オペラハウスの再会 02
オペラの幕間は他の舞台芸術に比べると長めに取られている。更に今日は注目度の高い
自称友人はさておき、キーラを始めとする本当の友人との久し振りの再会は嬉しいけれど、人が次々にやってくるので深く言葉を交わす時間はない。
第一王子派の貴族を中心に大勢の人に笑顔を振りまいたので、エステルは顔の筋肉が引き攣りそうだった。
人が多いということは、言い換えると雑多な感情がごちゃまぜになっているという事だ。
エステルが一際深い負の感情に満ちたマナを感知したのは、幕間の終わり際、そろそろ
ちらりとそちらに視線をやって即座に後悔する。
ライル・ウィンティアとディアナ・ポートリエがこちらを見ている。特にディアナのマナが昏い。
ライルのマナも陰っているということは、恐らく二人の間は上手くいっていないのだろう。いい気味だと思う一方で、ライルには幸せになってもらいたいので複雑な気分になる。
アークレインと出会い、新たな恋心が芽生えたおかげでもう吹っ切れつつはあるけれど、エステルはライルが好きだった。
ライルが同じ熱量でエステルを想ってくれていたかはわからない。だけどライルもエステルに好意を抱いていたのは確かだ。ライルは幼なじみのエステルの事をまるで本当の妹のように可愛がってくれて、家族ぐるみで仲が良かったから、婚約の話もとんとん拍子に進んで決まった。
ディアナ・ポートリエさえ割り込んで来なかったら、エステルはライルと北部の田舎で穏やかな生活を築いていたはずだ。
ライルを見ると、アークレインへの想いとは別の部分で甘く苦いものが心を疼かせた。
好きで別れた訳ではない。ずっとウィンティア伯爵夫人になる事を夢見ていた。慣れ親しんだ北部でウィンティアとフローゼスの間を行き来し、両方の領地の架け橋となって生きていくのだと思っていた。手に入る直前で失われた理想に未練があるから、こんな風に感じるかもしれない。
「君の元婚約者達がこちらを見てるね。声をかけに行ってもいいけど、エステル、君はどうしたい?」
ライルとディアナから露骨に目を逸らすと、アークレインが声をかけてきた。エステルは首を横に振る。
「わざわざ波風を立てるような真似はなさらないで下さい」
「ディアナ・ポートリエは面白いね。自分の思い通りにした癖に、君の事が気に食わないって顔だ。あのタイプの人間を見ると挑発してやりたくなる」
「挑発って……何をなさるおつもりですか?」
「うーん、渾身の人を苛つかせる顔を向けてやるとか?」
思わずエステルは吹き出した。
「どんな顔ですか」
「うーん、ポートリエ男爵令嬢には見下す顔が効きそうだけど……」
アークレインはエステルを見て不敵な笑みを浮かべると、突然ぐいっと腰を抱き寄せた。
「アーク様!?」
「エステル、幸せそうに笑える?」
突然の密着に驚くエステルに、アークレインは蕩けるような笑みを向けた。
「幸せそうな顔を見せるのもたぶん効くよ。だから笑ってみて」
そんな事急に言われてもできない。動揺して目を白黒させるエステルの頬に、アークレインは顔を寄せてくる。
至近距離に近付いてきた秀麗な顔は、あと少しで頬に触れる、という所で止まった。見る人の角度によっては、頬に口付けているように見えるだろう体勢だ。
かあっと頭に血が上る。まるで自分の周りだけ時間が止まったみたいに、周囲に溢れる雑多な感情なんて気にならなくなる。
幸せそうな恋人の振り。なんて残酷な人なんだろう。でもエステルの心はそれを喜んでしまう。
本当に口付けてくれればいいのに。
(私が少し顔を動かせば……)
ちらりとよぎった考えを実行に移すことはできなかった。伯爵家の娘として育った倫理感が、そんなはしたない真似をしてはいけないと押し止める。
硬直しながら葛藤していると、幕間の終わりを告げるベルの音が鳴り響いた。
「効いてるみたいだ」
するりと身を離しながらアークレインが囁いた。
ライルとディアナの方向を見ると、二人して酷くマナを陰らせている。
ディアナの感情はなんとなく推測がつく。悪意に満ち溢れた結婚式の招待状を送ってくるような人物だ。エステルの事を下に見ていたから、アークレインに選ばれた事が許せないのだろう。
でも、ライルまでアークレインとエステルが密着するのを見て、強い負の感情を帯びているのはどうしてなんだろう。
(未練……?)
ライルもエステルの事を好きでいてくれた?
だとしたら、嬉しいと思う一方でとても悲しい。
ライルがエステルに気持ちを残しているとしたら、ディアナがエステルを睨み付けるのにも納得がいく。強引に手に入れた婚約者が元婚約者に想いを残していたらさぞかし腹立たしいだろう。された事を思えばこれっぽっちも同情はできないけれど。
「エステル、戻ろう」
アークレインに促され、エステルは
一昨年の大雨が無かったら。ディアナ・ポートリエが割り込んでこなかったら。
――たらればの仮定に意味なんてないのに。
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