予期せぬ来客

「エステル様、起きて下さい。お疲れかとは存じますが、殿下がそろそろ起こすようにと」


 ゆさゆさとエステルを揺さぶって起こしたのは、四日ぶりに見るリアだった。


 崖崩れに巻き込まれたリシア・バレルを助け、かつ迂回路を通って戻ってきたため、首都に辿り着いた時には既にとっぷりと夜が更けていた。そのためすっかり朝寝坊をしてしまったようだ。


 目覚めたエステルの視界に入ってきたのは、天秤宮の最奥にある自分の部屋だった。

 まだ体調が万全とは言えない為、昨日は共通の寝室ではなく初めて自室のベッドを使った事を思い出した。

 共通の寝室よりは狭いものの、使われている寝具は最高級のものなので寝心地は上々である。


「キルデアはどうでした? 殿下との仲は深まりました?」


 にまにまとしながら尋ねてくるリアが少し鬱陶しい。どうせなら二人の事情を知っているメイが起こしに来てくれた方がよかった。


「熱を出してしまったけれど、お祭りは殿下が異能で連れて行って下さったわ」


 嫌々ながら旅行の様子を話すと、リアはキャーっと黄色い悲鳴を上げた。


「殿下ったら優しい! 異能ってどういう事ですか? アークレイン殿下はリーディス殿下と違って確か空間転移は使えませんよね?」

「それは念動力で空を飛んで……」

「何ですかそれ!? 《覚醒者》の殿下だからこそできるやつじゃないですか! ファンタジーものの物語みたいですね……素敵……」


 きゃあきゃあとうるさいが、リアにこう話しておけば天秤宮の職員全体に、旅行先でもアークレインがエステルを丁重に扱ったという噂が駆け巡るはずだ。


「メイはどうしているの? 昨日から姿が見えないけど……」

「エステル様たちが旅行に行ってからは、ニール護衛官と一緒にずっと王室護衛官ロイヤルガードの訓練施設に行かれてますね。リーディス殿下の襲撃で何もできなかった事に思うところがあるようで、自分を鍛え直すと仰ってました」


 王族の《覚醒者》を相手にできるのは同じ王族の《覚醒者》しか居なさそうだが……。

 ヤンの血が入っているメイは妙に真面目な所があるので根を詰めていないか心配だ。


「一応私もエステル様をお守りする為の訓練は受けているんですよ。何かあった時には盾になるくらいならできますから」

「そんなことが無いように祈っておくわ」


 任せてください、という顔をするリアに、エステルは苦笑いした。


「それはそうとエステル様、今日はとっておきのお客様が来られるんですよ。だから頑張っておめかししましょうね」

「お客様? 何も聞いてないけれど誰?」

「それは秘密です」


 楽しげに笑うリアにエステルは首を傾げた。




   ◆ ◆ ◆




 軽く朝と昼を兼ねた食事を摂り、アークレインと来客が待つという応接室に入ったエステルは、ぱあっと顔を輝かせた。


「オスカー叔父様!」


 そこにあったのは、フローゼス伯爵領にて兄の名代を務めているはずの叔父の姿だった。


「一応俺も居るんだけど……」

「あら、お兄様も。でもどうして? 二人して首都に出てきて領地は大丈夫なの?」


 シリウスとオスカー、面差しのよく似た二人が並んで応接室のソファに座っている姿に、エステルは眉をひそめた。


「今年は雪も少ないし、領地にはパメラもいるから少しくらいは大丈夫だ。……どうしてもエステルの顔が見たくてね」


 パメラはオスカーの妻だ。オスカーとパメラの間には子供がいない。そのためか、この叔父夫婦はシリウスとエステルの兄妹を本当の子供のように可愛がってくれて、両親の亡き後は陰になり日向になりと二人をサポートしてくれる非常に心強い存在だった。


 物語では、主人公の両親が亡くなると、ハイエナのように財産を食い荒らす親戚が現れるという展開がよくあるが、叔父に関してはそんな心配とは無縁だ。


 オスカーは領地管理官ランドスチュワードとしてシリウスを支え、パメラは領主の女主人としての振る舞いをエステルに教えてくれた。エステルやシリウスにとっては第二の両親と言ってもいいくらいに頼もしい親族である。


 オスカーは父の弟なのでシリウスと容姿に共通点がある。しかしクラウスとシエラの母子の性格が違うように、オスカーとシリウスは顔立ちは似ていても性格がかなり違う。シリウスが適当でいい加減な所からがあるのに対し、オスカーは厳格で生真面目だった。


「二人がかりでエステルを大切にしろと脅されていた所だったんだよ」


 アークレインは二人の向かい側に座り、いつもの穏やかな微笑みを浮かべつつもマナを陰らせていた。


(お兄様達ったら一体何を言ったのかしら……)


 オスカーはともかくシリウスは傍若無人で怖い者知らずな所があるから、何か失礼な事を言ったのかもしれない。


 能天気に焼き菓子に手を伸ばすシリウスの姿を見て、エステルは頬を引っ張って問い詰めてやりたい衝動に駆られた。


「今日は殿下に直接お会いして挨拶したかったのもあるんだが……エステル、実は君の友人を連れてきたんだ」

「友人……?」

「後で厩舎に見に行くといいよ」


 オスカーとアークレインから口々に言われ、エステルはピンと来た。


「もしかして領地からルナリスを連れてきてくれたの!?」


 ルナリスはエステルの愛馬だ。栗毛の牝馬で、足の速さはそれほどでもないが、穏やかで優しい性格をした乗りやすい馬である。


「狩猟大会に出るって聞いたからな。必要かと思って叔父上にこちらに送って貰うようお願いしたんだ。まさか叔父上が直接連れてくるとは思わなかった」


(本当にルナリスを連れてきてくれたんだ!)


 シリウスの言葉にエステルの心は浮き立った。


「殿下に直接ご挨拶をしておきたくてね。これから長い付き合いになるだろうから」


 シリウスの言葉を継いだオスカーは、父親気分なのかアークレインに何とも言えない複雑そうな表情を向けた。マナを見るまでもなくオスカーとアークレインの間にはどこかピリピリとした空気が漂っていて、エステルは困惑の眼差しを向けた。




   ◆ ◆ ◆




 アークレインの勧めでエステルはオスカーとシリウスに天秤宮を案内し、自分が生活するスペースを見てもらった。そして最後の締めくくりに、全員で厩舎へ向かう。


 ここに来てから厩舎に足を踏み入れるのは初めてだ。お世辞にもいい匂いとは言えない馬の匂いに懐かしさを感じながら中に入ると、見慣れた栗色の馬の姿が確かにあってエステルは歓声を上げた。


「ルナリス!」


 馬は賢い生き物だ。エステルの姿を認めると、目を細めてこちらに向かって頭を寄せてきた。ルナリスに会うのは約三ヶ月ぶりなのに、ちゃんと主人の顔を覚えていたらしい。


「エステル様、よろしければこちらを」


 厩舎にいた厩務員が角砂糖を差し出してきた。するとそれを見たルナリスが、早く寄越せとばかりにいなないて前脚を引っ掻くような動作をした。


「わかったわかった。あげるから落ち着いて」


 角砂糖を乗せた手を差し出すと、ぺろりと舌ですくいあげ、ボリボリと味わって食べる姿がとても可愛い。


「お前、狩猟大会までにちゃんと練習しとけよ。横乗りはあんまり得意じゃないだろ」


 シリウスの指摘にエステルは固まった。


「えっと、狩猟大会って、横乗りじゃなきゃいけないの……?」


 狩猟大会の舞台は、王室が管理する首都郊外の森である。軍事訓練という側面も持つ為、森までは全員が馬で移動する決まりだ。

 そして男性が森に入って獲物を追いたてている間、女性陣は森の手前に天幕を立て、優雅にピクニックという名の社交をするのだ。


「トラウザーズタイプの乗馬服で参加する女性はいないから自然に横乗りになるよ。狩猟大会用の乗馬用ドレスは既に仕立ててあるはずだけどもしかして見ていない? ドレスルームのどこかに入ってるはずだけど」


 アークレインが補足した。


「首都の貴婦人やお嬢様は馬にまたがるような乗り方はしないだろ。田舎と一緒にしちゃ駄目だ」


 シリウスの指摘は至極もっともである。うっかり失念していた。淑女といえば、普通はドレスで横乗り用の鞍を使い、足を晒さないように馬に乗るものだ。


「もしかしてエステル、横乗りはできない?」

「普通に歩かせる事くらいならできると思いますけど……正直得意ではないですね。領地ではまたがって乗っていたので」


 横乗りは体重のかかり方が偏る為、馬にも人にも負担がかかる。更に普通に跨って乗る以上の技量も要求される。


「練習するなら付き合うよ。週に一、二回なら時間が取れると思う」

「よろしくお願いします……」


 アークレインの提案に、エステルは力なく返事をした。




「殿下はエステルのことを大切にして下さっているんだな。多少無理をしてでもこちらに来てよかった」


 オスカーは最後にそう告げてシリウスと共に天秤宮を辞した。今日はホテルで一泊し、明日には領地に戻るとの事だった。


 その溺愛は演技だけど、できる限りの事はしてくれている。だからこれ以上は望んでは駄目。エステルは心の中で呟いた。

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