空に希う 02

 翌日のエステルはベッドから起き上がれなかった。ここに来て疲れがどっと出たのか、熱を出してしまったのだ。


(なんでよりによって今……)


 折角の旅行なのに。しかも明日はお祭りがあるのに。


 昨日までは凄く楽しかったのだ。ジャックが作ってくれた新鮮な海の幸をふんだんに使った食事は美味しかったし、アークレインをソファに追い出して久し振りにのびのびとベッドで眠れた。窓から見える海も慣れない宮殿生活で疲れた心を癒してくれた。


 楽しんだ後に倒れるなんて、興奮しすぎて熱を出す子供みたいで恥ずかしい。


 今日は何事もなければ街に出て、色々な屋台や露店を巡るはずだった。豊漁祭という名目で行われるスカイランタンを飛ばすイベントを控え、街は華やかに飾り付けられて沢山の出店で賑わっているらしい。


(アーク様の足を引っ張ってしまったわ)


 アークレインはエステルを気遣ってか街には出ず、コテージの中で過ごしている。何も無ければ今頃は楽しく街を見物していただろうに、巻き添えにしてしまった事がひたすらに申し訳なかった。


 そのアークレインは隣の寝室へと移動した。

 ただ熱が出てだるいだけなので恐らく過労だろうという診断だったが、風邪だった場合移してしまう可能性がある。


 エステルの体調不良で得をしたのは、旅行に随行した護衛官たちだ。警護対象の二人がコテージに引き篭もっているので、交代で休みを与え、街に繰り出す許可を与えたらしい。護衛官たちは申し訳なさそうにしていたが、職員たちの福利厚生は重要だと思うのでエステルに否やはなかった。




「エステル、入るよ」


 浅い眠りを繰り返していると、ノックと共にアークレインがトレイを片手に入ってきた。


「チャイという飲み物を持ってきたよ。色々な香辛料が入ったミルクティーらしい。サラがこういう時に効くからと言って作ってくれた」


 エステルはベッドから身を起こす。途端にくらりと眩暈がして頭を抑えた。


「大丈夫? 辛いなら横になっていたほうがいい」

「大丈夫です。少しくらっとしただけなので」


 エステルは力なく微笑むと、アークレインからカップを受け取った。すると甘さの中に何種類かの香辛料が混ざった複雑な香りがふわりと鼻から入ってくる。


「ガンディアの飲み物みたいだね。私も試しに飲んでみたけど、甘くて美味しかったよ」


 アークレインの勧めに従ってチャイに口を付けると、ピリッとした甘みが口の中に広がった。


(これは何だろう。生姜にシナモン、それに少し胡椒の味もするような気がする)


「美味しいですね。体が温まる感じがします」

「そういう効果のある香辛料をブレンドして入れてあるみたいだね。それと温石を持ってきたよ。温石には私のマナを入れてあるから丸一日程度はもつと思う」


 アークレインは魔導式の温石を布団の中に入れてくれた。熱のせいで寒気がするのでありがたかった。


「宮殿でゆっくりした方が良かったかな」

「申し訳ありません……折角お祭りの為にここに連れてきて下さったのに」

「好きで倒れる人はいない。ゆっくり休みなさい」


 優しくされると自分の不甲斐なさに泣きたくなる。

 落ち込むエステルの頭にアークレインの手が触れた。ぽんぽんと宥めるように撫でると、するりと離れていく。


「あの……もし明日になっても熱が下がらなかったとしても、私に遠慮なさらないで下さいね」

「一人でスカイランタンに行けと?」


 呆れたような視線が向けられた。


「男一人で行くような所じゃないよ。そんな事よりもエステルが今すべき事はゆっくりと休む事だ」


 そう告げると、アークレインは寝室を出て行った。

 エステルはまだ中身が残っているカップをベッドサイドのテーブルに置くと、再び横になり、目元を腕で隠した。




   ◆ ◆ ◆




 薬湯が効いたのか、エステルは昏々こんこんと眠り続けた。

 食事の時間になると、サラが追加の薬湯や食事を持ってきてくれる。


 折角海の近くに来たのに食欲がない為、消化の良い病人食のようなものしか喉を通らないのが悲しい。出された麦のお粥には、海の幸で取ったスープが使われていたが、オイル漬けやフライなど、もっと色々な食べ物が食べられるはずだったのに。


 悔しい思いをしながらも浅い眠りと覚醒を何度も繰り返した結果、マナによる自然回復も働いたのか、どうにか翌日の夕方には熱が下がり、少しの間なら体を起こせるようになった。


 冬至を過ぎて少しずつ昼の長さは伸びているとはいえ、まだ五時を少し過ぎたくらいだというのに外は既に真っ暗だ。今頃街ではスカイランタンに備えて人でごった返しているに違いない。


 ベッドの中でぼんやりしていると、サラが食事を持ってきた。

 トレイにはトマトベースの具沢山なスープに白く柔らかなパン、カスタードプディングが載っている。


「お昼に食欲が戻ってきたと仰っていたので、品数を増やしてみましたが食べられそうですか?」

「大丈夫だと思うわ。ありがとう」


 エステルはトレイを受け取ると、ベッドに座ったまま食事を始めた。


「エステル様は殿下に大事にされていらっしゃいますね。自分だけ良い物を食べる訳にはいかないと仰って、昨日から同じ物を召し上がっていらっしゃるんですよ」

「え……?」


 思いもよらないサラの言葉にエステルは瞠目した。

 昨日からのエステルの食事はほぼ病人食で、成人男性が食べるには明らかに物足りなかっただろうに。


 どくりと心臓が跳ねた。


「教えて下さってありがとうございます。サラ、殿下は優しい方なんですね」

「ええ、ご縁があって殿下にお仕えできて、私も主人も本当に有難い事だと思っているんですよ。その殿下に大切な方ができて本当に良かった」


 ニコニコと嬉しそうなサラの様子にズキリと胸が傷んだ。

 大切にはされている。でもそれは皆が思っているような意味ではない。


「それでは私は一旦下がらせていただきますね。また後ほど食器を取りに参ります」


 そう告げると、サラは一礼して部屋を出て行った。

 エステルは物憂げな視線を食事に向けると、スプーンを手に取った。




   ◆ ◆ ◆




「エステル、起きてる?」


 アークレインが顔を出したのは、食事を終えて持参した本を読んでいる時だった。


「アーク様……昨日から私と同じ食事を摂られていたというのは本当ですか?」

「私も実はちょっと風邪気味で、あまり重いものを食べたい気分ではなかったんだ」


 絶対に嘘だ。だけど優しい嘘に心の中に火が灯る。


「随分顔色が良くなったように見えるけど気分はどう? 起きていても平気?」

「はい。あまり動き回る事はできませんが、体を起こすくらいは大丈夫になりました。明日にはもっと回復するはずですので、予定通り帰れると思います」

「日程には余裕があるから滞在が一日伸びても大丈夫だよ。だから無理だけはしないで欲しい」

「アーク様、お気遣いありがとうございます」


 お礼を言うとアークレインは立ち上がり、室内のクローゼットを漁り始めた。


「アーク様、一体何を……」


 戸惑うエステルを他所に、アークレインはエステルのコートやら帽子やら、防寒着を中から引っ張り出す。


「これを着て。もう少しでスカイランタンが始まるから見に行こう」

「え? さすがにまだそんなに歩けるほどの体調では……」


 アークレインは指先をエステルに差し伸べた。その手からマナが放出され、布団が念動力で剥ぎ取られる。


「異能で連れて行ってあげる。外はかなり気温が下がってるからしっかり着込みなさい」


 ポカンとするエステルの膝の上に、どさどさとアークレインがクローゼットから取り出したものが落とされた。

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