婚約発表 01
エステルの姿は、ロージェル侯爵邸の地下射撃場にあった。
邸の地下というものは、大抵倉庫や住み込みの使用人が寝泊まりする部屋になっているものだが、広々としたロージェル侯爵邸はそれに加えて射撃の練習場を備えていた。
的である円盤を射出する魔導具と、魔導銃の練習が出来るよう、結界の魔導具が埋め込まれたかなり本格的な練習場である。
エステルがここに来ている理由は一つ、もやもやとした気持ちから逃れるためだった。
移動遊園地に行ってから一週間が経過している。その間に、様々な商会のオーナーがやって来て、ドレスやら靴やら体を飾り立てるものを、アークレインからの贈り物という形で注文する事になった。
アークレインの定期的な訪問も続いていて、エステルの気持ちなどそっちのけでどんどん色々な事が進んでいく。一番エステルを追い詰めたのは、ドレスに似合う宝飾品を三セットも購入された事だ。
贅沢には慣れていないから心苦しくなるのに、アークレインを目の前にすると何も言えなくなって流されてしまう。
エステルは鬱々とする気持ちを振り払うために頭を軽く振ると、的を射出する魔導具にマナを流し、銃を構えた。
元々射撃は必要に迫られて身に付けた技術だった。
エステルの故郷、フローゼス伯爵領には飛竜が時折飛来し人里を襲う。飛竜を駆除するには、竜伐銃と呼ばれる高射程・高威力に調整した魔導銃が必要になるのだが、この竜伐銃は使い手を選ぶ。マナを多く保有している者にしか扱えないのだ。
竜伐は基本的に領主の仕事だが、領主の不在時など緊急時には男女問わず竜伐銃が扱える者が対処しなければならない。
エステルには竜伐銃を扱えるだけのマナがあったので、子供の頃から射撃を仕込まれたのである。
射撃は好きだ。無心で的を狙うと嫌な事を忘れられる。
だからエステルにとっての射撃は、実益を兼ねた趣味と言えた。
(……誰か来た)
魔導銃は火薬式の銃に比べると射撃音は控え目だが、練習中は鼓膜を保護するための耳栓が必要だ。
エステルが背後に立つ人物の存在に気付いたのは、異能でマナを感知したからだった。
不規則に飛んでくる的の円盤は、一度マナを流して起動させると十枚連続で出てくる仕組みになっている。その十枚を撃ち切ってからエステルは後ろを振り返った。
そこに立っていたのは公務帰りらしく、装飾の多いフロックコートを身に着けたアークレインだった。
エステルはヘアバンド型の耳栓を外してから問いかける。
「またこちらにいらしたんですか?」
「私は君に溺れている設定だからね」
アークレインはいつものように穏やかに微笑んだ。マナが明るく輝いているところを見ると、エステルを気に入ってはいるのだろう。
「移動遊園地でも思ったけどいい腕だね。ほぼ百発百中だ」
「お褒めに預かり光栄です」
「もしかして竜を撃った事がある?」
それは、射撃の心得があることを知られると、かなりの確率で聞かれる質問だった。
「……一度だけ。仕留めたのは私ではなくうちに仕える銃士でしたけど」
竜の被害に悩まされる地域は、竜伐銃の使い手を私兵として召しかかえる事が許されている。
エステルが飛竜と対峙したのは一年前だ。シリウスが竜伐に出かけている最中に領内に飛竜が出没し、対応できる者が他にいなかったから赴くしかなかった。
「できれば二度目はない事を祈っています。とても怖かったので」
飛竜の飛行速度は魔導機関車を超える。竜伐銃の有効射程ギリギリから狙撃しても決して安心は出来ない。仕留め損なって襲われたら一巻の終わりだ。エステルはその時の恐怖を思い出しながら手の中の魔導銃を握り締めた。
「二度目はないよ。だって君は私の元に来るんだから」
エステルは身を震わせた。故郷には帰さないと言われた気がした。
自然環境の厳しいフローゼスだが、綺麗な土地でもある。
特にエステルが大好きなのは春だ。長く厳しい冬が終わり、雪解けが始まると、春に咲く花々が一気に咲き誇る。
夏は冷涼で過ごしやすいし、冬の豪雪だって
故郷を思い出すと、エステルの心には帰りたいという想いがどうしても湧き上がる。
「何か言いたい事がありそうな顔だね」
「……別に何もありません」
「嘘だ。本当は嫌なんだよね? 私のところに来るのが。そういう顔だ」
「…………」
黙り込んだエステルに、アークレインはため息をついた。
「沈黙は肯定とみなすけど、それでいいのかな?」
「口に出す事に意味はありますか? 嫌だと言っても殿下が望まれれば私に逆らう術はありません」
王族はこの国一番の権力者。その望みに逆らえば、不敬罪に問われてもおかしくない。
「……不思議だね。何故か君のそんな態度には無性に腹が立つ」
「申し訳ございません」
「謝る必要はないよ。体は権力で縛れても心までは自由にできない。そんな事は私にもわかっている」
アークレインは冷笑を浮かべた。そしてマナも濁る。エステルはどうやら彼の勘気に触れてしまったらしい。
どうすれば彼の怒りを鎮めることができるのだろう。考えるがエステルにはわからない。心にもない事は言いたくないし、妃になんてなりたくないと本音を告げたところで更なる怒りを煽るだけのような気がする。
「……内定が出たよ。君にとっては残念なお知らせかもしれないけれどね」
「え……?」
「父上が私と君の婚約を認めて下さった。正式発表は宮殿で開かれるニューイヤーパーティーで行われる」
ああ、もう逃げられないのだ。エステルは俯くと目を瞑った。
「ニューイヤーパーティーで婚約発表を行ったら、君には天秤宮に移動してもらう。そのつもりでいて欲しい」
天秤宮はアルビオン宮殿を構成する十二の建物のうち、アークレインが使用している建物だ。
アークレインの手が伸びてきて、エステルの頬に触れた。
「移動したら君は名実ともに私のものだ。楽しみだね」
アークレインはそう告げながら微笑んだ。しかし彼の体内のマナはまだ荒れ狂っていて、そのロイヤルブルーの瞳には剣呑な光が宿っている。
「さすがに体面が悪いから子供ができるような事はするつもりはないけどね。君が天秤宮に来る日が待ち遠しいよ」
目を細め、エステルの耳元で囁くと、アークレインは身を離して踵を返した。エステルは呆然とその場を見送る。
さっきのアークレインはまるで肉食獣みたいだった。前にも一度、怪我をしたエステルを尋問する時にも同じような姿を見せているところから考えると、あれが彼の本性のような気がした。
あんな二面性のある人がエステルの夫になる。しかも政争の真っ只中にいる第一王子という立場の人で、暗殺や失脚の危険が常に付きまとう。
怖い。これから自分はどうなってしまうんだろう。
エステルは自分で自分の体を抱きしめた。
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