帰路 02

「お願いします! そこに息子が挟まれているんです。お願い、早く助けてぇっ!」


 アークレインが馬車の扉を開けた途端、女性の悲痛な声と子供の泣き声が聞こえてきた。


 絶対に出るな、と言われても外が気になる。エステルは馬車の窓から顔を出し、前の様子をうかがった。


「エステル様、まだ出てはなりません」


 声を掛けてきたのはネヴィルだ。エステルの警護の為に馬車の側に一人残っていたらしい。


「襲撃ではないのよね? ならば私たちにも何かできることがあるのでは?」


 制止を無視し、エステルは外へと飛び出した。


「エステル様!」


 一歩外に出ると、崩落した崖から流れ出て道を塞ぐ土砂と横転した馬車が視界に入ってきた。


 よく見ると、馬車を引いていた馬は横倒しになってピクピクと痙攣している。その近くにはピクリとも動かない二人の男性が倒れており、こちらの護衛官が様子を確認していた。


 その側では、三十代前後の女性がアークレインにしがみつき、必死に崩れた土砂に向かって子供を助けて欲しいと訴えていた。身に着けた衣装は明らかに高級品で、横転した馬車の主人であることがうかがえた。彼女もまた怪我をしていて頭から血を流している。


「ネヴィル、座席を上げるのを手伝って!」


 馬車の座席の下は物入れになっており、小旅行のための荷物と一緒に、道中何かあった時のための野営用の道具や救急箱などが積み込まれている。


 ネヴィルは熊のように大柄だ。エステルが手を出すまでもなく軽々と座席を上げてくれた。


 エステルは一旦馬車に戻って救急箱を掴み出すと再び外に飛び出す。するとアークレインがエステルに気付きこちらを見た。


「エステル! 馬車にいるんだ。女性が正視できる状況では……」

「応急処置くらいなら私にもできます!」


 エステルはアークレインの言葉を遮り、救急箱を抱えて倒れたままピクリとも動かない男性二人の元へと向かった。


 一人はもう駄目だ。首があらぬ方向に折れており、明らかに事切れている。

 もう一人は右足に酷い怪我を負って呻いていた。護衛官が止血のために布を当てて押さえているが、布も破れた衣服も真っ赤に染まっている。


「単なる外傷ですか? 骨の状態は?」


 救急箱の中を漁りながら尋ねると、処置中の護衛官は戸惑いながらエステルの方を見た。


「傷は骨まで達していて折れています。その……むき出しになっていてかなり酷い状態なので処置は我々が……」

「開放骨折という事ですね? 大丈夫です。もっと酷い状態の方を処置した事もありますから」


 ガーゼと包帯を手に怪我人の側に移動すると、護衛官は戸惑いながらも場所を譲ってくれた。

 止血に使っていた布を剥がすと、ズタズタになった患部が見えた。確かに傷口は骨まで達していて、白い骨が無惨にも折れているのが見える。


 エステルは折れた骨の上にガーゼを積み上げて保護してから、止血の為患部に包帯を巻いていった。


「キアン、怪我人はエステルに任せて良さそうだ。お前はこちらを掘り起こすのを手伝ってくれ。ネヴィルもこっちを」


 迷いなく処置をしていくエステルを見て任せてもいいと判断してくれたのだろう。アークレインは怪我人の止血をしていた護衛官に声をかけると、崩れた倒木と土砂の山へと向かった。


 ちらりと視線をやると、女性の視線の先、倒木と岩の隙間に折り重なるように挟まれている男性と小さな男の子の頭が見えた。

 男性は男の子を庇うように覆い被さっていた。そのおかげか男の子は一見すると無事に見えた。男の腕の中でわんわんと大泣きしている。男の方はかろうじて息はあるが、酷く苦しそうだ。


「セディを……お願いします。セディを助けて」


 女性は祈るようにアークレインにすがり付いた。疲れたのか、それともどこか怪我をしているのか、男の子のしゃくりあげる声は、だんだんか細くなっていく。


「崩れないよう異能で支えるから、お前たちは二人を救出しろ」


 アークレインの指示を受けて護衛官たちが動き出した。てこの原理などを駆使し、少しずつ倒木と土砂を取り除いていく。そしてアークレインの体から立ち上ったマナが念動力の壁となり、男性と男の子を覆った。


 土砂の下敷きになっている二人に対してエステルができる事はなさそうだ。目の前の怪我人に向き直ると、近くに落ちていた壊れた馬車の一部らしい手頃な木の板を足にあてがい、副木として足に固定した。


 骨折の処置はこれでいいはずだ。怪我人の様子を見ると、血を流しすぎたのか顔を蒼くして震えている。保温してやらなければ。エステルは一旦馬車に戻り、ブランケットを取ってくると男の身体にかけてやった。

 次は固唾を呑んで救出を見守っている女性だ。


「ご子息はアーク様に任せておけば大丈夫ですから手当てをしましょう。あなたもお怪我をされていらっしゃいますよ」


 エステルはその場に膝を突き、女性と目線を合わせた。


「あの……あの方はもしや、第一王子殿下……」


 女性は少し落ち着いたのか、周りを見る余裕ができたようだ。

 異能を使う金髪碧眼で、かつ眉目秀麗な青年なんて他にいない。


「はい。だからきっと大丈夫です。ここは危ないかもしれないので少し離れましょう」


 エステルは女性に寄り添うと、救出している様子は見えるけど、危険はなさそうな位置まで移動させた。


「痛むのは頭だけですか? 他に痛い所は?」

「体中が痛いです。馬車の中であちこちぶつけたので……でも、ちゃんと動くのでそんなに大した事はないと思います……」


 女性はかたかたと震えている。男の子の様子が気になって仕方がないのだろう。


「セディがぐずったんです。馬車の中は飽きたと言って。それで従者バレットの馬に……泣き喚いても暴れても無視すれば良かった」


 女性の目から涙が堰を切ったように溢れ出した。エステルは女性の背中に手を当てて、宥める為に優しくさすった。


「大丈夫。きっと大丈夫ですから」




   ◆ ◆ ◆




 結論から言うと女性の息子――セディは助かり、それを腕の中に庇った従者バレットの男は駄目だった。どうにか倒木を持ち上げて隙間を作り、セディを引っ張り出した時には既に息を引き取っていた。セディがかすり傷で済んだのが不幸中の幸いである。


 生存者はリシア・バレルと名乗った女性とセディ、そしてリシアの家に仕える御者の三人だった。御者はエステルが応急手当を施した足の骨を折った男性である。


 一行はエステル達と同じく、首都からキルデアにスカイランタンの見物に出かけた観光客で、その帰り道にこの災難に遭ったという事だった。


 リシア達は護衛官が近隣の村から呼んできた応援の人手に任せる事になった。

 というか、リシア側が恐縮して、アークレインの手助けを遠慮したのである。


「ローザリアの若き太陽、アークレイン殿下。今日のご恩は決して忘れません。改めてお礼に伺わせていただきます」


 そう告げるリシアの物腰は上品で、その所作からは富裕層に属する人間である事が見て取れた。




 これからエステル達は崩れた道を迂回して首都に戻る予定である。


「こんなに晴れていても崖が崩れる事ってあるんですね」


 動き出した馬車の中、エステルはぽつりと呟いた。


「地盤が緩んでいたのかもしれないね」

「少しタイミングがズレていたら、ああなっていたのは私たちなんですね。そう思うとゾッとします」

「……そうだね。ヤンには天の配剤という言葉があるそうだけど、今回のこれはもしかしたらそうだったのかもね」

「え……?」


 首を傾げるエステルに対して、アークレインは意味深な笑みを向けてきた。


「リシア・バレルにその息子の名前がセディ。恐らく本名はセドリックだろうね。ベルフィアス銀行の現総裁の末娘と孫の名前と一致する。バレル夫人の顔は、ベルフィアス男爵夫人にそっくりだったし、あの身なりと所作からして間違いないと思うんだ」


 エステルは目を見開いた。ベルフィアス男爵家はポートリエ男爵家に並ぶローザリアの財閥である。ポートリエが東洋との貿易で財を成したのに対して、ベルフィアスは銀行業で成した資産を新大陸の植民地コロニーに投資する事で莫大な富を得た。


「ベルフィアスは元々こちら側ではあるんだけど……今回の事で私は先方に更に恩を売ったという訳だ。エステルも良く頑張ったね」


 ねぎらうような微笑みに、空恐ろしいものを感じてエステルの背筋が冷えた。


(まるでチェスをなさっているようだわ)


 人は駒。状況は盤面。アークレインの穏やかな笑みをたたえた顔は指し手のそれだ。


(私もこの人にとっては駒に過ぎない)


 知っていた。だけど改めて思い知らされると心が痛む。彼に向けられた恋心は、駒でも役に立てるのならいいのではないかと語りかけてくるけれど。

 その一方で、駒では満足できない欲深い自分も存在する。いや、むしろこちらが本音だ。どうせなら共に並び立ち、愛し愛される伴侶になりたい。相反する二つの想いが心の中でせめぎあう。胸がしくしくと痛んで苦しかった。


「エステルの中には意外性が色々と隠れているね。随分と怪我人の手当てに慣れているようだったけれど、どうしてなのか聞いても構わない?」


 アークレインの目は値踏みする眼差しだ。エステルの価値がはかられている。


「うちが飛竜の生息地だからです。竜伐には怪我がつきものですから」

「竜伐は領主の仕事だって聞いたけど」

「ええ。基本的には領主の、そして男性の仕事です。山に住む精霊は女を嫌いますから」

「……北部土着の精霊信仰だね。本で読んだことがある」


 ローザリアで広く信仰されているメサイア教は、古代ラ・テーヌ王国がこの地を征服した時に持ち込んだ宗教である。

 古代ラ・テーヌ王国は優れた魔導技術を持ち、古代遺物アーティファクトをこの世に残し滅亡した古代王国だ。

 彼らは土着の原住民族を征服する際、文化の破壊と宗教弾圧を行い人心を制圧した。


 しかし、人の心に根付いた信仰はラ・テーヌの教化政策の中でも密かに生き残った。北部の精霊信仰はそのうちの一つである。


「よくご存知ですね」

「確か山に住む精霊は女だから、女性が山に入ると嫉妬して雪崩を起こす、という民間伝承があるんだよね?」

「はい。ですから竜伐銃が使える女は、男性の不在時に備えて射撃の訓練はしますが竜伐自体には参加しません。医療の知識は領地の為にできる事は何でもしたかったので学びました」


 実際その知識と経験は、昨年の長雨の被災地を見舞う時にも役に立った。目を背けるような酷い怪我人でも平然と対応できるのは、もっと過酷な現場をその時に見たからだ。


 射撃も、応急処置も、淑女としての知識や振る舞いも、全ては領地の為に。エステルを構成する原点は北の故郷にある。そんなエステルをアークレインは静かに見つめていた。

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