婚約発表 02
年が明けた。
エステルは早朝から天秤宮に移動し、メイを始めとする天秤宮付きの女官たちによって磨き立てられていた。
今日は王室主催のニューイヤーパーティーが開催される。
全ての領主貴族が一堂に会し、国王への拝謁が義務付けられた、一年で最も重要なパーティーだ。
そのパーティーの席上で、アークレインとエステルの婚約が正式に発表される予定である。
今日からエステルはこの天秤宮に住処を移す。そのためパーティーの準備の為に宛てがわれた部屋は、王子妃の為の部屋だった。私室にも寝室はあるが、夫婦の為の寝室に繋がる扉が備え付けられている。
(使う事はない……わよね)
『移動したら君は名実ともに私のものだ』
以前にアークレインに言われた言葉が頭の中に蘇り、エステルの頬が火照った。
そうだ。子供が出来るような事はしないとも言っていた。だからきっと大丈夫だ。エステルは自分に言い聞かせた。
婚約段階での同棲については周囲の反対があったものの、サーシェス王がミリアリア前王妃を婚約成立と同時に獅子宮に住まわせた前例があったためにアークレインが押し切った。
余談だがアークレインは挙式から七ヶ月後に産まれていて、早産だったと記録されているらしい。その意味は深く考えない方がよさそうである。
アークレインとは婚約の内定を告げられてから、お互いに忙しくなったのでほとんど会えていない。
アークレインは公務に加えてエステルを迎える準備が、エステルはアルビオン宮殿に移動するにあたって、礼儀作法の確認と主要な貴族の情報を最優先で叩き込まれる事になった。
入浴に始まり、全身をマッサージされ、頭頂部からつま先まで手入れされたエステルは、パーティーが始まる前からくたびれていた。
今日エステルが着用するのは、移動遊園地に行った日に届けられた紺に金薔薇の刺繍が入ったローブ・デコルテである。
左手の薬指を飾るのはエステルの瞳と同じ色合いを持つロードライトガーネットの婚約指輪だ。婚約の内定が出てすぐにアークレインから贈られた指輪は、エステルの好みを事前に調査して調達してくれたらしく、石を留める爪が花びらの形にカーブしている可愛らしいデザインになっていた。
思えばこのドレスを始めとして、数多くの衣類や装身具が慌ただしく準備されたのは、全てこの日の為だったに違いない。ドレスルームには、新しくあつらえたものだけでなく、アークレインが亡きミリアリア前王妃から受け継いだ装身具や、エステル自身がフローゼス領で愛用していた品でいっぱいだった。
天秤宮に移動して嬉しかったのは、厳しい適正検査や身上調査を時間をかけて行った結果、フローゼス伯爵家でエステルの専属
そこには未来の王子妃ともなると側仕えの女官はメイ一人という訳にはいかないが、信頼出来ないものを天秤宮には入れたくないというアークレイン側の事情があった。
メイとリアはお洒落好きという共通点があるためか、すぐに意気投合したようだ。二人して楽しげにエステルを着せ替え人形にしている。
「アクセサリーは真珠にしますか?」
「いえ、こっちのダイヤモンドのセットの方がいいと思います。このダイヤはミリアリア王妃陛下が使われていたもので、国王陛下との婚約発表の時に着用されたものです」
天秤宮に移るにあたって、アークレインがミリアリア前王妃から受け継いだ宝飾品はエステルが自由に使っていい事になっている。そのおかげでエステルが使える宝飾品は三倍以上に増えていた。
「殿下のお母様と同じアクセサリーを同じ場面で使うなんて素敵ですね」
リアはぱあっと顔を輝かせた。
「さて、アクセサリーが決まったので次は髪型ですね。編み込みのハーフアップにして真珠を散りばめてみるのはいかがですか?」
「真珠は控えめにして薔薇の生花を飾りませんか? 白薔薇に真珠を散らすような感じにして……婚約発表に国花は外せないと思うんです」
女官二人の仲がいいのはいい事だが、着替えに使う時間は倍以上になっている気がする。エステルは心の中でげっそりとした。
「エステル様! エステル様は何か今日の装いについてご希望はございませんか?」
突然リアから水を向けられてエステルはうっと詰まった。
「えっと……二人のセンスを信頼してるから……私としては全面的にお任せしたいんだけど……」
二人して期待の眼差しを向けるのはやめて欲しい。
エステルはアイディアを捻り出すために頭の中の引き出しを探った。
「髪に金のリボンも使うというのはどうかしら? 今日のドレスには金の刺繍が入ってるから合うと思うの」
「殿下の髪のお色でもありますものね! 細い金リボンを混ぜて編み込んでまとめましょう。で、最後に白薔薇を飾って……」
「いいですね。それでいきましょう」
この答えは及第点だったようだ。二人の表情がぱっと明るくなったのを見てエステルはほっと胸を撫で下ろした。
◆ ◆ ◆
身支度を終えてアークレインの待つ居間に移動すると、そこにはアークレインだけでなく兄のシリウスの姿もあった。
「うわっ、化けたな」
開口一番のシリウスの暴言に、アークレインは目を丸くし、エステルは頭痛を覚えた。
「お兄様、殿下の前でものすごく失礼ですよ」
じろりと睨みつけると、シリウスは肩を竦めて謝ってきた。
「ごめんごめん。凄く綺麗だよ。俺の妹じゃないみたいだ」
「私の台詞を奪わないで頂けますか、シリウス殿」
アークレインとシリウスは、エステルを待つ間ワインを酌み交わしていたようである。
二人とも正装で、見慣れているシリウスはともかくアークレインの姿は暴力的に華やかだった。
アークレインが身に着けている衣装は
金の飾緒とエポレットが付いた漆黒の装束を着用した姿は禁欲的で、どくりと胸が高鳴った。肩から斜めに掛けられたロイヤルブルーのサッシュと勲章が華やかさに彩りを添えている。
彼の
「アーク殿下、今更ですが、本当にこいつでいいんですか? 顔も頭の出来も普通ですよ?」
いつの間に愛称を許されるほど仲良くなったのだろう。エステルですらアークと呼べるようになったのは婚約の内定を伝えられてからだったのに。
「私はエステルがいいんですよ、シリウス殿。エステルは私にとってとても魅力的な女性です」
そんな事ちっとも思ってない癖に。
冷静に分析するエステルと違って、シリウスは瞳を潤ませた。その場に立ち上がるとアークレインに向かって頭を下げる。
「殿下、どうかエステルをお願いします。たった一人の大切な妹なんです」
「頭を上げて下さい、シリウス殿。世界一幸せな花嫁にすると誓います」
心にもないことをマナを楽しげに輝かせてシリウスに告げるアークレインが気持ち悪い。
シリウスはと言えば単細胞で馬鹿だから完全に騙されている。
まるで出来の悪い演劇を見せつけられている気分だ。
「こんな形でお前を送り出す事になるなんてな……幸せになれよ、エステル」
「……はい、お兄様」
幸せになれるだろうか。
不幸になるつもりはないけれど、子供の頃に思い描いていた旦那様に愛し愛されて、温かい家庭を築くという夢は、この王子様とでは叶いそうにない。
生まれ育ったフローゼスのように、自然豊かな場所で穏やかに暮らすものだと漠然と思っていたのに。
アークレインに目を付けられたせいで、色々な人の思惑が渦巻く宮殿暮らしがこれから始まる。考えるだけで気が滅入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます