オペラハウスの再会 01

 エステルは、緊張の面持ちでアークレインの隣に座り、国王夫妻と対峙していた。


 ここは王立歌劇場ロイヤル・オペラハウス。首都アルビオンの中心街に建てられた、もっとも格式の高い劇場である。


 エステルは、アークレインと共に、国王夫妻に誘われて観劇に訪れていた。


 国王の名で招待されたので、用意されていた座席は王族専用席ロイヤルボックスだった。


 舞台から向かって正面二階に設けられたこの特別席は、内装も調度も全てが一級品で揃えられており、王家の威光をふんだんに観客に見せつける造りになっていた。


 舞台に視線を向けると、一流の歌手達によるオペラが上演されているが、目の前に国王夫妻がいるせいでちっとも頭に入ってこない。しかしオペラを見ている振りをすれば国王夫妻と会話しなくて済むのはありがたかった。


 リーディスの暴挙を謝罪したい、という名目でエステルはアークレインと一緒にここに呼び出された。そして謝罪を受けて今に至っている。


 今日、エステルがここに来た目的はもう一つあった。

 トルテリーゼ王妃のマナがやはりエステルを見ると陰るのか、改めて確認して欲しいとアークレインから頼まれたのである。


 この至近距離だ。王妃のマナはわざわざ見なくても感知できる。しかし自分の目でしっかりと確認したくて、エステルはこっそりと王妃の姿を視界に入れた。


 王妃はオペラグラスを片手に舞台を眺めている。


 今日の公演は、おとぎ話の『いばら姫』を元に作られたオペラの初演プルミエだ。新しい演出は誰しも早く見たいと思うものなので、観劇するにあたって初演プルミエは特別なものだ。演者も裏方も気合いの入り方が違う。


 こんな状況でなければ、エステルも観劇を楽しんだだろう。しかしエステルは王妃のマナが気になってそれどころではなかった。約半月ぶりに見る未来の義母のマナは、穏やかに落ち着いていて、これまでエステルに示していた負の感情が嘘のように無くなっていた。


(認めて下さったという事……?)


 意味を考えてもわからず頭が混乱する。

 王妃の不可解なマナの動きはそれだけではなかった。




「今日はリーディスのことを謝りたくてあなた達を呼び出したの。改めて母として謝るわ。……でも、半分とはいえ血の繋がりのある弟のした事ですもの。アークレインはお兄様なのだから許してくださるわよね」


 オペラが始まる前の王妃の謝罪はどこか高圧的だった。

 許さないなんて言わせない。そんな迫力を感じさせる視線をアークレインに向けていた。隣のサーシェス王は、苦い表情を浮かべるだけで傍観していて、複雑な親子関係が伺える。


「義母上に言われるまでもなく許しておりますよ。リーディスは腹違いとはいえたった一人の私の弟ですから」


 アークレインはいつもの穏やかな笑みで返事をした。しかし本心でない事はマナを見れば明らかだ。


「アークレインならそう言ってくれると思っていたわ。いつもリーディスに良くしてくれる優しいお兄様ですものね」


 王妃は楽しげな笑みを浮かべると、どこか小馬鹿にするような口調で応酬した。しかし彼女のマナの色は、上機嫌になるどころか暗く沈み込んでゆくのでエステルは困惑する。

 まるでこんな態度本当は不本意なのだと言っている気がして――


 いや、そんな馬鹿な。エステルは慌ててその考えを打ち消した。

 視界に入れたくないくらい嫌い抜いているからとも解釈できる。

 だけど、王妃の態度とマナの色合いがどうにもちぐはぐな印象を受け、エステルは頭を悩ませる。


 直接心が読める異能ではないことが恨めしい。考えすぎて頭が痛くなってきた。エステルは王妃から視線を逸らすと、目を閉じてこめかみを揉みほぐした。




   ◆ ◆ ◆




 王立オペラ場は上流階級のための社交場だ。オペラの幕間は社交の時間である。客席からロビーに向かう人の群れに、エステルも国王夫妻やアークレインと共に混ざった。


 王族の登場にざわめきと視線が集まるが、身分の低いものからは話しかけてはいけないという暗黙の決まりがあるため誰も話しかけてはこない。

 

 アークレインはエステルを伴い、第一王子派の派閥の貴族たちに順番に声をかけていった。

 ほとんどがシエラ主催のティーパーティーで顔を合わせた女性達の関係者で、エステルが派閥に溶け込めるよう、最大限の配慮がなされていた事を改めて実感する。


 偶然とはいえ、崖崩れに巻き込まれたリシア・バレルを小旅行の帰り道で助けたことも大きかった。


 彼女はアークレインの推測通り、銀行家、ベルフィアス男爵家の一員だった。

 リシアとセディを助けたのはほぼアークレインの功績と言っていいと思うのだが、あの一件がきっかけとなり、ベルフィアス男爵家はエステルへの支持を表明してくれた。


 ロージェル侯爵家とベルフィアス男爵家が味方についた事で、エステルは派閥の中で未来の王子妃としての立場を固めつつある。

 しかし、その一方で、オリヴィア・レインズワースが色々と噂されるのを聞いてしまうと、素直には喜べなかった。




「こんばんは、ヴェルニー子爵、キーラ夫人」


 機械的に社交用の笑みを浮かべ、挨拶をする人形になっていたエステルは、友人の姿に自分を取り戻した。


「ローザリアの若き太陽、アークレイン殿下にエステル嬢。佳き夜の出会いに妻共々感謝致します」

「ローザリアの若き太陽、アークレイン殿下、今宵の出会いに感謝いたします」


 キーラだ。学生時代からの友人の姿に、エステルはほっとするのを感じる。


「エステル、この間のシエラ様のティーパーティでは沢山お話ができて楽しかったわ」

「それは私もよ。今日もキーラと会えて嬉しい」


 エステルは心からの笑みを浮かべた。

 南部の大きな港町を領地に持つヴェルニー子爵家に嫁いだキーラと知り合ったのは、エステルが首都の女学校に通っていた時だ。


 のんびりとした性格で包容力のあるキーラは、異能に覚醒した後も安心して付き合える友人だった。


 卒業後すぐに結婚してしまった彼女とは、お互いに色々な要因が重なって手紙だけの付き合いになっていた。


 派閥、領地間の物理的な距離、生活環境の変化、色々と理由は上げられるけれど、一番大きいのは派閥だろう。


 今までフローゼス伯爵家は中央の政争から距離を置くため、首都の社交には必要最低限しか参加してこなかった。


 その結果として学生時代にできたほとんどの友人とは距離が開いてしまった。キーラもそのうちの一人である。


「二人で並んでいる姿を見ると羨ましくなっちゃう。今が一番いい時期よね?」


 そういうキーラこそがエステルは羨ましい。


 彼女は、子供の頃からの恋を叶えてヴェルニー子爵に嫁いだ幸運な女性だ。

 ヴェルニー子爵とキーラは従兄妹同士だ。幼い頃から知っている関係性という所はライルとエステルに被る。


 キーラは初恋を実らせて幸せそうだ。ヴェルニー子爵との関係が良好なのは彼女のキラキラとしたマナに幸せそうな表情を見ればわかる。


 友人の幸福は嬉しいのに、もやもやとした気持ちが浮かぶ自分はなんて汚い人間なんだろう。

 エステルは暗い感情を心の奥底に押し込めると、キーラに向かって微笑みかけた。


「ありがとう。キーラこそとても幸せそう」


「ええ、控えめに言っても幸せよ。だって素敵な旦那様と結婚できたのに加えて、大好きなお友達との交流も復活したんですもの」


「私も大切な婚約者にあなたという友人がいて心強いですよ。機会があればエステルに会いに天秤宮にいらしてください」


 アークレインが会話に入ってきて、キーラはぽおっと頬を赤らめた。隣のヴェルニー子爵は一瞬むっとした表情を見せる。そんな二人の姿からは、仲の良さが窺えて微笑ましかった。


 ――ふと隣から強い視線を感じた。

 こっそりと視線の方向を確認すると、どこか見覚えのある女性がこちらをじっと見ている。


 誰だろう。思い出せないでいると、キーラが彼女に声をかけた。


「ナイトレイ伯爵令嬢……ですよね? お久しぶりです」


 キーラの発言で思い出した。エジュレナ女学院時代の同級生だったマチルダ・ナイトレイだ。と言ってもただクラスメイトだったというだけで、あまり親しくした記憶はなかったが。


「お久しぶりです、ナイトレイ伯爵令嬢」


 流れとしてエステルも無視することはできなかった。声をかけると、マチルダはぱっと顔を輝かせた。


「久しぶりね、エステル。お会いできて本当に嬉しいわ」

「エステルのお友達?」

「エジュレナでの同級生です」


 アークレインに尋ねられ、紹介すると、マチルダはその場でカーテシーした。


「ローザリアの若き太陽、アークレイン殿下にお目にかかります。マチルダ・ナイトレイと申します」

「デビュタントで一度お会いしていますよね? こんばんは、良い夜ですね、ナイトレイ伯爵令嬢」


 アークレインに声をかけられ、マチルダはあからさまに舞い上がった表情をした。


「エステル、ナイトレイ伯爵令嬢だなんて他人行儀だわ。久しぶりに会ったせいかもしれないけれど、学生時代のようにマチルダと呼んでください」


 マチルダの発言にエステルは心の中で失笑する。

 学生時代、マチルダをファーストネームで呼んだ事など一度もなかったし向こうから呼ばれた事もない。


 アークレインとの婚約発表からよく知らない友人と遠縁の親戚が増えた。これも有名税という奴だろう。


「ごめんなさい。久し振りに会うから、ファーストネームで呼んでいいのか迷ってしまって」


 エステルは当たり障りなくを心がけ、いつもの社交用の笑みを作った。

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