第二王子との邂逅 01

 年始めは色々な所へ出向く公務が多く、次の日からアークレインは天秤宮には寝に帰ってくるだけという状態になった。


 婚約者の立場で同行できるような公務はほとんどない。

 マントの刺繍に取り組むために勉強の時間を控えめにしてもらった事もあって、エステルは天秤宮の中で比較的のびのびと過ごしていた。


 アークレインの婚約者として行う初めての社交は、一週間後にロージェル侯爵邸で開催されるシエラ主催のティーパーティーと決まった。ティーパーティーは女性の社交だ。そこでエステルは、まず、シエラから第一王子派の主だった女性達に紹介される予定である。


 レインズワース侯爵夫人とオリヴィアが来る予定になっているのが不安材料だが、エステルの周りは学生時代の友人のキーラや、シエラと仲の良い夫人たちで固めてくれるという話になっているので心強い。




 エステルは午前中から自分の部屋で刺繍と格闘していた。

 厚手の生地に刺繍を施すのは大変だ。指貫を使ってもすぐ手が痛くなるので長時間の作業は難しい。少しずつ計画的に取り組んでおかないと、生地をマントに仕立てる時間がなくなってしまう。


 ローザリア王家の紋章は、白薔薇が描かれた盾と王冠を意匠化したものだ。盾の後ろには飛竜と剣が描かれていて、貴族の紋章とは比較にならないほど複雑で面倒臭い。ついでにアークレインの個人の印章も刺繍しなければいけないので、手間も二倍である。


(もう無理)


 エステルは布をポイッと刺繍枠ごと放り出すと、痛みを訴える右手をぶらぶらと振った。休み休みやらないと腱鞘炎になりそうだ。


「お疲れですね。何か甘いものでもお持ちしましょうか?」


 すかさずリアが声をかけてくる。


「ううん、息抜きをしたいから少し庭に出てもいい?」

「かしこまりました。コートを準備しますね」


 心得た顔で外に出る準備を始めたのはメイだった。その後ろ姿を見ながらエステルは疲れた右手を揉み解した。少し気分転換をしたら手の痛みも治まるだろうから、また刺繍を再開するつもりだ。




 庭に出る時は、メイと王室護衛官ロイヤルガードを連れて行くように言われている。

 今日エステルに付いてくれるのは、以前移動遊園地に行った時に見かけたニール護衛官だった。


 アークレインの正式な婚約者になったため、エステルには専属の王室護衛官ロイヤルガードが付く事になった。

 ニールともう一人、ネヴィルというベテランの王室護衛官ロイヤルガードがエステルの専属護衛官として任命され、交代で警護に当たってくれる事になっている。


 この二人は特にアークレインに忠実な王室護衛官ロイヤルガードらしい。この二人を含めたアークレインの腹心の何人かには、警備上知っておいた方がいいというアークレインの判断で、エステルが《覚醒者》である事を明かしている。

 と言っても後から異能について明かした人々には、単に敵意が感知できるという事を伝えただけで、正しい能力については秘密にしてもらった。大まかな感情が見えてしまうだなんて、人に知られないに越したことはない。




 天秤宮の庭ではほとんどの木々が葉を落としていたが、ビオラやアリッサムといった冬の花が植えられていて綺麗だった。

 南部では滅多に雪が降らないから、植物が寒さでやられる事がないようだ。吐く息は白いけれど、明らかにフローゼスとは寒さの質が違う。


「エステル様、どちらに向かわれます?」

「庭を一周したら戻るわ。少し外の空気を吸いたかっただけなの」


 先導するニールに尋ねられ、エステルはそう答えた。

 いい天気だが、寒いのに皆をあまり長時間付き合わせるのは申し訳ない。


 ニールは茶色の髪にそばかすの浮いた素朴な顔立ちの青年だ。しかし若くして王室護衛官ロイヤルガードに選ばれただけあって中級貴族並みのマナの持ち主だった。


 使える魔導具の幅と威力に影響するので、軍人としての才能は持って生まれたマナの量に比例する。士官や王室護衛官ロイヤルガードには家を継げない貴族の次男以下が多いから、ニールもきっとその一人なのだろう。

 お忍びの時はどこにでもいそうなお兄さん、という雰囲気だったが、王室護衛官ロイヤルガードの制服を身に着けていると二割くらい男前に見えた。




 庭の奥にはガゼボがあり、その近くには常緑樹の楠が植えられていて、この寒さにも負ける事なく緑の葉を茂らせていた。

 その近くを通りかかった時、エステルは負の感情をはらむ大きなマナを感知した。感情自体は僅かに陰っている程度だが、アークレイン並みの大きなマナに体が怯む。


「エステル様」


 エステルがピクリと反応したのをメイが敏感に察知し、庇うように前に出た。


「エステル様、どうかされましたか?」


 メイの気配を察知し、同じく戦闘態勢になったニールが小声で尋ねてきた。


「木の上に誰かが……」


 不思議なことに、マナの光は感じるのに、木の上には人の姿らしきものは見えなかった。それがエステルの恐怖をより煽る。

 護身用の魔導銃は常に携帯している。しかし体がすくんで動けない。

 代わってニールが魔導銃を抜き、エステルの視線の先、楠の木の上へと銃口を向けた。しかし――


 次の瞬間不可視の力が飛んできて、ニールの手の中の銃を弾き飛ばした。否、エステルの異能の瞳は捉えていた。樹上からマナの塊が飛んでくるのを。


(念動力!?)


 アークレインが移動遊園地で使った力に似ていた。


「エステル様、伏せて下さい!」


 叫ぶと同時にメイの手から銀色に光る何かが放たれた。投擲用のナイフだろうか。しかしそれはマナの壁に阻まれて地に落ちる。


 《覚醒者》だ。エステルが悟るのと、木の上から何者かが降りてくるのは同時だった。


 エステルは目を見張った。その人物は、アークレインをそのまま幼くした容貌の持ち主だったからだ。

 違うのは髪の色が赤みがかった金髪ストロベリーブロンドだという所くらいだ。

 アークレインをそのまま若返らせたような十代半ばの少年と言うと一人しか思い浮かばない。


「リーディス殿下……?」

「そうだよ。そう言うお前は? 自分から名乗りもせずいきなり僕の名を呼ぶなんて不敬だとは思わない?」


 少年はあっさりと第二王子である事を認めると、高圧的な態度で話しかけてきた。


(彼がアーク様の政敵)


 しかしリーディスはまだ十五歳の少年だ。彼が、というより、トルテリーゼ王妃と外戚のマールヴィック公爵が王位継承順位を変更しようと世論を操っているのだろう。


 侵入者が王族となると攻撃は出来ない。ニールとメイはその場に跪いた。しかし護衛は二人ともリーディスに対する敵意と警戒をみなぎらせている。


 エステルもまたその場でカーテシーすると、王族に対する正式な口上を述べた。


「ローザリアの若き太陽、リーディス殿下に改めてご挨拶申し上げます。エステル・フローゼスと申します」

「へえ……お前が兄上の婚約者か。顔を上げていいよ」


  許しが出たのでカーテシーの姿勢を崩し顔を上げると、リーディスはどこか人を小馬鹿にした表情でこちらを見ていた。顔はアークレインにそっくりだが、少なくとも表面上は穏やかで人当たりのいい第一王子とは大違いだ。


「ふぅん、兄上が夢中だって言うから見に来たけど……普通だね。兄上はあんたのどこに惹かれたんだろう」


 アークレインが彼の事を甘やかされて育った我儘な子供と評価していた理由がわかる。無遠慮にもじろじろと観察され、エステルはぐっと耐えた。これが身内の子供なら張り倒している。


「お前よりそっちの女官の方が面白いね。まさか認識阻害の古代遺物アーティファクトを使ったのに見つかるとは思わなかった。兄上はなかなか優秀な番犬を飼っているようだ」


 リーディスはメイの前に移動すると、彼女の顎を掴み上を向かせた。

 メイは無表情だ。しかし普段あまり揺らがない彼女のマナが陰った所を見ると、第二王子の行動にはかなりの不快感を感じているようだ。


 リーディスを感知したのはエステルなのだが、彼は誰よりも早く行動したメイが見つけたのだと勘違いしている。


 それにしても認識阻害の古代遺物アーティファクトとは。木の上にマナは視えるのにリーディスの姿が見えなかった理由がわかった。


(そんな強力な古代遺物アーティファクトをこんな子供が持つなんて……)


 悪用すれば暗殺や窃盗など、様々な犯罪に使えそうな代物である。


「お前、名前は?」


 リーディスはメイに向かって尊大な態度で尋ねた。


「メイベル・ツァオと申します」

「その名前にその顔立ち、お前、ヤン系移民か」

「祖父がヤンの出身でした」

「へえ……」


 じろじろと値踏みするような視線がメイに向けられる。


「残念だな。移民じゃなきゃこっちに引き抜いてやっても良かったのに」


 リーディスの祖父であるマールヴィック公爵は、移民の排除を訴える民族主義者として有名だ。彼もまたその思想を受け継いでいるのかもしれない。


「僕のものにならない優秀な人間は潰す方がいいよね」

「っ、あああっ!」


 不穏な発言と共にリーディスの右手からマナが放たれ、メイの右腕が不自然な方向に捻り上げられた。痛いのだろう。メイは顔を歪めて悲鳴を上げる。

 マナが視えるエステルにはわかった。これはリーディスの念動力の仕業だ。


「殿下! お止め下さい!」


 ニールが割り込もうと立ち上がるが、リーディスのマナがニールを弾き飛ばした。

 《覚醒者》に対して普通の人間は無力だ。エステルも《覚醒者》ではあるが、リーディスの念動力に対抗できるような異能ではない。


 エステルはドレスのスカートを捲り、護身のために隠し持っていた魔導銃を抜いた。


「まさか僕を撃つつもり? 大逆罪になるけど」

「なりませんエステル様! お逃げ下さい!」


 リーディスの挑発めいた発言もニールの制止も無視し、エステルは引き金を引いた。

 ただし狙ったのはリーディス自身ではない。リーディスの右手からメイに向かって放たれているマナの波動だ。


「!?」


 リーディスは目を見張った。

 魔導銃はマナを弾丸として撃ち放つ銃だ。もしかしたらメイを苦しめるリーディスの念動力に干渉できるのではないかというエステルの推測は正しかった。リーディスのマナは魔導銃の銃弾によって断ち切られ、メイはだらりと右腕を下げた。


「本当に撃つとは……大逆は死罪だよ? その覚悟があるの?」

「さ、先に天秤宮に不法侵入し、この宮の女官と護衛官に異能で暴力を振るわれたのは殿下です……情状酌量の余地はあると思いませんか?」


 呆気に取られた様子のリーディスをエステルは睨み付けた。


「正当防衛も主張致します! 女官と護衛官の次は私、そう思ったので威嚇射撃を致しました。お兄様の宮で傍若無人にも暴れた事が明るみになれば困るのは殿下も同じではありませんか?」


 こんなの後付けのはったりだ。後先考えるよりも先に体が動いていた。

 リーディスがあくまでもエステルの非を主張したら、恐らくこちらの方が分が悪い。王族を相手取るという事はそういう事だ。


「……未来の義姉上は意外に血の気が多い」


 しばしの間を置いてリーディスはぽつりとつぶやいた。


「気が削がれた。でもまあ、そういう所は悪くないね」


 リーディスはふっと笑うと、地を蹴りふわりと宙に舞い上がった。

 マナの流れでわかる。念動力による飛翔だ。


「今日のところはこれくらいで引いてあげる。じゃあね、義姉上。せいぜい兄上と共倒れしないようお気を付けて」


 そう告げるとリーディスは気取った様子で一礼した。そして空中でくるりと踵を返したかと思ったら、強いマナの波動が発生し、その姿が掻き消える。

 リーディスは念動力に加え、空間転移の異能も合わせ持つ、極めて優秀な《覚醒者》として知られている。恐らくその転移能力を使ったのだろう。


「エステル様、何と言う事を!」


 自失から最も早く回復したのはニールだった。ニールはエステルに駆け寄ると、きつい口調で叱責してくる。


「あなたは殿下の婚約者で我々の護衛対象です! このような場合は我々を盾にしてお逃げ下さい!」

「逃げる……?」

「そうです、エステル様。私たちは最悪の場合、あなたの肉の壁となる為にお側に控えているのです」


 メイもその場に座り込んだまま同調した。右腕が相当に痛いのだろう。腕を押さえ、苦しげな表情をしている。


「王族の《覚醒者》の前では我々は無力です。お守りできず申し訳ありませんでした」


 攻撃的な異能を持つ《覚醒者》に勝てるのは同等以上の力を持つ《覚醒者》だけだと言われている。到底常人に敵う相手ではない。とはいえ。


(どうして謝られなければならないの)


 エステルは泣きたくなった。天秤宮の職員と、今まで伯爵家で側にいた使用人とは違うという事を突きつけられた気分だった。


 伯爵家の使用人はほとんどが領民だ。領主の家に生まれたエステルにとっては、使用人であると同時に生活を守り保護するべき対象でもあった。だけどここでは違うのだ。護衛官も女官も侍従も、王室府に所属する職員は、ただ王族を守り仕えるためだけに存在している。


「私をお助けくださった事には感謝いたします。でも、次からはお逃げ下さい。とはいえ、これはエステル様に護衛対象としての行動をお伝えしていなかった我々のミスでもあります。大変申し訳ありませんでした」

「俺からも謝罪させてください。お守りできず申し訳ございませんでした」


 二人から口々に謝られ、エステルはいたたまれない気持ちになった。

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