敗者の矜持 01

(まるで砂上の楼閣ね)


 オリヴィア・レインズワースはシエラ・ロージェル主催のティーパーティーの席上で、周囲からの百八十度様変わりした視線を冷ややかに受け止めていた。

 冷笑、嘲笑、そして同情が入り混じった視線が降り注ぐのが煩わしい。


 『砂上の楼閣』はメサイア教の聖典から生まれた言葉だ。

 砂の上に建てられた家は基礎が弱く、何かのきっかけがあれば一瞬で倒壊する。


 社交界での立場もそれと同じだ。オリヴィアの場合、宮殿で開催されたニューイヤーパーティーで行われたアークレインの婚約発表によって周囲の態度が大きく変わった。

 その時のアークレインとのやり取りを、オリヴィアは心の中で反芻はんすうする。




 それは、あの晩餐の日、アークレインがエステルをエスコートして挨拶回りにやってきた時のことだ。


「おめでとうございます、殿下」


 決して本心ではない引きつった表情での祝辞を、アークレインはいつもの微笑で受け止めた。


「突然の事なので驚きました。正直……受け止めきれないでおります」


 私を選んでいただけると思っていたのに。


 言外にその想いを込めて見据えると、アークレインは笑みを真顔に変え、小さな声でオリヴィアに告げた。


「すまない。彼女に出会っていなければ、恐らく私は君を選んだと思う」


 そう言われた瞬間に湧き上がったのは、どす黒い嫉妬と焼き焦がすような思慕が入り混じった醜い感情だった。




 どうして? 何がいけなかったの? あの人と私の差は何?


 家に帰ってから何度も何度も自問自答し、目を泣き腫らしながら考えた。


 思い返せば、誰よりも王子妃に近い存在と持ち上げられてはいたものの、一度たりともアークレインから決定的な言葉を貰った事はなかった。


 初めてアークレインにエスコートしてもらったのは、ちょうど一年前、デビュタントの次に参加した夜会の時だ。

 これはオリヴィア自身が望み、父、トールメイラーからアークレインに頼んでもらって実現した。


 それからも度々パートナーが必要な場面で、お願いすればアークレインはオリヴィアをエスコートしてくれた。


 紳士的な態度に優しい眼差しを向けられたら、誰だって勘違いすると思う。王子様への憧れが恋心に変わるまで時間はかからなかった。周りからも未来の王子妃と噂され、いい気になっていた自分はまるで道化だ。


 哀しみに暮れながら考え続ける中で、オリヴィアはかすかな違和感を覚えた。


(エスコートして下さったのはお願いした時だけだったわ)


 加えてアークレインは何でも卒なくこなす優秀な人物だ。微笑みの仮面の下に感情を隠し、粛々と目の前の公務を処理していく人である。そんな彼が、何の理由もなくオリヴィアの願いを聞き入れ、未来の王子妃という噂を放置するだろうか。


(まさか、私の気持ちを利用していた……?)


 エステルが現れなければオリヴィアを選んだと彼は言った。それは、言い換えれば恋心を利用してオリヴィアをキープしていたという事ではないのだろうか。

 その可能性に思い至った瞬間心が冷えた。百年の恋も冷めるとはまさにこの事である。




 オリヴィアの視線の先には、シエラとシエラに親しい第一王子派の夫人たちに周りを固められ、様々な第一王子派の女性を紹介されているエステル・フローゼスの姿がある。


 エステルの側で談笑する中には、何故かこれまでオリヴィアに同情的だった銀行家のベルフィアス男爵夫人もいて、それがこのティーパーティーでのオリヴィアの立ち位置を更に複雑なものにしていた。


 艶やかな栗色の髪に赤紫の瞳、そして清楚な魅力を持つ伯爵令嬢。彼女の薬指には、瞳の色と同じロードライトガーネットの婚約指輪が輝いている。


 その指輪を見る度に、黒い感情がオリヴィアの中に湧き上がる。嫉妬と、怒りと。そしてそんな自分が酷く醜い生き物になった気がして自己嫌悪する。


 オリヴィアはエステル達から目を逸らすとぎゅっと手を握りこんだ。


「左腕に傷痕が残ったから……それを盾に殿下に婚約を迫ったに決まってます。本当はあそこにいるのはオリヴィア嬢のはずだったのに」


 小声で悔しそうに呟いたのは、オリヴィアの友人の一人、エマだった。


「滅多な事は仰らない方がいいと思うわ、エマ嬢」

「そうよ。エステル嬢は未来の王子妃になられる方なんだから……」


 他の友人達がすかさず窘める。皆顔色が悪い。そしてちらちらとオリヴィアの様子を窺ってくる。


「皆様の仰る通りよ、エマ嬢。あなたのお気持ちは嬉しいです。でも、誰かに聞かれたら大変な事になるかもしれないわ」


 せめてもの矜持を振り絞り、オリヴィアは友人たちに向かって微笑んだ。


 この友人達のうち、一体何人が今後も親しくしてくれるだろうか。

 オリヴィアは一人一人の顔を見つめながら、その背景にあるそれぞれ家の事情に思いをめぐらせた。


 遠縁のエマは恐らくこのまま側に残る。だけど他の子はわからない。学生時代からの友人とはいえ、卒業後の交友関係は社交界での立場が大きく影響する。


 オリヴィアはただでさえシエラに嫌われているので、このティーパーティーでは肩身が狭い。


 それは父、トールメイラーのせいだ。かつてトールメイラーは、恋に狂い、シエラとの婚約を破棄してオリヴィアの母との結婚を押し切った事でレインズワースの名声を地に落とした。


 そこから家の権勢を取り戻した手腕は素直に尊敬できる。しかし婚約破棄騒動の時にレインズワース家はシエラから深い恨みを買った。この会場に訪れた時のシエラの眼差しは、こちらに対する冷笑と優越に満ちていた。


 共にこのティーパーティーに出席するはずだった母、アデラインは年末からの体調不良が長引いているという名目で欠席した。

 一緒に欠席するよう勧められたが、その忠告を無視してここに来る事を決めたのはオリヴィアだ。最後に恋敵の顔と第一王子派の中での自分の扱いを見ておきたかった。


 レインズワース侯爵家は今後は第一王子派から距離を置く。そう父が決めた。この国では女性の地位は低いから、オリヴィアは父に従うのみだ。


 既にレインズワース家には、その動きを予測した第二王子派の有力貴族からのオリヴィアへの求婚の話が舞い込み始めている。


 兄や姉の配偶者の事を考えると、安直に第二王子派に付く事はないとは思うが、オリヴィアは今後、政略結婚の駒として使われる事になるのだろう。しかし貴族の婚姻とはそもそもそういうものだとオリヴィアは自分に言い聞かせた。


 父は母に恋し婚約者だったシエラを捨てた。

 アークレインも恋を知り、オリヴィアではなくエステルを選んだ。


 東洋には親の因果が子に報い、という言葉があるらしいが、なんともやるせない気持ちになる。

 だけど、オリヴィアの中で渦巻くこの屈辱と怒りは、一体どこに持って行けばいいんだろう。




   ◆ ◆ ◆




 化粧直しのためティーパーティーの会場を中座したエステルは、パウダールームの前に立つ珊瑚色の髪の令嬢から不穏なマナを察知して足を止めた。


 あんな珍しい髪色の女性は招待客の中に一人しかいない。オリヴィア・レインズワースだ。


「あら、エステル嬢」


 向こうに気付かれた。声を掛けられた以上は応じなければいけない。護衛として付き従うメイが身構えたが、エステルはその動きを視線で制すとオリヴィアに向き直った。


「オリヴィア嬢、こんなところでどうなされたのですか?」

「中から面白い会話が聞こえてくるんです。それで入るに入れなくて」


 困りました、と続け、小首を傾げて微笑むオリヴィアは、表情にはおくびにも出さずマナを陰らせていた。


 パウダールームの中から女性の声が聞こえてきたのはその時だ。


「これからどうされるのかしらね。オリヴィア嬢」

「さあ……貰い手には不自由なさらないでしょう? だって腐ってもレインズワース侯爵令嬢ですもの。アークレイン殿下よりずっと落ちる男に嫁がされるのには間違い無いでしょうけど」


 いい気味。あの方、昔から気に食わなかったのよ。亡命貴族エミグレの娘の分際で生意気だわ。


 パウダールームの扉の中には悪意あるマナが三つ。外に聞こえているとも気付かず、クスクスとわらいながらオリヴィアへの陰口を言い合っている。


「面白いでしょう? 誰が聞いているともわからない場所でこんなに大きな声で」


 オリヴィアは楽しげに声を掛けてくる。苦いものがエステルの中にこみ上げると同時に、醜い社交界の縮図に吐き気がした。


 上流階級に仲間入りする要件は、女主人が家事労働をしなくてもいい経済力を備えている事だ。

 暇と退屈を持て余した有閑マダム達は常に刺激的な話題に飢えている。ゴシップに人の陰口、弱い者いじめは彼女達の大好物だ。


 少し前はエステルもその標的の一つだった。ライルとの婚約破棄のゴシップから、尾びれ背びれに下衆の勘ぐりが入り交じった噂話をされて、極めて不快だった事を思い出す。


「これが殿下に少しエスコートして頂いただけで、勘違いしていた女の末路です。いい気味だと思われますか?」

「……いいえ」

「エステル嬢は優等生でいらっしゃるのね。同情して下さってます?」


 オリヴィアは冷笑を浮かべ、静かにエステルを観察している。


「……同情、なのかもしれませんね。少し前までは私もこんな風に好き勝手言われていましたから」


 これだから社交界は嫌いなのだ。エステルは深く息をついた。


「これではここは使えませんね。よろしかったら一緒に別のパウダールームに参りませんか? ご案内いたしますので」


 提案すると、オリヴィアは目をわずかに見開いた。


「……そう言えば、あなたは銃で撃たれた後、こちらで療養されていらっしゃったそうですね。ご案内いただけると助かります」


 場所を移す事に否やはなかったようだ。オリヴィアはエステルの提案に素直に頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る