愚者は踊る 05

 ここで暮らし始めて二ヶ月以上が経つが、アークレインの部屋に入るのは初めてだ。

 室内に置かれた調度の品質はエステルの部屋と似たような印象だったが、内装の雰囲気はより男性的だった。


 室内はアークレインの気配が満ちていて、偽リアのせいですり減った神経が少しだけ癒される。

 部屋の片隅に、お酒を保管するための魔導具が置かれているのを発見し、エステルはわずかに目を見張った。


(あまりお酒を嗜まれる方じゃないのに……)


「もしかしてお茶よりお酒の方が良かった? でもエステルはあまり飲めないんだよね」

「はい」


 お茶を淹れかけていたアークレインに尋ねられ、エステルは頷いた。


 実はお酒には弱いという事にしている、というのが正しいのだが、あえて今それを言う必要もないだろう。


 エステルは一定の量を超えて飲むと記憶が飛ぶ。そしてその間はかなり面倒な性格に変わるらしいのだ。

 そのため天秤宮に入る時に、エステルは兄と叔父からくれぐれも酒の量には気を付けるよう注意されていた。


(二人揃ってそう言ってくるということは、相当に酒癖が悪いって事よね)


 心の中で肩を落としたエステルのもとに、アークレインがいい香りのする紅茶を持ってきてくれた。そして、エステルの隣に腰掛ける。

 これが今のエステルとアークレインの距離だ。体を重ねてから確実に縮まった。


「意外です。お部屋にお酒を置いていらっしゃるなんて」

「これは社交の時の勉強用。もしかしたら気付いてるかもしれないけど、あんまりアルコールは好きじゃない」

「やっぱり。そうだと思ってました」

「飲めない訳じゃないんだけど、喉を通る時の焼けるような感覚が苦手なんだ」


 アークレインは苦笑いした。


「必要に応じて味見だけして、飲みきれない分は護衛官や侍従に下げ渡してる。実はエステルがお酒が得意じゃなくて良かったと思ってるんだ」


 アークレインの言葉に、エステルは嘘をついている事に対して少しだけ罪悪感を覚えた。


「偽者のリアの事だけど」


 唐突にアークレインは本題に切り込んできた。


「自分はディアナ・ポートリエだと名乗った。今の段階でそれを鵜呑みにする訳にはいかないけど、私もあれはディアナ・ポートリエではないかと思っている」


 エステルは息を呑んだ。


「まさか、そんな……」


「エステルが異能で視た貴族並みのマナの量に負の感情。この二つを備えた貴族の女性なんて、正直他に思い当たらないんだ。念の為ディアナに付けていた監視に連絡を取ってみたら無能にも見失っていた。ライルの件で深く傷付いたから旅行に行くという名目で家を出て、その途中で行方をくらませたそうだ」


「……確かにかなり怪しいですね」


 社交界で出会った人々の中で、ディアナが誰よりもどす黒い負の感情をエステルに向けてきた事が思い出された。


「リアに化けたのは古代遺物アーティファクトの力によるものだそうだ。一週間程度で元に戻るはずだと本人は主張しているんだけど、その古代遺物アーティファクトの出処が不透明でね……あの女に関しては、本当に元に戻るのか様子を見ようと思ってる。元に戻らなかったら本人の主張が正しいのかどうか確信できない」


「……確かに今の段階で法の裁きに委ねても、ただのリアに似た身元不明の不審者になりますね」


「うん。それにこの件だけど、裏で糸を引いている者が別にいるかもしれない」


「……黒幕という事ですか?」


「ああ。偽リアは、ロマ族のフロリカという占い師にそそのかされたと主張しているんだ。ディアナ・ポートリエに付けていた密偵スカウトからの報告によると、確かにそういう名の女占い師がポートリエ邸に出入りしていたようだ」


 アークレインは憂鬱そうに大きく息をついた。


「ロマが絡んでいたら面倒だ。移動型の生活を送る流浪の民ジプシーには密偵スカウトや情報屋という裏の顔を持つ者が少なくない」


 旅芸人、占い師、娼婦、薬師――ロマ族に多い職業を考えると、確かにそういう裏稼業を持っていてもおかしくない。


「どこかの貴族に雇われたのか……少数民族の反政府組織が関わっている可能性も考えられる。フロリカとやらが捕まればいいけど、既に姿をくらましていたら背後を探るのは難航する。人の姿を変える古代遺物アーティファクトの所在がわからないというのは厄介だ」


 アークレインは前髪を乱暴にかきあげると、ソファに身を預けた。

 一度体を重ねてから、彼は時折こうして他人には見せないくだけた姿を見せてくれるようになった。


「あの偽者が本当にディアナ嬢だったとしたら……私、そこまで恨まれていたんですね」


 古代遺物アーティファクトで顔を変え、毒殺したいと思うほどに憎まれていたというのは純粋にショックだ。


「本人はエステルを逆恨みしていたのは事実だが、殺そうとまで思った事はないと主張していて……ここに潜入したのも、ロマの占い師に操られたせいだと言い張っている」


「そんな……いくらロマ族でも人を操るなんて……」


「彼らは独自の薬学に精通していると言うから、頭ごなしに否定はできないと思う。偽リアが言うには、占いをしてもらう時には必ず不思議な香りのお香を焚いていたそうだ」


「そのお香で洗脳や暗示をしたということですか? そんな事が可能なんでしょうか?」


「占い師や新興宗教によるマインドコントロールの事例は実際に存在するから、ありえない話ではないと思う。それに、ロマは国家という枠組みの外で生きる流浪の民ジプシーだ。エステルのように隠された《覚醒者》が潜んでいてもおかしくない」


 言われてみればその通りだ。


「……ただ、これらは全て偽リアがそう主張してるだけだから、根拠になる証拠を掴むために今人をやって調べさせてる。ディアナが持っていた毒はローザリアの近海に棲む魚から抽出される神経毒だったから、毒の方向から辿るのは正直難しくて……本物のリアがせめて犯人を目撃しててくれたら良かったんだけど」


 残念ながら背後から襲われた為、襲撃者の顔は見えなかったらしい。


「私が安易に外出の許可を出したから……」

「エステルだけのせいじゃない。こんな事態が起こる事が想定外だった」


 宮殿で働く職員はあくまでも平民でありただの使用人だ。

 エステルにとってのリアは大切な側近だが、一般的な王侯貴族の感覚からすると、一介の使用人を誘拐したところで普通は主人を脅す材料にはならない。


 しかし、他人の姿になれる古代遺物アーティファクト、などという代物が存在するとなると話は変わってくる。


「自称ディアナ嬢に会いに行っても構いませんか?」

「……嫌な思いをするかもしれない」

「承知の上です」


 じっと隣のアークレインを見つめる。わずかな間の後、アークレインは根負けしたようにため息をついた。


「私も同行する。それが条件だ」


 エステルに否やはない。今日はもう遅いので、偽リアの元へは翌日に向かうことになった。

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