異能の訓練 01

 すうすうと隣から寝息が聞こえてきて、アークレインはエステルの寝顔を覗き込んだ。

 すぐ側にいるのは健全で健康な男だというのに、いつもながら呑気なものだ。もっともこの状況を彼女に強いているのはアークレインなのだが。


 アークレインは寝付きが悪く眠りが浅い。おまけにほんの少しの物音にもすぐに目覚めてしまう。質がいいとは言えない短時間の睡眠でも問題なく活動できるのは、元々そういう体質なのだろう。


 その体質のせいでアークレインは朝も夜もエステルに寝顔を見せた事がなかった。自分でも野生動物のようだと思う。子供の頃からの油断出来ない環境がこの体質を作ったのだろう。


 安らかに眠る女の姿に襲ってやろうかという考えがちらりと頭の中をよぎるがすぐに打ち消す。ここまで回りくどく積み上げてきた信頼を崩すべきではない。手を出すにしてもせめてもう一、二ヶ月経ってから、真正面から誘った方がきっと効果的だ。


 これは自分のものだ。眠るエステルの寝顔を前に改めて実感する。


 天秤宮に迎え入れた事でどうやらそういう認識がアークレインの中に芽生えたらしい。

 リーディスが彼女にちょっかいを出したと聞いて湧き上がった感情は、そうとでも考えなければ説明がつかない。


(あのクソガキ)


 アークレインは心の中で決して口には出さない汚い言葉で異母弟を罵った。


 リーディスは周囲に甘やかされたせいで、我儘で自己中心的に育った子供だ。その一方でアークレインと常に比較されてすっかり歪んでしまった。アークレインにとっては事ある毎に突っかかってくる面倒な存在である。


 八歳の年齢差は大きい。おまけにアークレインは、学業や体を動かす事に関しては、何をやっても人並み以上に出来てしまう人間だった。


 血統に特殊な空間転移の異能――リーディスの方が勝っている部分はあるのに、あれは何でも一番でなければ気が済まない性格だ。アークレインの事をよく思っていないから、大方エステルの粗を探すためにこの宮に忍び込んだのだろう。


 あのクソガキは、エステルの事を普通と評価した後で、気の強いところは嫌いじゃないと言い放ったと聞いた。それがやけに癪に障る。

 取るに足りない女と評価されるのがベストだったのに。何故魔導銃で反撃などしたのか。


 メイベル・ツァオは使える駒だ。それを助けた事は評価に値するが、あれに目を付けられたかもしれない事は頂けない。幸い異能についてはバレていないようだが、あれがカレッジに戻るまでの間はエステルを隠すべきだろう。


 休暇の間どこに身を隠すか算段しながらエステルの顔を見ていると、気持ちよさそうな寝顔に何だか腹が立ってきた。

 今殺気を出したらエステルはどうなるのだろうか。不穏なマナを察知して起きるだろうか。


 ふと思い立ち、アークレインは枕元に隠してある短剣を取り出し鞘から抜いた。初めて一緒に眠った時に初夜を偽装する為に使ったマナブレードだ。

 エステル相手ならマナを通すまでもない。ただ白刃をエステルの喉元に突き付け、殺意をぶつけてみる。


 ベッドサイドの明度を落とした照明だけが辺りを照らす薄闇の中、エステルの赤紫の双眸が唐突に大きく開いた。


「……!」


 アークレインの手に、わずかに反発するような力が働いた。


(これは……)


 念動力、という単語が脳裏に浮かんだ。

 《覚醒者》は時に付加的な異能に目覚める事がある。


 刃を留めるように働いた微弱な斥力。それはあまりにもか細かったが、アークレインの殺意を消滅させるには十分だった。


「アーク様……一体何を……」


 完全に覚醒したエステルは、短剣を凝視して「ヒッ」と悲鳴を上げた。


「ちょっとしたテストをしようと思って。眠っていても君が警報器として機能するのか」


 短剣を鞘に納めながら答えると、エステルは深く息を吐いた。


「心臓に悪いからもうしないで欲しいです」


 エステルはアークレインにそう告げると、背を向けて丸くなった。


「起こしてごめんね。良い夢を」


 髪に触れると、エステルはピクリと身を固くした。震える体と引き結ばれた唇からは、怒りと警戒が伝わってくる。


(それでも声を荒らげて怒ることはない、か)


 可哀想にと思う一方で、何故か満足感を覚える自分がいた。




   ◆ ◆ ◆




「キルデアとアルスター、どっちがいい?」


 朝食の席でアークレインに尋ねられ、エステルはぱちぱちとまばたきをした。


「何のお話ですか?」

「昨日の夜に話したよね? 今日から五日間まとまった休みだって。外出先の候補だよ。どちらも首都から馬車で二、三時間くらいのところにある」


 と言われても、地理が苦手なエステルには、ぱっとその二つがローザリアのどこにあり、どんな特色があるのか思い当たらない。


「あの、恥ずかしながら不勉強で、どのような土地なのか見当もつかないのですが……確かアルスターは温泉地でしたっけ?」

「正解。キルデアは南の港町で海産物が美味しいところだね。どちらも保養地で私が所有するコテージがある」

「お魚と温泉ですか? 迷いますね……」


 山間地で育ったエステルにとって、新鮮な魚は滅多に口にできないものである。

 しかし温泉も捨てがたい。お風呂が大好きなエステルにとって、サウナまで付いている天秤宮の入浴設備は楽園だった。命の危険さえ無ければ最高の生活環境である。


「出掛けるのが億劫ならここで過ごしても……と思ったけど、その様子だと外出で決定だね。どちらか決まったら教えて」

「アーク様はどちらがいいですか?」

「私? どちらも何度も行っているから正直どちらでもいいんだけど、この時期ならキルデアの方がいいかもしれない。確か次の安息日に海にスカイランタンを飛ばすお祭りがあるはずだ」


 スカイランタンというのはその名の通り空を飛ぶランタンだ。それが海に向かって飛ぶ様子は想像するだけでも幻想的である。


「是非見てみたいです」


 エステルが目を輝かせると、アークレインは目を細めて頷いた。


「わかった。じゃあ、今から向こうの管理人に連絡しておくから、エステルは午前中の間に出発できるよう準備をする事」


 午前中は慌ただしくなりそうだ。しかし首都を離れられるという事に自然と心は高鳴った。




   ◆ ◆ ◆




 着替えや化粧品等の身の回りのものに、やりかけのマントの刺繍、読みかけの本、キルデアへの小旅行の準備はほとんどメイとリアがやってくれた。


 向こうではのびのびと過ごす予定だ。仰々しいドレスを着るつもりはないので、最低限の護衛だけを連れていき、アークレインやエステル付きの侍従や女官には留守番という名の休暇を与える事になった。


「初めてのお二人でのご旅行ですね! 楽しんできて下さいね」


 実情を知らないリアからは意味深な目を向けられ、エステルは苦笑いをした。


 現地まではお忍び用の馬車で行く事になった。同行する王室護衛官ロイヤルガードは馬を使う。エステル付きの護衛官からはネヴィルが同行し、残りはアークレイン付きの護衛官から選抜された。ニールが留守番なのは、リーディスが天秤宮に侵入した際、エステルの身を危険に晒した懲罰的人事のようだ。


 馬車はお忍び用と言っても、王家の紋章が付いていないだけの高級品で、以前移動遊園地に行った時とは違って上流階級の小旅行という雰囲気だった。

 内装はかなり豪華で、座席の座り心地は紋章付きの正規の馬車とほとんど変わらなかった。気密性も高く、魔導具の空調設備も付いているというおまけ付きである。


 アークレインは紳士的だ。進行方向にエステルを座らせてくれた。これがシリウスならコイントスによる席の取り合いが発生する。エステルが兄の子供っぽさを実感していると馬車が動き出した。


「今から異能の訓練をしようと思うんだけどいいかな?」

「あ、はい。馬車の中でも出来るんですか?」

「うん。暇さえあれば出来るよ。マナが視えるエステルなら案外簡単に習得できるかもしれない。今からやってみるから私のマナの流れを視て欲しい」


 アークレインは目を閉じると深呼吸を始めた。すると、アークレインの体の中のマナが、緩やかに体の中を動き始めるのが視えた。


 マナの発生源はどの生き物も心臓である。これは、心臓の中にマナを貯える機能があるからだと考えられている。

 全身を覆い尽くすほどに多いアークレインのマナもその根源は心臓だ。よく注視すると、心臓から発生した銀色の光が胴体から左手へ、頭へ、右手へ、そして胴体に戻り両方の足へ。最後は元の場所に戻って行く様子が視えた。


「視えたかな?」

「全身にマナを循環させた、ってことで合っていますか?」

「うん。普通の人はマナの流れって魔導具にマナを流す時くらいしか意識しないと思うんだけど、それを意図的に体の中で循環させるんだ」


 マナとは魔導具に組み込まれている魔導石に触れれば勝手に心臓から流れ出て吸収されるものだ。意図的に体の中で動かしてみた事なんてない。


「これが基本なんだけど出来そうかな?」

「……やってみます」


 答えるまでに間があったのは自信がなかったからだ。

 普通の貴族のマナは心臓から発生し、上半身の胴体覆う銀色の光としてエステルには視える。エステルのマナの量もそれくらいだ。マナを下半身にも行き渡らせて、更に循環させる――果たしてそんな事が出来るのだろうか。


(動け)


 エステルは俯き、自分の心臓を確認しながら念じてみた。


「…………」


 動かない。


(動け! 動きなさい!)


 眉間に皺を寄せながら念じても心臓のマナはびくともしなかった。


「……マナって本当に動くものなんですか?」

「エステルならできるかと思ったんだけど……うーん、やっぱり視えるってだけじゃ無理か。上手く行くかどうかわからないけど補助を試してみよう。隣に移動するね」


 アークレインはそう断ってから立ち上がった。

 エステルは真ん中から右にずれてアークレインの座る場所を作る。


「手に触れるよ」


 アークレインはグローブを外すと、エステルの両手に手の平を重ねてきた。


「今から私のマナを君の体に流す。人によっては酷い拒否反応が出る可能性があるけど覚悟して」


 え、と思う間もなかった。繋がれた手からアークレインのマナが流れ込んでくる。


「ひっ……」


 ぞわぞわとした感覚にエステルは悲鳴を上げた。全身に鳥肌が立つ。


「嫌っ! 無理! 離して!」


 涙目になりながら手を振り解こうとするが、がっちりと捕まえられて逃げられない。


「いや、この程度の反発ならいけそうだ。もう少しだから我慢して」


 そう告げるアークレインのマナは楽しげに輝いていた。いつもエステルをからかって意地悪をして楽しそうにする所を見ると、この王子様には嗜虐的な性癖があるに違いない。


「っ、やだぁ……」


 手の平から入り込んでくるアークレインのマナが全身を侵食していく。

 体の中を小さな虫が何匹も這い回るような不快感にエステルは悲鳴を上げた。いやいやをするように首を振ってもアークレインは許してくれない。


 両方の手から入り込んできたマナは全身を駆け巡り、心臓に到達する。

 そして、ずるりと何かが引き出される感覚があり――


 その感覚のあまりのおぞましさに、エステルは意識を手放した。

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