トラベリング・カーニバル 04

 出会いたくない人に会ってしまった事を除けば楽しかった外出は、出発した時と同じように荷馬車でロージェル侯爵邸の裏口に戻る事で終わった。

 午前中に出かけたのに、既に時刻は五時を回っており、辺りは薄暗くなっていた。冬至を三週間後に控え、最近は日が落ちるのがとても早くなっている。


「エステル、お疲れ様」

「はい。連れ出して下さってありがとうございました」

「少しケチがついてしまったけど、私はとても楽しかったよ。君もそう思ってくれてたらいいんだけど」

「私も楽しかったです」


 最後に訪れたティールームは庶民向けだが、可愛らしくて美味しい店だったので、ライルに出くわした時の複雑な気持ちはうまく昇華できたと思う。エステルはアークレインに心からの感謝を伝えた。


「なら、ご褒美をもらってもいい?」


 エステルの手を取り、荷馬車から降りるのを手助けしながら、アークレインは耳元で囁いてきた。


「ご褒美……?」


 眉をひそめると、アークレインは顔を至近距離に寄せてくる。


 キスされる……!


 そう思って身構えると、鼻を摘まれた。


「引っかかった。君は実にからかいがいがある」

「なっ……!」


 くすくすと笑われ、かあっと頭に血が上る。

 怒りのままにエステルはアークレインから思い切り距離を取った。


「いつまでも外にいたら体が冷えてしまう。早く邸に入ろう」


 促され、半笑いのアークレインに手を引かれた。


(何て意地悪な人なの……!)


 エステルは怒りに打ち震えた。




   ◆ ◆ ◆




 邸に入り、アークレインと別れたエステルは、遅れて裏口にやって来たメイと共に廊下を歩きながら、まだ怒っていた。


 アークレインという人物は掴み所がなくて何を考えているのかわからない。


 優しくて紳士的かと思ったら時々酷く意地悪で、エステルを翻弄して楽しんでいる節がある。

 マナの動きを見る限り、エステルを気に入ってくれているのは確かだ。光栄な事だと思う一方で心がしくしくと痛む。


 警報機として使えて、遊びがいのあるおもちゃと思われているのが悲しい。

 彼はエステルを尊重はしてくれるけれど、それだけで、それ以上のものはきっとくれない。


(やだ、何考えてるの、私――)


 エステルは尊重以上のものを求める自分に気が付いて愕然とした。

 どうやら自分はいつの間にか、あの王子様に魅了されていたらしい。


 エステルは短い期間ではあるが、アークレインと接する中で気付いていた。一見人当たりよく見える彼の眼差しの中にあるのは理性と打算だ。穏やかな微笑みを浮かべてはいても、常に自分にとっての利を冷静に計算し、自分にとって有利になるように立ち回っている。

 それはエステルに対しても側近であるクラウスに対しても同じで、およそ人らしい情とか親愛の類は感じられない。


 好きになっても同じ気持ちを返してくれそうもない相手に惹かれるなんて馬鹿みたいだ。




 ぐるぐると考えるうちに自室に着いた。ドアをメイが開けてくれる。

 部屋の中に入ったエステルは、出発前には無かったトルソーが設置されているのを見て大きく目を見開いた。


「何、この服……」


 トルソーには紺色のローブ・デコルテが飾られていた。ローブ・デコルテは、このローザリアでは女性の第一礼装とされているドレスだ。

 生地は光沢のあるシルクタフタ。裾と袖には金糸で薔薇の刺繍が施され、金色のビーズが星のように散りばめられている。袖は長めで、左腕の傷がうまく隠れるようになっていた。


「エステル様が外出されている間に届いたみたいですね。殿下からのプレゼントです。いずれ必要になるだろうからと仰ってました」

「…………」


 メイの発言にエステルは目眩を覚えた。


 青系統の生地に、ローザリア王家の象徴である薔薇が金の糸で刺繍されたドレスなど身に着けたら、誰だってアークレインを連想するのではないだろうか。彼の髪の毛は蜂蜜色の金髪だ。ドレスの色を紺にしたのは、瞳の色と同じロイヤルブルーが禁色だからだろう。


「よくサイズがわかったわね。こちらに来てから採寸した覚えなんてないのに……」

「フローゼス伯爵家に問い合わせ致しました。だからサイズは大丈夫なはずですよ」

「…………」


 沈黙したエステルをよそに、メイはにこにこと続ける。


「良かったら試着してみられます? でもその前に軽くシャワーを浴びましょうか」

「……殿下は今どちらに?」

「殿下も着替えをされているはずですよ。今日はこちらで晩餐を摂ってから宮殿にお戻りになる予定です」


 淡々と説明するメイに頭がくらりとした。


 元々アークレインの側仕えだったと言うだけあって、メイはなかなかに曲者だ。常に澄ました表情で、体内のマナもほとんど感情の揺らぎを見せない。

 だからこそ世話係として受け入れられたのだが、彼女が時々人形のように見える時がある。

 暗い感情を見せつけられるよりは良いのだが、彼女にはちゃんと赤い血が流れているかたまに不安になる。


「これくらいで驚かれては後が大変ですよ。明日はドレスメーカーが来る予定になっています。このドレスの微修正をしなくてはいけないですし、今後沢山ドレスが必要になるはずですから」


 エステルは目を見開いた。そんなエステルにメイは穏やかに微笑みかける。


「それが第一王子殿下に求婚されるという事です。貰えるものは貰っておけばよろしいかと」


(殿下を利用するって決めたのに……)


 綺麗なドレスを贈られるのは嬉しい。好きだと自覚した人からの贈り物なので尚更である。

 しかし散財を目の当たりにすると心が痛む。それは恐らくフローゼス伯爵家があまり裕福とは言えなかったからだ。

 今までは、ドレスを新調する時は、なるべくオーソドックスな形のものを発注し、リメイクする事で着回したり、下取りに出して新たなものを作ったりと、工夫してやりくりをしてきた。


 エステルはアークレインから贈られたドレスをじっと見つめた。




   ◆ ◆ ◆




 直系王族の住居であるアルビオン宮殿は、十二の建物で構成され、それぞれに黄道十二星座にちなんだ名前がつけられている。

 アークレインはそのうちの一つ、天秤宮を第一王子宮としてサーシェス王から賜っていた。


 その天秤宮の執務室に出仕したクラウス・ロージェルは、朝一番で押し掛けてきたたレインズワース侯爵と対峙するアークレインを目の前にこっそりとため息をついた。


 レインズワース侯爵の手の中には、『ザ・ソラリス』が握られている。その一面には、アークレインがエステル・フローゼスと共に獅子宮を訪問した事が写真付きで報じられていた。

 移動遊園地へのお忍びについては記載されていない所を見ると、そちらはアークレインの動向を探っている記者にはバレなかったようだ。


「この記事は何なのでしょうか、殿下! 先日『ソラリス』に記事が出た時は、単なるゴシップだと仰っていましたよね?」


 レインズワース侯爵の顔は怒りの為か赤く染まっている。彼は娘のオリヴィアを王子妃にねじ込もうと必死だったから無理もないかもしれない。


「前回記事が出た時には特別な感情は無かったんだけどね。見舞いに行くうちに彼女に惹かれていったんだ。だから嘘ではないよ」


 悪びれる様子も無く言い切ったアークレインは自分の主君ながら性格が悪い。クラウスは生まれながらにアークレインに仕えることを定められて生まれた人間だ。長い付き合いの中で、アークレインがかなりいい性格をしている事を知っていた。


 アークレインは一見すると物腰が柔らかく、穏やかな人柄の好青年に見える人物である。しかしその本性は極めて合理的で計算高い。常に自分にとっての有用性を計算し、不要となれば即座に切り捨てる冷酷さを持っている。


 アークレインにとって、これまではオリヴィア・レインズワースが王子妃として迎える上で最適の駒だった。しかし《覚醒者》であるエステル・フローゼスが現れて最適は変わってしまった。オリヴィアには可哀想だが、誰にも存在を知られていない《覚醒者》がアークレインの手駒になるというのは、クラウスも悪くないと思っている。しかも彼女の異能は珍しいマナ感知能力で、感情を察知するというおまけ付きだ。彼女を側に置けば、暗殺者や悪意ある人間をアークレインの元から排除できる。


「オリヴィア嬢には申し訳ないけれど、私はエステルを妃にしたいと思っている。彼女の事を愛してしまったんだ」

「政治的な事を考えれば我が娘が最適と自負しておりましたが……恋に狂い利を捨てると仰るのですか!?」

「その言葉はそっくりそのままお返しするよ。トールメイラー・レインズワース」


 アークレインのロイヤルブルーの瞳が冷たく底光りした。レインズワース侯爵はぐっと押し黙った。


 かつてレインズワース侯爵は、クラウスの母シエラと婚約していたが、後にオリヴィアの母となるアデラインと恋に落ちてシエラとの婚約を解消したという過去がある。フランシールからの亡命貴族エミグレだったアデラインとレインズワース侯爵の恋は、廃太子ギルフィスの『王冠を賭けた恋』ほどのインパクトはなかったものの、当時の社交界では結構な騒ぎになったと聞いている。


 プライドを傷つけられたシエラはいまだにレインズワース侯爵夫妻の事を恨んでいる。エステルに肩入れするのはそのためだろう。レインズワース侯爵は、事態の収拾に手を貸したロージェル侯爵家に大きな借りを作った。第一王子派に所属しているのも、ロージェル侯爵家への負い目があるというのが大きい。


「恋とは厄介だね。今の私は彼女の事以外は考えられないんだ。侯爵もそうだったんだね」


 アークレインはそう言って蕩けるような笑みを浮かべた。その表情には男でも思わず見惚れてしまうような破壊力があった。


 実際には打算ずくなのに、アークレインは大した役者だ。

 半ば呆れながらクラウスはアークレインがレインズワース侯爵にのろける様子を観察した。


「殿下! 殿下はこの選択をいずれ後悔する事になりますよ!」

「そんな事は承知の上だ。レインズワース侯爵、そなたが私の元を離反したとしても私は後悔しない」


 レインズワース侯爵の顔は怒りで真っ赤だ。


(やれやれ、これは長引きそうだ)


 クラウスはこっそりと嘆息した。


(まぁ、どうせ邸には帰れないから構わないか)


 クラウスは現在天秤宮に泊まり込み、ほぼ自分の邸に戻っていないが、これはアークレインの指示によるものだった。エステルをロージェル侯爵邸で匿う事にしたので、万一居場所を記者にすっぱ抜かれた時、妙な邪推をさせない為の布石である。


(一体いつ帰れるんだろう)


 クラウスは何度目になるかわからないため息をついた。この案件で一番割を食ったのは間違いなくクラウスである。それでもクラウスがアークレインに従うのは、それが初恋の人の願いだったからだ。


 彼女への不毛な思いは今も尚、クラウスを捉え続けていて――甘く苦いものが心の中に広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る