婚約発表 03

 アルビオン宮殿で開かれるニューイヤーパーティーは、宮殿を構成する十二の建物のうち、双魚宮にて開催される。

 双魚宮は現在王族の住居としてではなく、こういった大規模な王室主催の催しが実施される時に使用される宮となっていた。


 年末から年始にかけての王族は様々な行事に参加しなければいけないので大忙しだ。

 年末には年越の祭祀を行い、年始の朝には宮殿前に詰めかけた市民の前に姿を見せる一般参賀があり、夜は全ての領主貴族を集めた晩餐会が開かれる。


 オリヴィア・レインズワースは、その席上で静かに王族の入場を待っていた。


 この時期のアークレインが忙しい事は知っている。それでもオリヴィアの面会の申請や、レインズワース侯爵家主催のパーティーの招待を受けて貰えなかったのは明らかにおかしい。


 ニューイヤーパーティーに参加できるのは、領主とそのパートナーだけだ。

 どうしてもアークレインに一目会いたかったオリヴィアは、母のアデラインに病気になって貰う事にした。

 アークレインに会いたかった理由は一つ、彼が婚約するという噂について、本人に直接確かめたかった。


(私が一番の候補のはずだったのに)


 アークレインを支える第一王子派の貴族の中で年回りがよく、一番身分が高いのはオリヴィアだった。そして、彼もまたパーティーの時のパートナーにオリヴィアを選ぶ事が多かったから、誰もがアークレインの妃にはオリヴィアが収まるのではないかと噂していた。


 風向きが変わったのは十一月の中旬に行われたロージェル侯爵家での舞踏会からだ。

 二曲目のスローワルツの時に襲撃があり、暗殺者の凶弾からアークレインを庇ってエステル・フローゼスが負傷した。その少し後からアークレインの態度が明らかに変わったのだ。


(あの時踊ってたのが私だったら……)


 絶対にエステル嬢と同じ行動をした。

 オリヴィアは唇を噛んだ。


 普段の舞踏会なら二曲目もアークレインはオリヴィアと踊ってくれたのに。あの日に限っては二曲目も踊りたいというオリヴィアの願いを断って、アークレインはあの女性の元へと行ってしまった。


 そこには、アークレインの意図が働いていた。今まで中立を貫いてきたフローゼス伯爵家がアークレインの元にやってきた初めての夜会だから、歓迎する姿勢を見せておきたいと本人から説明された。


 そういう理由なら仕方がないとあの時は潔く身を引いたが、その後の事を考えたら後悔しかない。何としても踊ってもらうのだった。


 大衆紙タブロイドの記事が出て、父が真偽を確かめに天秤宮に詰めかけたところ、アークレインはエステルに惹かれ、国王夫妻に引き合わせた事を認めたそうだ。

 自分を庇って怪我をしたエステルを見舞っているうちに、少しずつ恋心が芽生えたのだと。


「王族席が一つ多いのではありませんか?」

「ではやはり噂は本当だったのか……」


 晩餐会の席次は貴族としての序列順と厳密に決まっている。王族席の数が増えている事に、大広間に入った貴族達はひそひそと囁きあっていた。


「お父様……」


 オリヴィアは隣に座るトールメイラーを見上げた。


「だから今日は来ない方がいいと言ったんだ」


 父の様子を見る限り、今日何が起こるのかあらかじめ知っていたに違いない。これは間違いなくアークレインの婚約が発表される。相手は十中八九エステル・フローゼスだ。


 周囲の領主達の視線がオリヴィアに突き刺さった。今まで王子妃の第一候補と持ち上げられ、その気になっていたオリヴィアを皆して嘲笑あざわらっているに違いない。


 屈辱だった。哀れみも嘲笑も、侯爵令嬢として生まれたオリヴィアには今まで一切無縁のものだったからだ。


 人々の視線はもう一人、フローゼス伯爵の元にも集中していた。

 エステルの兄に当たる若き伯爵は、周囲の視線などどこ吹く風で隣の席の領主と談笑している。


(……確か去年はフローゼスの隣はウィンティアだったはず)


 席次が上がっている。オリヴィアは今更ながらそれに気付き、テーブルの下で手を強く握りしめた。

 薄いレースの手袋越しに爪が手の平に食い込むが、その痛みが今のオリヴィアには必要だった。


 ウィンティア伯爵夫妻はと言えば肩身が狭そうだ。無理もない。婚約破棄した息子の元婚約者が、第一王子の婚約者として返り咲こうとしているのだから。エステルとライル・ウィンティアの婚約破棄のゴシップは社交界では有名だった。


 なお、ライルをエステルから奪い取ったポートリエ男爵は呼ばれていない。ポートリエ男爵家はその資産力を背景に爵位を賜った宮廷貴族で、領地を持たないのでこのパーティーへの参加資格が無いのだ。ポートリエ男爵がいれば、オリヴィアに向けられる不躾な視線は少しは分散されたはずだ。




 王族の入場を告げるファンファーレが高らかに大広間に響き渡った。


 国王夫妻に続き、アークレインが一人の女性をエスコートして現れる。

 事前に噂されていたにも関わらず、大広間中に人々の驚きが小波さざなみのように広がった。


 エステル・フローゼスだ。彼女はオリヴィアの記憶にある姿よりもずっと綺麗になっていた。


 その身に纏うのは、紺に金薔薇の刺繍が施された、どこかアークレインを連想させるローブ・デコルテだ。彼女の左腕には魔導銃で撃たれたことによる傷痕があるという噂だが、それを裏付けるように少し袖が長めになっていた。


 艶やかな栗色の髪は複雑な形に結い上げられ、金のリボンと白薔薇の生花で艶やかに飾られている。


 美人ではあるけれど、中の上くらいの顔立ちだと思っていた。しかし今のエステルには正直負けたと思った。整った顔立ちを十二分に引き立てる化粧が施され、南部では珍しい赤紫の瞳が神秘的に瞬いて、正装のアークレインと並んでも見劣りしないレベルにまで引き上げられている。


 エステルをあんなに綺麗にしたのは間違いなくアークレインの愛情に違いない。醜い嫉妬心が沸き上がり、頭がおかしくなりそうだった。




   ◆ ◆ ◆




(お腹痛い……帰りたい……)


 王族のための控え室でエステルは青ざめていた。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ、エステル。君はただ私の横に立っていてくれるだけでいいから」

「まあ、仲睦まじい事。ローザリアの未来は安泰だと思いませんか、陛下」


 エステルを力付けるアークレインを見て、トルテリーゼ王妃がにこやかにサーシェス王に話し掛けた。微笑ましいものを見る表情なのに、そのマナはティーパーティーの時同様に陰っていて、本音は別のところにある事を示している。


 対するサーシェス王はどこか複雑な表情だ。


「……そうだな。アークレイン、エステル嬢を大切にするように」


 本音を隠しエステルに負の感情を抱く王妃に、仕方なく婚約を認めたという顔の王、未来の義理の両親のそんな様子には不安しかない。

 また、正式な社交の場には未成年のリーディス王子は参加出来ないため、結局この日まで未来の義弟とは顔を合わせないまま来てしまった。アークレインは会う必要などないと言うが、リーディスの反応も不安材料である。


 ぐるぐると将来への不安について考えていると、王族の入場を告げるファンファーレが鳴ってしまった。


「行こうか」


 アークレインに促され、国王夫妻に続いて会場へと向かうが、これから刑場に引き出される死刑囚になったような気分である。


 晩餐の会場に一歩足を踏み入れると、突き刺すような膨大な量の視線がエステルに降り注いだ。

 怖い。貴族たちの視線が、マナが、悪意の塊となってエステルに襲いかかってくる。


「今宵は新しき年の訪れを言祝ことほぐこの席で、皆を迎えられた事を光栄に思う。このき日に皆に是非伝えたい事がある」


 サーシェス王の口上が始まったが、耳の上を滑り、言葉が全然頭に入ってこない。


「このたび、我が第一子、アークレイン・イグリット・ローザリアとフローゼス伯爵令嬢、エステル・フローゼスが婚約を結ぶ事にあいなった。この婚約については、後日改めて議会より布告するものとする」


 婚約が国王により宣言されると同時に、会場全体がどす黒いマナに包まれた。

 この場にいるのは全員が領主貴族だ。ただでさえマナの量が平民より多いから、エステルは恐怖と嫌悪で吐きそうになる。


 この婚約を喜んでくれているのは、会場内にはほんのひと握りしかいない。シリウス、シエラとクラウス、そしてキーラを始めとした学生時代の何人かの友人達。


 誰よりも昏いマナを発しているのはオリヴィア・レインズワースだ。レインズワース侯爵のパートナーとして夫人の代わりに参加したようだが、美しい顔を歪め、こちらに誰よりも強い敵意を向けてくる姿はまるで聖典に出てくる嫉妬の悪魔である。


 国王の口上が終わったので、エステルはアークレインや王妃と共に皆に一礼して着席する。

 晩餐は始まったばかりだが、もう逃げ出して帰りたい。

 まだまだ長い苦行の序盤なのだと思うと、いっそ気絶したかった。

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