敗者の矜持 02
別のパウダールームに移動したエステルは、気まずい沈黙の中、オリヴィアと並んで崩れた化粧を手直しする。
「……ここに連れてきていただいた事には感謝いたしますが、私、あなたが嫌いだわ」
ぽつりとオリヴィアが口を開いた。
「ぽっと出の癖に殿下をさらって行くんですもの。あなたが羨ましくて妬ましい」
表情は静かだが、オリヴィアの中にはどろどろとした負の感情が渦巻いている。
エステル自身にも覚えがある感情だ。ライルをお金の力で奪って行ったディアナ・ポートリエが憎かった。
かける言葉が見つからなくて黙り込むと、オリヴィアははあっと息をついた。
「このような言葉をお聞かせしてごめんなさい。でも言わずにはいられませんでした。私、殿下を本気でお慕いしていましたから」
「オリヴィア嬢がそう思うのは仕方ないと思います。私も同じでしたから」
「……そうでしたね。でもあなたは……」
オリヴィアは途中で口ごもった。その後に続く言葉は、きっとエステルを責めるための言葉だろう。
「……どうかお幸せに」
押し殺した声での祝福にエステルは目を見張った。
「私からこのような言葉を掛けられるのは意外ですか? 確かにあなたが嫌いですが、だからと言ってあなたをどうこうしようとは思いません。そんな事をしても自分を下げるだけですもの」
ツンと顔を背けてそう告げるオリヴィアは、まるで血統書つきの長毛種の猫のように気高かった。
「あなたもそうではありませんか? ディアナ・ポートリエに何かなさろうと思いました?」
「いいえ」
夜会で出くわしたらワインを掛ける。泥棒猫となじってひっぱたく。
やってやりたいと考えはしたけれど、行動に移そうとは思わない。そんな事をしたら、エステルだけでなくフローゼス伯爵家の名誉も落としてしまう。
エステルは悟った。きっとオリヴィアも同じような思考の持ち主なのだ。ちらりと隣を窺うと、鏡の中の自分をじっと見据える彼女の横顔が見えた。
凛としていて綺麗な人だ。このような出会い方でなければ、友人としてお近付きになりたかった。
「オリヴィア嬢は私より大人でいらっしゃいます。元婚約者をディアナ嬢に奪われた時、私は幸せになって欲しいとは思えませんでした」
「……買い被りすぎです。私はそんなにできた人間ではありません」
静かに呟くと、オリヴィアは席を立った。
「一足先に私は会場に戻らせていただきますね。一緒に戻ったら目立ってしまいますから」
そう言い置くと、オリヴィアは綺麗に一礼し、パウダールームを去って行く。
(ごめんなさい、オリヴィア嬢)
エステルはその背中に謝った。
エステルの同情めいた感情なんてオリヴィアは望まないだろうが、謝らずにはいられなかった。
エステルの異能がアークレインに見つからなければ、きっと今もオリヴィアが彼の隣に立っていたはずだ。
ああ、でも、ある意味オリヴィアにとっては良かったのかもしれない。
アークレインは紳士的で優しいけれど、人を駒やカードのようにしか扱えない人だ。
一方、パウダールームからティーパーティーの会場に戻る道すがら、オリヴィアは自問自答していた。
(私はどうしてあんな言葉をエステル嬢にかけたのかしら)
エステル・フローゼスの前でだけはみっともない姿を見せたくない。その一心だったような気がする。
でもきっとそれだけではない。オリヴィアの中ではアークレインに対する怒りが熾火のように燻っている。
(殿下よりずっと上等な男性を掴まえてみせる)
身分や地位でアークレインに勝る人間はこの国にいなくても、人間性で彼よりも優れた男性はたくさんいるはずだ。
そんな男性を掴まえて、王子妃になるよりも幸せになってやる。
オリヴィアは唇を引き結ぶと心の中で呟いた。
◆ ◆ ◆
同時刻、アルビオン宮殿――
アークレインは決裁書類の提出のため訪れた獅子宮の廊下で、トルテリーゼ王妃と出くわし心の中で舌打ちをした。
トルテリーゼは赤薔薇に例えられる華やかな容貌に
「まあ、アークレインじゃない。陛下の所からのお帰りかしら?」
「ええ、義母上」
「もう少しこちらに来る頻度を上げても良いのではないかしら? あなたも婚約した事ですし、あの可愛らしいご令嬢ともっとお話をしてみたいわ」
ふふ、とトルテリーゼは上機嫌に微笑んだ。
「私本当に嬉しいのよ。あなたはずっとオリヴィア嬢と結婚すると思っていたから。あの子よりエステル嬢の方がずっといいわ。だってとっても純朴で大人しそうなんですもの」
北部の田舎貴族の娘などを未来の配偶者として迎えてくれてありがとう。地味で大人しそうで扱いやすそう。
言葉の裏に含まれた皮肉はこんなところだろうか。
「リーディスがくだらないちょっかいを出したようで本当に申し訳ないわ。私からも叱っておいたから許してもらえると嬉しいのだけれど」
「義母上のご配慮に感謝いたします」
「だってあなたの未来の奥様なら、私にとっては娘と言い換えてもいいんですもの。彼女のようなご令嬢を迎えるなんて、あなたにしては賢明な判断よ」
王位継承争いから自分から一歩後退するなんて愚かね。おかげでやりやすくなるわ。
王妃の発言の一つ一つに秘められた裏を、ついアークレインは邪推してしまう。
「リーディスもね、お姉様ができるようできっとはしゃいでしまったのだと思うの。本当に困ったものね。あの子の乱暴を謝罪する為にも、近いうちにエステル嬢とご一緒する機会を設けて下さらないかしら?」
「……こちらの予定も立て込んでおりますので考えておきます」
エステルは、トルテリーゼはこの婚約を歓迎していないようだと言っていた。しかし、目の前のトルテリーゼからはそんな素振りは全く見えない。
王妃側から機会を作りたいと言ってきている事だし、もう一度エステルと王妃を会わせてみるべきだろうか。
一礼して王妃と別れた後アークレインは思考を巡らせた。
今のところマールヴィック公爵家や王妃自身とフローゼス伯爵家の間に特別な何かがあるという報告は上がってきていない。
アークレイン子飼いの
エステルが嘘をついている? いや、異能による感情の読み取り方が間違っていると考えた方がいいのかもしれない。
あえて派閥の結束をさせて最終的に一網打尽にするつもりなのか、はたまたリーディスではなく、本当はアークレインに王位を継がせたいのか……いや、それはありえない。今までの王妃とマールヴィック公爵がアークレインに対して取ってきた態度を思い返し、即座に否定する。
様々な推測と一つ一つに対する対応を考えながら、アークレインは獅子宮を後にした。
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