ある男爵令嬢の日常

「なんなのよあの女……これ見よがしに人前で殿下と引っ付いて……はしたないと思わないのかしら」


(また言いだしたわ)


 ソファに座り、爪を噛みながらぶつぶつと愚痴り始めたディアナを、ユフィルは呆れながら観察した。


 ユフィルが侍女として仕えるわがままお嬢様、ディアナ・ポートリエは、昨日出かけた王立歌劇場ロイヤル・オペラハウスで、エステル・フローゼスと出会ってしまったらしい。


 第一王子アークレインの婚約者として正式に発表されたエステルは、現代の灰かぶり姫シンデレラとして今や時の人だ。


(昨日は初演プルミエだったって話だし、王族が観にいらしてもある意味当然なのでは……)


 心の声はおくびにも出さず、ユフィルはおろおろとしている演技をしながらディアナの怒りがおさまるのを待つ。


(王子様はエステル嬢を溺愛してるって話だし、一緒に観劇したのならイチャイチャくらいするでしょうよ)


「あー! もう! 胸がムカムカする!」


 突然奇声を上げたかと思ったら、ソファからクッションが飛んできた。

 ディアナの力は深窓のお嬢様らしくへなちょこだ。クッションは大して飛ばず、ぽふんとソファからそう離れていない床に落ちる。


「ライル様もライル様よ! エステルの事をじーっと見たりなんかして! 婚約者は私なのに!」


(どう見ても自業自得です)


 相思相愛の二人の間に割り込んで、無理矢理お金の力で引き離したりするからそうなるのだ。エステルが王子様に見初められた今、一番割を食ったのはライルではないだろうか。


 ユフィルはライル・ウィンティアの精悍に整った容貌を思い浮かべて同情した。顔がいいせいでディアナに目を付けられてしまったのだから、実に可哀想な青年である。


 ライルはディアナの婚約者としてよく頑張っていると思う。


 やれ移動遊園地だ、やれ観劇だ、三日に一度は手土産を持って訪問しろ、いつも同じ店の焼き菓子ばかり買ってこないで、百合の花は香りがキツいから苦手なの――


 わがまま娘の要望に応えつつ、婚約者としてできる限りの配慮をしようと努力する姿は、使用人に過ぎないユフィルから見てもどこか痛々しい。


 ウィンティア伯爵領への資金援助がかかった婚約だから、下手に出ているのだろう。しかし彼が耐えている事は、北部人に多い紫の瞳が日に日に死んでいくのを見る限り明らかだ。


 あのうつろな瞳を見ていると、いつか張り詰めた糸が切れて爆発するのではという危うさを感じる。


「なんであんな地味女が殿下と……全然釣り合ってないのよ。身の程知らずもはなはだしいわ……」


 今日の荒れ方はまだマシだ。物を壊すのではなく、クッションを抱きかかえ、呪うようにつぶやくだけで済んでいる。

 それを聞かされるこちらはたまったものではないが、給金の為、と言い聞かせることで我慢する。


(今日はいつまで続くのかしら)


「お嬢様、落ち着いて下さい。ライル卿がエステル嬢を見ていたなんてきっと錯覚ですよ。だって三日に一度はこちらにいらっしゃって、綺麗なお花やお菓子を持ってきてくださるじゃないですか」


 ユフィルは気遣わしげな顔を作ってディアナをなだめる。


「ユフィルは昨日のライル様を見てないじゃない」


王立歌劇場ロイヤル・オペラハウスは一般庶民が入れるところじゃありませんからね」


 王立歌劇場ロイヤル・オペラハウスは上流階級のための社交場だ。一番安い席ならユフィルでもお金を貯めれば買えないことはないが、その次にはドレスコードという関門が控えている。


「殿下もライル様もあの女ばっかり見てるのよ。なんであの女ばっかり……!」


「街を歩いてると、もの凄く格好いい人が連れてる女性って普通な事が多いんですよねぇ。美形は美形に見慣れてるんですよ」


(エステル嬢は十分美人の範疇に入ってると思いますけどね……)


 確かにエステル・フローゼスはとびっきりの美人ではない。華やかなディアナと並ぶと恐らく見劣りするだろうが、よく見ると目鼻立ちは整っていて、清楚な気品がある女性だ。


「……つまり私が美人すぎるのがいけないのかしら」


「兄は隙のない完璧な女性は近寄り難いって言っていましたよ、お嬢様」


 ユフィルはディアナの機嫌を損ねないよう言葉を選んで相手をする。

 無難な言葉選びが上手なせいで、この厄介なお嬢様の側から離れられないことにユフィルは気付いていなかった。


 コンコンとドアがノックされたのは、いい加減愚痴に付き合うのに疲れてきた時だった。


「失礼します。お嬢様、フロリカ様がいらっしゃいました」


「フロリカが? すぐ行くわ」


 いそいそと席を立つディアナの姿に、ユフィルは内心ほっとした。ようやく愚痴から解放される。




   ◆ ◆ ◆




 フロリカは、ディアナが傾倒している占い師である。


 年齢は三十代前後、褐色がかった肌と黒い髪と瞳が特徴のロマ族の女性だ。ロマ族というのは、遊牧生活を送る流浪の民ジプシーの一部族である。

 常に華やかなロマの民族衣装を身にまとっていて、それが占い師という職業もあいまって彼女を神秘的に見せていた。


「……という訳なんです。私もう悔しくって」


 ユフィルがお茶の準備をして応接室に入ると、ディアナはフロリカに昨日の観劇での愚痴をぶつけていた。要は聞き手をユフィルからフロリカに替えたと言う事だ。フロリカは静かな表情でディアナの話に聞き入っている。


 室内はフロリカが持ち込んだ東洋的オリエンタルな香りのお香の匂いが立ち込めていて、ユフィルは思わず鼻の息を止めた。この匂いはどうにも苦手だ。


 資産家の中には信心深く、迷信や占いを気にするタイプが一定数いるというが、ポートリエ男爵はまさにそのタイプで、そんな父親を見て育ったディアナも影響を受けていた。


 ユフィルは占いなんて下らないと思うタイプの人間だ。だからつい白い目を向けてしまう。

 ただ、フロリカに愚痴をぶつけ、占ってもらった後は決まってディアナは落ち着くので、その点はありがたかった。


「お辛かったですね、お嬢様。……今日はいかが致しましょうか。ライル卿とディアナ嬢の相性を改めて占いましょうか?」


「いいえ、アークレイン殿下とエステル・フローゼスのこれからの未来を占ってちょうだい。上手くいくのかどうか臣下としては心配で」


 心配という言葉とは裏腹に、ディアナの顔は不幸になればいいのにと言っている。


「かしこまりました。カードで占ってみましょうね」


 フロリカは穏やかに微笑むと、綺麗な絵柄のカードを取り出しシャッフルを始めた。




「……波乱の気配が見られますね。お二人には近々試練が訪れるようです」


(誰にでも当てはまりそうな事をもっともらしく言うだけで一体いくらになるのかしら)


 お茶を出した後、ウェイティングルームへと退出したユフィルは、応接室から聞こえてきた占いの結果に思わず突っ込んでしまった。


 波乱のない結婚生活などあるだろうか。


 アークレインとエステルは、身分差としては妥当ではあるが、この国の第一王子にぽっと出の田舎貴族という格差が感じられる組み合わせだ。育った環境が違えばそれは揉め事の種となる。しかも第一王子は王位継承を巡る政治闘争の渦中の人だ。その結婚生活が前途多難な事は、貴族社会に詳しくないユフィルでも想像がつく。


「……昨日のライル様はずっとあの女の事を見ていたのよ。やっぱり未練があるのかしら……? それも占って貰える?」


 ディアナが依頼した追加の依頼を、フロリカは快く了承した。

 一通り占いが終わったら、恋愛の運気を上げるという触れ込みのお守りを渡す、というのがいつもの一連の流れだ。


(占い師と詐欺師の差がわからないわ)


 ユフィルはそんな事を考えながら、ぼんやりと窓の外を眺めた。

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