トラベリング・カーニバル 01

「今日はこの服をお召しになって下さい」


 獅子宮を訪問してから初めて迎える安息日の朝、メイから渡されたのは、労働者階級の女性が着るような衣装だった。新品ではなく少しくたびれているあたり、女中メイドのものを借りてきたのだろうか。


「どうしてこんな服を着るの?」

「クラウス様が少しは息抜きが必要だろうと。変装しないと記者がお邸の周りを張っていますから」


 エステルは目を見張った。一見すると冷たくていつも無表情なクラウスが、エステルを気遣うなんて。


(意外に優しい方、なのかしら)


「クラウス様は誤解されやすいんですよ。私個人の意見ですが、アークレイン殿下よりクラウス様の方が真っ直ぐでわかりやすい人だと思っています」


 メイは目を細めて笑うと、エステルの髪をルーズな三つ編みにし、わざと野暮ったく見えるような化粧を施した。

 元が地味な顔立ちなのもあって、身支度を終えてしまうとどこにでもいそうな町娘に見える。


「さて、今日は裏口から出ますよ。お出かけのコンセプトは『女中メイドの休日』です」


 得意気なメイの姿に、エステルの気持ちも上向いてきた。

 今まで人目を気にして出かける必要なんてなかったので、庶民の格好をするのは初めてである。


「お出かけはメイも一緒?」


 メイもエステルと似たような格好をしているので尋ねてみると、即座に否定された。


「私も行きますが、今日は護衛としてこっそりついて行く予定です。エスコート役の方は別にいますよ」


 メイは静かな微笑みを浮かべてそう言うと、エステルに裏口へと向かうよう促した。




 使用人用の通用口に着いたエステルは、そこで待っていたエスコート役の姿にギョッと目を見開いた。


「殿下!? どうして……」

「今日のお出かけのエスコート役は私だからだよ」


 悪戯が成功した子供のような顔をしたアークレインは、エステルと同じような庶民の格好をしていた。

 しかしエステルと違って、顔立ちが整いすぎているため全く似合っていない。きらきらしい金髪と南部の高位貴族に多いロイヤルブルーの瞳もあいまって、どこからどう見ても高貴な人がわざと庶民の格好をしているという雰囲気である。


「殿下……変装が変装になってない気がします」

「大丈夫だよ。これがあるから」


 アークレインはエステルに腕を見せてきた。そこには魔導石に加え、細かな文様が刻まれた腕輪がはまっている。


「これは王家に伝わる古代遺物アーティファクトなんだ。これにこうマナを流すと……」


 古代遺物アーティファクトとは、今では失われた古代の魔導技術によって造られた特別な魔導具である。


 様々な種類が確認されている古代遺物アーティファクトは極めて高価で、そのほとんどは好事家に買い占められるため滅多に市場には出回らない。王家は歴代の国王が蒐集した様々な古代遺物アーティファクトを所蔵していることで有名だった。


 じっと観察していると、アークレインの体からマナが腕輪に流れるのが見えた。その直後、アークレインの髪と瞳がどちらも茶色へと変化した。


「どうかな? これで結構違うと思うんだけど」


 小綺麗な顔はそのままだが、確かに王子様オーラは控えめになった。人間、髪と瞳の色が変わるだけで随分と印象が変わるものである。更にハンチング帽を目深に被れば、ぱっと見で見破られる事はまずないと思われた。


「君はそのままで大丈夫だね。女性というのは化粧で随分と印象が変わる」


 アークレインは、メイによって変装メイクが施されたエステルの顔をしげしげと見つめた。


「殿下と私、二人でお出かけするんですか?」

「そうだよ。エステルの息抜きを兼ねて、親睦を深めようと思ってね」


(あなたと一緒では息抜きにならないんですが……)


 エステルは思わず心の中で反論した。


「いいんですか? 暗殺者に狙われているのに」

「護衛は付けていくよ。付かず離れずの距離で警護してくれる予定」

「また前のように狙撃されたら護衛なんて意味無いのでは……」

「君という警報機も一緒だしきっと大丈夫だから。私もたまには街に出て息抜きしないとね」

「大丈夫ですよエステル様、殿下はそもそも大抵の物理攻撃は効かな……」

「黙れ」


 口を挟んできたのはアークレインの隣にいた護衛官だった。しかし発言の途中でアークレインが鳩尾に一発入れて黙らせる。


「……どういう事ですか?」


 今聞き捨てならない事を聞いたような気がする。


「何でもないよ。さあ、早く行こう。遊ぶ時間が減ってしまう」

「教えてください、殿下」


 じっと見つめると、アークレインはバツが悪そうな表情をした。


「王族の《覚醒者》は異能とマナのコントロール方法を覚醒と同時に叩き込まれるんだ。その結果付加能力に目覚める者が稀にいて……」

「対外的には伏せられていますが殿下の体の頑丈さは化け物です。真剣で斬り付けても斬れないレベルです」


 説明を受け継いだのは、先程アークレインの肘鉄を食らった王室護衛官ロイヤルガードだった。素朴で温厚な雰囲気の青年である。アークレインと同じような庶民の格好をしているのに王室護衛官ロイヤルガードとわかるのは、何度かアークレインに付き従っている姿を見かけているからだ。


「化け物、ねえ……ニール、お前、私の事をそんな風に思ってたんだね……」


 微笑みながらも目が笑っていないアークレインの言葉に、ニール護衛官はヒッと小さく悲鳴を上げた。


「私の場合、常にマナによる障壁が体の表面に展開されているような状態なんだ。だから物理的に攻撃されても割と平気というか……剣で斬り付けられると鉄の棒で殴られるようなものだから普通に痛くはあるんだけど……」

「……それってもしかして、舞踏会の時、私があなたを庇う必要はなかったという事ですか?」


 体がわなわなと震えた。アークレインを庇ったせいでこちらは大怪我をし、左腕に消えない傷まで出来たというのに。


「竜伐に使われるような魔導銃ならさすがに死ぬかもしれないけど、あの威力のハンドガンなら多分大丈夫だった……かな……?」

「……最低」


 エステルは吐き捨てた。

 どうして自分はあの時アークレインを庇ってしまったんだろう。過去に戻れるものなら戻りたい。


「本当は私の異能なんて殿下には必要ないのではありませんか?」

「そんな事はないよ。マナの障壁は無敵な訳では無いんだ。毒や竜伐銃を持って来られるとさすがに命の危険を感じる」


 竜伐銃とは竜を撃つ為の魔導銃である。竜の硬い皮革を撃ち抜く為の調整がされている銃で、普通の人間が竜伐銃で頭を撃たれると、首から上が消滅すると言われているくらい高威力な銃だ。


「ごめん、怒ったよね。でも、君に庇って貰った事自体私は感謝してるんだ。君という得がたい能力を持つ女性にも出会えたからね。怪我をさせてしまった事は申し訳なく思っている」

「…………」


 こうなったらこちらもこの男を利用してやる。クラウスに勧められたように。エステルは決意すると、目を閉じて深呼吸した。


「エステル……」

「……怒っていません。滅相もない事です」


 荒れ狂う内心を抑えつけ、じっとアークレインを見返すと、アークレインのマナはたじろいだように揺らいだ。


「早く参りましょう、殿下。折角久し振りに外に出るんですから色々な所に行きたいです」


 エステルはにっこりと社交用の微笑みをアークレインに向ける。


「……そうだね、行こうか」


 アークレインは気を取り直したように微笑み、エステルに向かって手を差し出した。




   ◆ ◆ ◆




 ロージェル侯爵家のタウンハウスは首都アルビオンの高級住宅街にある大きな邸宅だ。市街地まではかなりの距離があるため、使用人が主に使っている荷馬車で出かけることになった。


 御者はアークレインがつとめ、エステルはその隣に座る。

 荷馬車は人が乗るようには設計されていないため、振動が直接伝わってきてお尻が痛い。


「市街地では僕の事はレンと呼んで欲しい。間違っても殿下とは呼ばないように」

「はい」


 街に向かう道すがら、アークレインから釘を刺されてエステルは頷いた。


「エステルの事は、そうだな……アスターにしよう」

「そのままですね」


 エステルの綴りは現代ローザリア語風に発音するとアスターになる。安直な偽名に思わず突っ込むと、アークレインは得意気な表情をエステルに向けた。


「こういうのはあまり本名からかけ離れない方がいいんだ。咄嗟の時に反応できないと、明らかに偽名ってわかるだろ?」


 この王子様はたまにこういう子供っぽい仕草を見せる。


「どこに行くのかはもう決めていらっしゃるんですか?」

「中央公園に行くつもりだけど……その言葉遣い、もう少し砕けたものにできないかな? シリウス殿と喋る時みたいに」

「……努力しま……するわ」


 エステルが言い直すとアークレインはくくっと笑った。

 今日の彼はマナを見る限りかなり機嫌が良さそうだ。


「殿下……じゃなくて、レン、手馴れていませんか?」

「変装して街に出るのはこれが初めてではないね」


 アークレインは言葉を濁したが、一人称も『私』から『僕』に変わっているし、常習犯の匂いがした。


「あの、兄の事なんですが、ホテルを手配して下さってありがとうございます」

「未来の義兄の為だからね。アスターが気にすることじゃない。ロージェル侯爵邸に滞在してもらっても良かったんだけど、ホテルの方が気楽かなと思ってね」

「私もホテルの方が良かったです……」

「君は駄目。ホテルでは警備が心もとない」

「兄ならいいんですか?」

「彼と君では存在の重要性が違う。ホテルに泊まりたいのならいずれ連れて行ってあげるから、今は我慢して欲しい」

「連れて行って下さるんですか?」

「アスターが身も心も僕のものになるのなら」

「なっ……!」


 ちらりと流し目を向けられて、顔がかあっと紅潮した。


「一緒に外泊するんだ。相応の事があると期待するよ? 僕も男だからね」


 クスクスと笑い出す所を見ると、からかわれているらしい。


「なかなか敬語が抜けないね」

「……申し訳ありません。私とレンの元の立場を考えると難しくて……」

「いいよ。付き合いたてのカップルって考えたら、敬語でもそう違和感はないだろうから」


 そんな会話を交わしているうちに、馬車は市街地に入っていく。久々の首都のメインストリートの様子に、エステルは目を輝かせた。

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