ブロークン・ハート 01

 エステルは、天秤宮の執務室に乗り込み、アークレインを問い質していた。


「どうしてこの招待を受けてはいけないのでしょうか? ハイディは幼なじみで……エジュレナ女学院時代の学友でもあります」


 エステルの手の中には、親友であるハイディ・レジェから送られてきたティーパーティーの招待状があった。


 レジェ伯爵家はフローゼスやウィンティアと同じ大ローザリア島の北部に領地を持つ領主貴族で、ハイディはエステルにとってはもう一人の幼なじみと言える存在だった。


 大ローザリア島北部には竜骨山脈と呼ばれる険しい山岳地帯が連なっている。この竜骨という名前は、飛竜の生息地となっている事から名付けられたと言われている。


 レジェ、フローゼス、ウィンティアの三つの伯爵家は、この竜骨山脈を領地に抱える領主貴族で、自然環境が似通っている事から昔から互助関係にあった。


 ライルやシリウスを交え、四人で日が暮れるまで野山を駆け回った記憶はかけがえのないものとしてエステルの中に残っている。


 同じ歳のハイディとは女学校でも同級生になった。

 学生時代はキーラや他の同級生と共に仲良しのグループを形成し、一緒に過ごした仲だった。


 キーラ達他の友人と違うのは、領地が近い事からハイディとは卒業後もずっと行き来があった事だ。

 王立歌劇場ロイヤル・オペラハウスで話し掛けてきた、マチルダのような自称友人とは違う。付き合いの長さと深さでは他の友人とは比べ物にならない存在である。


 今回ティーパーティーの招待状が送られてきたのは、王立歌劇場ロイヤル・オペラハウスで久々に再会したことがきっかけだった。


 招待状には、当時仲良くしていた同級生が集まる予定なので、久し振りに学生時代に戻って語り合いたい、と記載されている。


 ハイディは、エステルがロージェル侯爵家の舞踏会で怪我をしてから、ずっと心配する内容の手紙を送り続けてくれていた。だからどこかで会う機会を持たねばと思っていたので、この招待はエステルにとっては願ってもないものだった。だからアークレインに参加の許可を貰いに来たのだが……


「私も行かせてはあげたいんだけどね……ライル・ウィンティアがハイディ・レジェと接触したようなんだ」


 唐突に出てきた元婚約者の名前に、エステルの心臓がドクンと跳ねた。


「ライルとハイディも幼なじみです。同じ首都にいれば接触する事くらいはあるのではないでしょうか」


「もしレジェ伯爵令嬢の邸に行って元婚約者がいたら? ライルはどうも、君に会わせろと言って騒いでレジェ伯爵家の方々を困らせていたみたいなんだ」


「どうしてそんな事をアーク様がご存知なんですか……?」


「監視を付けていたから。王立歌劇場ロイヤル・オペラハウスでの彼の視線がどうも気になってね。ディアナ・ポートリエも一応監視対象としてマークしてる」


 手回しのいい人だ。エステルは唖然とした。

 しかしここであっさりと食い下がりたくはない。旧友と会う久々のチャンスなのだ。


「以前にも申し上げましたが、もしライルと遭遇したとしても、話くらいはしてもいいのではと思っています。常に私には護衛を付けていただいていますし……」


「護衛を付けたとしてもライル・ウィンティアとは会ってもらいたくない。今のあの男は危険だ」


「危険……?」


「素行調査をさせたら良くない報告が上がってきた」


「……どういう事ですか?」


「阿片窟に出入りしているそうだ」


 アークレインの言葉にエステルは息を呑んだ。

 阿片は芥子けしの実から作られる麻薬だ。


「表向きは水煙草を嗜む秘密クラブという体を取っている店なんだけど……その店ではスパイスや蜂蜜などに精製阿片を混ぜ合わせたものを煙草と称して提供しているらしい」


「どうしてそんな店が野放しに……」


「もちろん既に首都警察の監視対象にはなっている。ただ、面倒なバックが付いているようで摘発がなかなか難しい」


 流浪の民ジプシーを始めとした少数民族の隔離居住地ゲットーヤン系移民が住む央華街ヤンファタウン、スラムに潜むギャングの組織――首都アルビオンには、首都警察といえども簡単には手出しできない闇は意外に多い。


「どうしてライルは阿片なんかに手を出したの……」


「ディアナ・ポートリエとの婚約が原因だと思われるね。行きつけのコーヒーハウスでかなり愚痴っていたみたいで……どうも例の水煙草の店も、そこで知り合った悪い友人から勧められたようだ」


 ドクンと心臓が嫌な音を立てた。

 ライルに対する同情と、ほんのわずか、彼の不幸を喜ぶ気持ちが湧き上がった事に自分でも愕然とする。


 突然の婚約破棄に怒りを覚えたのは確かだが、それは、ディアナ・ポートリエに対するものだけだと思っていたのに。


(そうか、私は……)


 何の相談もなく、唐突に婚約破棄を突き付けてきたウィンティア伯爵家に対しても怒っていたのね。


 こんな醜い感情をアークレインに悟られたくなかった。エステルは取り繕うように話を変える。


「アーク様、ライルが阿片中毒になっていたらハイディが危ないのでは……」


 阿片は数ある麻薬の中でも、麻薬の女王と呼ばれており、最強の依存性があると言われている。

 なにものにも代えがたい多幸感をもたらす上に、大麻やコカといった他の麻薬以上に強い禁断症状があるため、一度手を出せば止められなくなるという恐ろしい薬物だ。


 乱用を続けると肉体も精神も緩やかに壊れていくが、末期の中毒者は阿片を手に入れるためなら何でもすると言われている。


「一応レジェ伯爵邸には人をやって監視はさせている。ライル・ウィンティアに不穏な動きがあれば相応の対処はするつもりだ」


 アークレインにここまで言われては引き下がるしかない。


「……友人へのご配慮に感謝致します。私は失礼いたします。断りの手紙を書かなければいけませんので」

「エステル」


 ため息混じりに席を立とうとしたら、アークレインに呼び止められた。


「外出の許可は出せない。だけどこの天秤宮に友人達を招待してもらう分には構わない。ただし、招待客についてはあらかじめ相談してもらいたいけど」


「いいんですか?」


「うん。王子妃としての社交の練習にもなるだろうから構わないよ。詳細は侍従長と詰めるといい。今日中に話は通しておく」


「ありがとうございます!」


 エステルが主催をするとなると大変だが、友人との久々の再会の為なら頑張れる。エステルはぱあっと顔を輝かせた。




   ◆ ◆ ◆




 幾何学模様が施された美しい青いガラスの水煙管きせる――その中に詰まった煙を吸い込むと、途端に気分がふわふわし、心地よい酩酊が訪れる。


 この水煙草は、時に夢を見せてくれる。その時に現れるのは、決まってライルが子供の頃のまぼろしだった。




 目を閉じると浮かび上がるのは、シリウスとハイディ、そしてエステル。四人で自然豊かな野山を泥だらけになって走り回った時の記憶だ。


 シリウスとハイディが結婚して、ライルとエステルが結婚すれば大人になってもずっと一緒にいられる。そんな将来の夢を漠然と抱いていたのは、今となっては遠い過去だ。


 たくさん悪戯をして、喧嘩して、叱られて……

 あの頃は怖いものなんて何もなくて、永遠に楽しい時が続いていくのだと思っていた。


 子供の時間が終わった一つの転機は、シリウスが一足先に十二歳になって、ロイヤル・カレッジに入学したあたりだ。その頃にはライルもカレッジへの入学試験対策をしなければいけなかったので、四人で集まる機会は激減した。




 シリウスとハイディはお互い憎からず思っていたようだが婚約には至らなかった。ハイディは一人っ子で、婿を取らなければいけない跡取り娘だったからだ。フローゼス伯爵家の後継者であるシリウスとの結婚は立場上許されなかった。


 ライルはエステルとの婚約が成立したが、領地の財政難にディアナ・ポートリエのわがままが加わったせいで破談になった。




 ライルは再会する度に女らしく綺麗になっていくエステルが好きだった。エステルもまたライルを第二の兄のように慕ってくれて、二人でお互いの両親のような幸せな家庭を作っていくのだと無条件に信じていた。


 あの時、暴走する馬車に出くわさなければ――今もライルの隣にいたのはエステルだったに違いない。


 あんな馬車など無視していれば良かった。親切心を出して助けた結果、婚約者の交代を招く事になった。


 馬車の中から出てきた華やかな美人が、ライルに好意の視線を向けてきた時は、男として正直悪い気はしなかった。

 しかしその女性――ディアナ・ポートリエは金と権力を持つ性質の悪いお嬢様だった。


 父である大富豪、ポートリエ男爵に泣きついたディアナは、天災のせいで財政難に陥っていたウィンティア伯爵家が出入りの商家に作った債権を買い集め、婚約者のげ替えを迫ってきた。


 つい鼻の下を伸ばした事を後悔したのはその時だ。

 ライルは家と領民のため、その要求を呑むしかなかった。




 ディアナは顔は綺麗だが、性格のキツい女性だった。

 頻繁に手土産を片手に訪問しなければ不機嫌になる。

 エステルと一歳しか年齢は変わらないはずなのに、子供っぽくてわがままだ。


 ディアナの要求を一つ叶えるたびに心はすり減っていった。

 エステルの姿が脳裏に浮かび、どうしても二人を比較してしまう。

 なぜ自分はあの時――債権の書類を手にポートリエ男爵が領地を訪れた時、抵抗しなかったのだろう。


 今にして思えば、大量の債権書類と海千山千の豪商による恫喝にこちらは完全に呑まれてしまったのだ。


 恥を忍んでシリウスや親交の深いレジェ伯爵家に助けを求める。全てを捨ててエステルと逃げる。……他にも取れる選択肢はあったはずなのに。

 今にして思えば些細なプライドが邪魔をして、どこにも相談できないでいるうちに首が回らなくなり、ポートリエの言いなりになる羽目に陥ったのだ。


 自分はなんて弱いのだろう。今ではこの水煙草の中身がよくないものだとわかっているのにやめられない。婚約破棄にあらがえなかったのも同じだ。戦うだけの強さが自分にはなかった。




 エステルに会いたい。

 どろりと濁った眼差しでライルは呟く。

 それが常識的に抱いてはいけない考えだとは既に阿片に脳をやられつつあるライルには思い至らない。


 第一王子に見初められたせいで、彼女は普通には会えない立場になってしまった。シリウスは所在が不明だ。今のライルに頼れるのはハイディしかいない。この間行った時は断られてしまったけれど、ハイディは優しいから、何度か頼めばいつか了承してくれるはずだ。




 秘密クラブを出たライルは、ふわふわとした気分のまま一路ハイディ・レジェの邸を目指した。

 その途上――


 何者かがライルの体に勢いよくぶつかってきた。

 ふらふらとよろけたライルが倒れ込んだ先には――

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