リアは震えながら怯えている。
「アーク様、話にならなさそうなので二人にして頂けませんか?」
「私が立ち会うのがこれに会わせる条件と言ったはずだ」
「どうせ監視を置いていらっしゃるじゃないですか」
面会室の中は、四人の護衛官によって厳重に警護されている。
エステルはじっとアークレインを見つめた。アークレインはエステルから目を逸らすと、小さく息をつく。
「わかった。ただし妙な気配を感じたらすぐに戻ってくるから」
仕方ない、という表情でそう言い置くと、アークレインは面会室を退室した。
「ディアナ・ポートリエと名乗ったそうね。リアの偽者」
アークレインが居なくなった事を確認してから、エステルは偽リアに声を掛けた。
「……顔を変える
偽リアはどこか疲れた表情で答えた。そして悔しげに唇を噛む。
「何しに来たの? 私を笑いに来たの? 馬鹿みたいよね。ロマの占い師に
「無礼な!」
喚き始めたディアナに、向こう側の護衛官が制圧しようと動いた。エステルはそれを止める。
「自由に言わせてあげて構わないわ」
どうせ吠える事しかできないのだ。罪人に何を言われようが痛くも痒くもない。領主貴族に生まれた人間として、罪人の扱いは心得ているつもりだ。
嘲りの雰囲気が伝わったのだろう。偽リアは青紫の瞳に怒りをみなぎらせ、憎々しげにこちらを睨みつけてきた。
「私を恨む気持ちを利用された、そう主張しているそうね」
「そうよ! フロリカを調べて! 私、あなたの事がが本当に憎くて大嫌いだったけど、だからって殺そうとは思わないわ! お願い。私、このままじゃ大逆罪で処刑されちゃうかもしれない! そんなの嫌よ!」
必死に弁解する偽リアの姿に、エステルの中に湧き上がった感情は呆れだ。
『独特な思考回路の持ち主』とアークレインが評価した理由がよくわかった。
罪を認めず、反省もせず、その口から出てくる言葉は責任転嫁と自己弁護のためのものだ。
「……どうして私があなたに憎まれなければならないのかしら?」
偽リアの正体が本当にディアナだったとしたら、憎みたいのはこっちの方である。
「ライル様がずっとあなたの事ばっか見てるからよ! 何なのよ! 私の方がずっと綺麗で可愛いのに!」
偽リアが吐き捨てた答えにエステルはぽかんと呆気に取られた。
「なんであなたみたいなのがアークレイン殿下に見初められたのかしら? ライルも殿下もあなたばっかり! そんなのおかしい! ずるいのよ!」
どうしてよく知りもしない人間から、こんな侮辱を受けなければいけないのだろう。まるで宇宙人を相手にしているような気分だった。
「ライルが阿片に手を出したのもあなたのせいよ! エステル・フローゼス! お前さえいなければ!」
目の前にいる偽リアがディアナである確率が上がった。
ライルが阿片に手を出した事を知るのは、緘口令が敷かれているので限られた人間だけのはずだ。
「体で籠絡したの? あなたの胸って商売女みたいですものね!」
ヒートアップする偽リアに反比例するように、エステルの気持ちはすうっと冷えていく。
「どうして何も言い返さないのかしら。認めるの?」
「言い返す価値もないからよ」
挑発に絶対零度の視線を返すと、偽リアはたじろいだ。
彼女が本当にディアナだったとしたら――ライルが阿片に手を出した理由もわかる気がした。
まるで駄々をこねる子供だ。ライルは温厚で物静かな性格だったから、この勢いで振り回されていたとしたら精神的にやられてもおかしくない。
エステルは席を立つと無言で踵を返した。すると背後で偽リアが騒ぐ。
「待ってよ! 私、確かにあなたが嫌いだったけど、本当に殺そうとまでは思ってなかったの! フロリカよ! フロリカが私に毒を渡したの!」
エステルは偽リアを無視し、面会室を出た。
すると外で待機していたアークレインが話しかけてくる。
「ここまで聞こえてきたよ。気分は害してない?」
「大丈夫です。あの方に私がそんな感情を向ける価値はありません」
微笑みかけるとアークレインはわずかに目を見張った後、口元を緩めた。
「そうだね、あの偽者にそんな価値はない」
エステルは差し出された手を取り、アークレインのエスコートを受けながら牢を後にする。その道すがら尋ねた。
「あの人は今後どうなるんでしょうか?」
「さしあたってはロマの占い師の行方を探しつつ、
「どうして私にそんな事をお聞きになるんですか?」
「今回の件の被害者はリアとエステルだから。リアに確認したら、エステルに任せるって。厳罰を望むのか、それとも情状酌量の余地があるのか、エステルの中での処罰感情はどれくらいなのか知っておきたい」
「…………」
エステルは考えた。
そして、しばしの沈黙の後に結論を告げる。
「……少し考えさせて下さい。今の時点では即答はできません」
偽リアの正体がディアナだとまだ決まった訳ではないし、裏で手を引いていたロマ族の占い師がいるのかも今の段階では定かではない。
「わかった。答えが出たらまた聞かせて欲しい」
この回答はアークレインにとって好ましいものだったようだ。マナの色合いから感情を読み取って、エステルは口元に笑みを浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます