第二王子との邂逅 02

 異能で捻り上げられたメイの腕は、侍医に診てもらったところ、幸い骨も腱も傷付かずに済んだようだ。


 エステルは執務室に向かい、こちらに出仕していたクラウスに、リーディスが侵入した事を報告しに行った。

 クラウスはロージェル侯爵であると同時に、アークレインの補佐官を務める官僚でもある。


「まさかリーディス殿下がここに侵入するとは……」


 一部始終を聞き終えたクラウスは深いため息をついた。


「エステル嬢、次からはこのような場合は逃げねばなりませんよ。今回はリーディス殿下が引いて下さったからよかったものの……」


 クラウスもニールたちと同じような事を言う。


「エステル嬢、今後ですが、アークレイン殿下がいらっしゃらない時は、なるべく天秤宮の中でお過ごし下さい。建物の壁には異能を弾く結界が組み込まれていますから、警備を増やす事で対応出来ると思います」


「そうなんですか? 私の異能は普通に使えていますけど……」


 エステルの瞳は魔導具のマナも感知する。

 宮殿の建物に何らかの魔導具が組み込まれている事には気付いていたが、それが異能を弾く結界とは思わなかった。


「エステル嬢の能力はかなり特殊ですからね……自分の意志で能力を使う、使わないの選択が出来ない常時発動型の異能なので結界の制限を受けないのかもしれません。アークレイン殿下の自動発動するマナの障壁と同じですね」


「なるほど……」


「リーディス殿下の件はアークレイン殿下に緊急通信用の魔導具でお知らせしておきますので、エステル嬢は今日のところはお部屋でお過ごし下さい。この天秤宮で一番結界が厳重に敷かれているのは殿下と今エステル嬢がお使いになっている部屋ですので」


「……はい。それでは下がらせて頂きます」


 エステルはクラウスに返事をすると、執務室を退出した。


(庭にすら自由に出られなくなるなんて)


 エステルは肩を落としてため息をついた。




   ◆ ◆ ◆




 今日もアークレインは遅くなる予定だと聞いた。

 メイには大事を取って早く休んでもらうように伝えている。

 リアの手を借りて入浴を終えたエステルは、一足先に共通の寝室へと入り、手持ち無沙汰に本を開いた。


(困ったな。全然頭に入ってこない)


 何も考えずに読めるはずの軽い恋愛小説なのに。文字を読んでも目の上を滑っていく。


 アークレインの部屋の方から足音が聞こえてきたのは、本を放り投げ、一足先にベッドに入ろうか席を立った時だった。がちゃりという大きな音と共にドアが開き、アークレインが室内に入ってきた。急いで帰ってきたらしく、朝出かけた時の服装のままだった。今日は陸軍の式典に参加すると聞いていたので、漆黒の軍服姿である。


(確か二ヶ月だけ士官学校に在籍していらっしゃったのよね)


 アークレインは王族男子の慣例に従い、大学入学と同時に陸軍に入隊した。大学卒業後は士官学校での訓練を経て軍務に就く予定だったはずである。


 しかし士官学校への入学後、たった二ヶ月でアークレインは軍自体を退役する事になった。サーシェス王が倒れたからだ。幸い国王は半年ほどで持ち直し、今では元気そうな姿を国民や貴族の前に見せているが、重大な疾患を抱えているのではないかとまことしやかに囁かれている。


 一時的にでも士官学校にいた期間があるからか、アークレインの軍服姿は板についていて良く似合っていた。


「エステル! 大丈夫だった!?」


 アークレインは早足でこちらにやってくるとエステルの顔を覗き込んできた。


「私は何もされていません。リーディス殿下の標的になったのはニールとメイだったので……」


「さすがにあいつも君に手を出すのはまずいと思ったんだろう。あいつがまさかこんな大胆な事をするとは……」


 アークレインはため息をつくと、エステルの頬に触れた。手袋に覆われた指先はひんやりとしていてエステルは僅かに顔をしかめた。


「冷たいです。外は寒かったのではありませんか?」


「すまない。入浴もまだなのに触れてしまった。先に入浴して埃を落としてくるよ。もう遅いから先に眠っていてくれて構わない。リーディスには明日の朝一番で抗議をしておくから」


 アークレインはすっと身を離すと、自分の部屋の方へと戻って行った。

 エステルは遠慮なく先にベッドに入る事にする。枕元の照明だけを残し布団の中に潜り込むと、魔導式の温石が入れられていて温かかった。




 アークレインが戻ってきたのは三十分ほどしてからだった。隣に滑り込んできた彼の体からは、石鹸といつものベルガモットの香りがした。

 ここで暮らし始めてからまだ数日しか経っていないのに、その香りにほっとする自分がいた。リーディスと不意に会ってからずっと緊張していたらしい。


「まだ起きてる?」

「はい」


 妙に目が冴えて、眠れそうになくて困っていたところだ。返事をしながら体の向きを変えると、こちらを覗きこむアークレインのロイヤルブルーの瞳と目が合った。


 外出する時はセットされている髪が、入浴後は自然に下ろされているので少し幼く見える。こんな姿を知っているのは限られた人間だけだと思うと優越感が湧き上がる。


「明日から五日間は休暇なんだ。年末から馬車馬のように働いたからね。少し首都から離れてみようか」


「どこかに連れて行ってくださるんですか?」


「うん。何かあったらすぐに戻らないといけないからあまり遠くには行けないけど、近場に行くくらいなら大丈夫。その間にリーディスは学校が始まるはずだ。カレッジの寮に入ってしまえばちょっかいを出す余裕なんてなくなるはずだ。馬鹿みたいに忙しくなるから」


 リーディスが通うロイヤル・カレッジはエリート養成学校だ。彼は優秀な成績を残して卒業したアークレインと常に比較されていて、優秀な成績を残すよう望まれている。


「他の《覚醒者》が何か仕掛けてくる可能性はありませんか……?」


「ないと言っていいと思う。王族以外の《覚醒者》の能力は大したことないし、王族の中であんな乱暴な真似をするのはあいつくらいだ」


 ローザリアで公表されている《覚醒者》は八名、そのうちの五名が王族だ。サーシェス王にアークレイン、リーディス、そして元王族のマールヴィック公爵。

 アークレインの政敵で、リーディスの祖父でもあるマールヴィック公爵は、アークレインから見ても祖父の弟――大叔父に当たる人物である。


 マールヴィック公爵はかなり高齢なので、ほとんど邸を出る事はないそうだ。

 残る一人はアークレインの叔母で、国内の貴族に嫁いだが、今は嫁ぎ先の都合で隣国にいる。


「そもそも宮殿の敷地内で異能を使えばすぐ父上に感知されるのにあの馬鹿は……」


「えっ、そうなんですか?」


「王室は不審なマナの揺らぎを感知する古代遺物アーティファクトを所有しているんだ。だから下手に異能を使うとすぐ父上にばれる。マナの揺らぎを感知するものだから、リーディスが空間転移を使った事も、君が魔導銃を撃った事も父上にはお見通しだよ」


「それって私も叱られるのでは……」


「そもそもこの宮に不法に侵入したあいつが悪いから多分大丈夫だと思うけど……何か言われたとしても私が対応するから君は何も心配しなくていい」


 顔を曇らせたエステルの肩をアークレインは力づけるように撫でた。


「リーディス殿下は陛下に叱られる事をわかっていてあんな事をしたんでしょうか……?」


「そう。性質が悪いだろう? 職員の一人や二人を痛めつけたところで大した罪にはならない。しかも君を守る為とはいえメイはリーディスを攻撃している。あいつは狡猾だから、たぶんその辺りも計算に入れた上で異能を使ってると思う」


「そんな……暴君じゃないですか! そんな人を次の王にしていいんですか?」


「あれで自分の身内には優しいからね。もう少し大人になった時に落ち着くのを祈るしかないかな」


 アークレインは深く息をついて肩をすくめた。


「他の者からも言われたかとは思うけど、私からも改めて言わせて貰う。エステル、今日のように襲撃があった場合は、まずは自分の身の安全確保を考えるんだ。それが周囲の護衛たちを守る事にも繋がるからね」


「はい……」


「王族を守る護衛は、最悪の場合身を挺してでも護衛対象を守るように教育されている。守られる者としての行動の仕方は改めてレクチャーするとして……お礼は言わせて貰うよ。メイベル・ツァオを守ってくれてありがとう」


 頭を下げられ、じわりと胸が熱くなった。


「それはそれとして、明日からは君に異能の伸ばし方を教えるよ。君の感知能力が上がれば、もっと早くリーディスの接近に気付いて逃げられるかもしれない」


「そんな事できるんですか?」


「王族には《覚醒者》が生まれやすいからね。異能を鍛える方法が代々伝承されているんだ。試してみる価値はあると思わない?」


「それは……そう思いますけど、そんな事私に教えてもいいんですか?」


「本来は父上にお伺いするべきなんだろうけどね……君は私の婚約者で未来の王子妃だからね。君の異能が上がれば私にも役に立つから構わないということにする」


 アークレインはそう言って悪い笑みを浮かべると、エステルの髪を梳くように撫でた。


「薄くなってきたね。痕。そろそろ付け直した方がいいかな?」


 囁きと共に胸元に視線が注がれているのに気付き、エステルは反射的にナイトウェアの胸元を掻き合わせた。いくら抗議してもリアもメイも普通のナイトウェアを着せてくれないので、最近ではもう諦めている。


「ま、まだいいんじゃないでしょうか。うっすら残ってますし」


「でも新たな痕を作っておかないと、寵愛が薄れたって言われてしまうかもしれないよ? 私が君を大切にしていると言うことを示す為にも付け直した方がいいと思うんだけど」


 エステルは頬を染めて俯いた。

 この宮に仕える職員がエステルを尊重するのは、アークレインの演技のおかげだ。小道具として口付けの痕が有効なのはわかる。だけどすごく恥ずかしい。


「もっと先に進んでもいいけどどうする? お腹とか太ももとか、どうせ痕をつけるなら際どいところに付けた方が……」


「胸でお願いします!」


 エステルは恥ずかしさのあまりアークレインの言葉を遮った。そしてしまったと後悔する。


「ふ、服は脱ぎませんから……それと、見えにくところにお願いします……」


 消え入りそうな主張にアークレインのマナが楽しげに明るく瞬いたかと思うと、クスクス笑いだした。


「ちょっとからかうだけで真っ赤になって。エステルは可愛いね」


 いい子いい子をするように頭を撫でられ、エステルはいつもの意地悪をされた事に気付いた。


「アーク様の馬鹿!」


 エステルはナイトウェアの胸元を押さえたままアークレインに背を向けた。背を向けても笑い声と楽しげなマナの色合いのせいでアークレインの精神状態がわかってしまうから腹立たしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る