異能の訓練 02

 次に気が付いた時、エステルの視界に入ってきたのは、馬車の外をじっと見つめるアークレインの上半身と麗しい顔だった。


(何!? どういう状況!?)


 混乱したエステルが身動ぎすると、アークレインはこちらを上から覗き込んでくる。


「良かった。気が付いた。ごめん、ちょっと強引だった」


(近っ! いえ、それよりも、頭の下に何か温かいものが)


 これはもしやアークレインの足、なのでは……


 周囲を見回したエステルは固まった。

 馬車の中でアークレインに膝枕をされていたからだ。しかも体には、元々馬車に置いてあったブランケットと合わせてアークレインのコートが掛けられている。


(わ、私、変な顔で寝ていたのでは……いえ、それよりも)


 汚してないかを確認しなければ。よだれを垂らしていなければいいのだが。

 さあっと青ざめたエステルは、がばりと身を起こすとアークレインのトラウザーズを確認した。よかった。大丈夫みたいだ。


「……意外に大胆だね」


 頭上から降ってきた声にかああ、と顔が熱を帯びた。


(私、なんてはしたない事を)


「も、申し訳ございません!」


 男性の下半身にぺたぺたと触れてしまった。目を白黒させながら謝ると、おでこにアークレインの手が伸びてきた。


「熱は無さそうだね。それだけ動けるなら気分は悪くないと判断してもいいのかな? 覚えてる? 私が君にマナを流したせいで君は気を失ったんだ」

「あ……」


 アークレインの言葉に直前の記憶が戻ってきた。


「アーク様、酷いです! 気持ち悪いからやめてって言ったのに……」

「ごめん、そこまで酷い反発じゃなかったからいけると思って……」

「何のためにあんな事したんですか」


 他人のマナが体の中に入り込む感覚はものすごく気持ち悪かった。思い出すだけで鳥肌が立つ。

 睨み付けると、アークレインにしては珍しく申し訳なさそうな表情を見せた。


「マナを循環させるための経路を覚えてもらおうと思ったんだ。まさか気を失うとは思わなかった」


 言いながらアークレインは馬車の床に落ちていたブランケットとコートを拾うと、エステルの膝にかけてくれた。起き上がった拍子に落としてしまったらしい。


「あの、アーク様、起きたのでこちらは大丈夫です。お返しします」


 エステルはコートをアークレインに手渡した。コートを受け取ったアークレインは一旦立ち上がるとエステルの向かいに座り直す。エステルもまた姿勢を正した。


「私、一体どれくらいの時間眠っていたんでしょうか?」


 エステルが尋ねると、アークレインは懐中時計を取り出してこちらに見せてくれた。


「一時間ちょっとって所かな」


(そんなに……)


「気分はどう? 体に何かおかしい所はないかな?」


 アークレインに尋ねられ、エステルは全身を点検した。


「特に問題はないと思います。強いて言えば少し胸のあたりがポカポカしているような……」

「そっか。今ならもしかしたら体のマナが動かせるかもしれないね」


 エステルは胸元に視線を落とした。マナが銀色の光となって渦巻いているのが見えた。


「試してみます」


 そう宣言し、エステルは目を閉じた。左手を心臓の上に添え、深く呼吸する。

 

(動け)

 

 胸元の温もりに命じると、微かに何かが動くような気配があった。

 だけど、それを更に動かすのはとても難しい。


(動いて……もっと……)


 強く念じてもほんの少し動かすのが精一杯だ。


 エステルはアークレインのマナが侵入してきた感覚を思い出した。気を失う寸前に感じた、何かが引き出される感覚。あれは恐らく経路をこじ開けられた為に発生したものだ。


 経路の位置は覚えている。だけどなかなかそこまでマナを持っていけない。


 不意にがたりと馬車が揺れた。道に溝でも出来ていたのだろうか。残念ながらそのせいで集中が途切れてしまった。


「……上手くできた?」


 目を開いたエステルに気付いたのかアークレインが声を掛けてきた。


「難しいですね。ほんのちょっとだけマナが動いた感じはありましたが……循環まで持って行ける気がしません」


「訓練を始めたばっかりはそんなものだよ。動く感覚があるのなら上等かな。私もそうだった」


「マナが体の中を循環するようになったら、異能も強くなるんですか?」


「間違いなく強くなると思うよ。地道に訓練を繰り返す事でマナは増えるし制御力が上がって効率よく力が使えるようになる」


「マナって増えるものなんですか?」


「増えるよ。と言っても訓練で増える量なんてたかが知れてるけどね。本来ならエステルも、国に《覚醒者》である事を届け出ていたらとっくの昔に教えられている事だよ」


「……私は異能について全然何も知らなかったんですね」


「そうだね。でもそれはこれから知っていけばいい。幸いある程度は私から教えられる」


 アークレインはそう言ってエステルに微笑みかけた。頼もしさが感じられる自信に満ちた笑みだ。


「王室では《覚醒者》とは、魔導具に頼らず体内のマナを引き出し特殊な技能を行使する者、と定義している。マナを行使した時に発現する結果は様々だ。代表的なものは念動力。いまローザリアで確認されている《覚醒者》の能力のほとんどはこれだ。リーディスは念動力に加えて空間転移の異能が使える。過去には火を出したり、箱の中にあるものを透視する異能を発現させた《覚醒者》もいたらしい」


 発火能力と透視能力だ。聞いた事がある。それ以外にも精神感応や読心、遠視など、長い歴史の中で様々な異能が報告されている。


 アークレインは自分の袖口からカフスを外した。そのカフスは、エステルに渡された魔導具の指輪と対になっているものである。


 外したカフスを手の平に乗せると、アークレインは心臓のマナをゆっくりと手の平へと移動させた。そして手の平からマナが放出されると、ふわりとカフスが浮き上がる。

 念動力だ。アークレインは器用にマナを操作すると、カフスをくるくると回転させた。


「私の場合はこんな風に心臓から手の平にマナを放出すると念動力が発動する。かつて透視能力を持っていた者は、目からマナを放出する事で、箱や建物の中を見通したらしい。でもエステルは望む望まないに関わらずマナが視えてしまうんだよね?」


「はい」


「これは仮説になるけれど、エステルの場合、異能が覚醒した時に心臓から目の間にマナを通す経路が自覚しないまま通ってしまっていて、マナが垂れ流しの状態になっているんじゃないかなと思うんだ。マナの循環を通してその経路を見つける事ができれば、異能を使う使わないの選択ができるようになるかもしれない」


 エステルは目を見張った。それは猩紅熱で倒れ、異能に目覚めてからずっと願っていた事だ。


「もちろん期待できる効果はそれだけじゃない。意図的にマナを目に流す事ができれば、能力の範囲が広がる可能性がある。確か前に目で視認できない場合の感知範囲は自分を中心とした半径五メートル程度だって言ってたよね?」


「ええ。そのくらいです」


「その感知範囲がもし倍に広がったとしたら、かなり有用性が広がると思わない? 建物の上下階に潜む不審者を確実に感知できるようになるし、火災や土砂災害の現場などで、遠く離れた安全な場所から生存者を探す事も可能だ」


 エステルは目を見張った。災害現場で自分の異能を使おうと考えた事などなかったからだ。


 去年、フローゼス伯爵領は長雨で大きな被害を受けた。

 洪水と土砂災害で何人もの領民が犠牲になっている。エステルにもっと想像力があれば、現場に駆け付けて領民を助ける手助けができたかもしれない。


「私……どうしてそこに思い至らなかったんでしょうか」


 感情が見えてしまうわずらわしさばかりに気を取られ、異能が領地の役に立つという事に気付いていなかった。


「これから役に立てていけばいいんだよ」


「そう、ですね……今の立場では天災が発生した危険な現場に行く事はなかなかなさそうですが……」


「私の理想は王ではなく、適当な王家直轄領を貰って地方領主としてのんびり過ごすことなんだ。もしそうなったらエステルは領主夫人だね。災害の時には確実に戦力になる」


「不確定な未来のお話ですね。でも、そうですね……そうなったらいいですね」


 宮殿を出て地方の領主に。それはエステルにとっても理想的な未来だ。


 だけど果たして王妃とマールヴィック公爵がそんな未来を許してくれるのだろうか。


 リーディスが王になった場合、アークレインはその正統性を脅かしかねない存在となる。古今東西の歴史で、自分以外の王族を処刑し王位に就いた血塗れの玉座の話はいくつも存在する。


 たとえ兄弟でも、利益が絡めば他人以上に争うことはよくある話だ。もしかしたら、シリウスとエステルのような良好な兄妹関係の方が珍しいのかもしれない。


 エステルは兄の顔を思い出し、物憂げな息をついた。




   ◆ ◆ ◆




 同時刻、首都、某所――


 そこでは、薄暗い室内に何人もの人が集い、紫煙をくゆらせていた。


 彼らが楽しんでいるのは、ガンディアやアナトリアといった高温多湿の地域で誕生したと言われる水煙草だ。


 縦に長い形状の美しいガラス瓶からは細長い管が伸びており、管から瓶の中身を吸い込むと、スパイスやバニラエッセンスが混ざった甘い香りと共にひんやりとした煙が喉を通り、頭の中がすっきりと冴え渡る。


 『彼』がそこを訪れるようになったのは、環境が大きく変わったことによるストレスを学生時代の悪友に愚痴った事がきっかけだった。


 ――普通の煙草シガーよりも、より強い刺激が得られるものがあるけど試してみるか?


 そう誘われ、軽い気持ちで『そこ』に足を踏み入れた青年は、すぐにその虜になった。


 室内には、サンダルウッドをベースとした、どこか東洋的オリエンタルな香りのお香が焚かれ、ヤンやガンディア製の調度が飾られ、中に入るだけでも異国を訪れたかのような錯覚を覚える。


 何もかも忘れたい。戻れるなら過去に戻りたい。

 現実の憂さを晴らす為、彼は今日もそこを訪れる。

 ガラス瓶の中に入っているものが何なのか、深い疑問を抱かないまま――

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