国王夫妻との対面 03

「エステル嬢、どうしたの? 酷い顔よ」


 翌朝の朝食の席では、シエラから心配されてしまった。珍しく朝食の席に同席しているクラウスも、物言いたげな視線を向けてくる。


「昨日は疲れていたんでしょうね。部屋に戻ってからすぐに眠ってしまって……明け方の変な時間に目が覚めて眠れなくなってしまったんです」


 エステルは苦笑いした。寝不足に加えて泣いてしまったので自分でも酷い顔をしている自覚はある。

 寝室に置かれていた水差しの水を使って冷やしたものの、明るくなってから鏡で確認すると目蓋は腫れぼったくなっていた。




「エステル嬢、少しいいですか?」


 クラウスから呼び止められたのは、食事を終え、食堂から自室に戻ろうとした時だった。


「何でしょうか、クラウス様」

「……大丈夫ですか?」


 質問の意図がわからず首を傾げると、ため息をつかれた。


「泣いてましたよね? 昨日。夜中の四時頃でしたか。中途半端な時間に目が覚めてテラスに出たら、女性のすすり泣くような声が聞こえてきました」

「……どうして私だと決めつけるんですか」

「私は聴力には自信があるんです。寒いのに外に出たりなんかして、風邪でも引いたらどうするんですか」

「その言葉、そっくりそのままクラウス様にお返しします」

「ああ言えばこう言う……」


 舌打ちと共に冷たい視線が向けられた。


「殿下からの求婚がそんなにお嫌ですか?」

「…………」


 嫌だ。だけどそんな事、アークレインの腹心の部下であるこの人には言えない。

 沈黙したエステルに向かってクラウスはため息をついた。


「第一王子妃は、女性としてはこの国では王妃に次ぐ二番目に高い地位ですよ」


 どうやらクラウスは沈黙を肯定と受け取ったようだ。


「私には分不相応です。王子妃なんて地位が高すぎて……」

「高すぎるという事はないでしょう。あなたは伯爵令嬢だ。歴代の王子妃は大抵伯爵位以上の貴族から出ています」


 クラウスは表情に乏しい。無表情でそう告げられると、責められているような気分になる。


「高すぎるんです。私はフローゼス領の為になる貴族の家に嫁げればと思っていたので……領主の妻になる為の教育は受けていても王族に嫁ぐための教育は受けていません。正直……王子妃になるための追加の教育過程を受けなければいけないのも苦痛です」


 エステルは訥々と言葉を連ねながらクラウスを睨んだ。するとまたため息をつかれた。


「女性の幸せは望まれて嫁ぐことでは? 殿下はあなたを望まれています。国王陛下から認められなかったとしても必ず側に置くと明言されるくらいに」


 望まれているのに何が不満だ、お前ごときが不満を漏らすなんておこがましい。――クラウスはそう言いたいのだろうか。


「殿下は私を女性として求めていらっしゃる訳ではなく、私の異能を利用しようとされているだけです」

「……そうでしょうね。ですが、それの何が問題です?」

「は?」

「殿下はあなたの能力を買っていらっしゃるんです。それは、恋愛感情などという不確かなものよりも、ずっと強い繋がりを殿下との間にもたらしてくれるのではないですか?」


 エステルは驚いてクラウスの淡い水色の瞳を見つめた。

 無機質なガラス玉のような瞳だ。

 その表情には何の感情も浮かんでおらず、マナの色合いからも何も読み取れない。


 試されているような気がした。


「……人によっては光栄に感じられるのかもしれませんが、私にはありがた迷惑です」


 悔しくて腹立たしくてエステルはクラウスから目を逸らした。

 クラウスもアークレインも、ここにいる人は誰もエステルの気持ちをわかってくれない。


 エステルにとっての異能は、目覚めて以来余計なストレスをもたらすものだった。だからそんな能力を求められてもちっとも嬉しくない。どうせ求婚されるのなら、一人の女として望まれたかった。


 少なくともライルとの婚約が成立した時は、背景に家の事はあったけれど、エステルに対する好意が感じられた。その十分の一でもアークレインからの気持ちを感じられたら、今の状況が辛いとは感じなかったと思う。


 エステルはアークレインに惹かれつつもそんな自分に虚しさを感じていた。

 あの人はエステルの異能が必要なだけ。エステルに優しくするのも、理想的な求婚者として振る舞うのも、異能を手に入れる手段に過ぎないのに、なまじ顔がいいから性質が悪い。


「……殿下があなたを利用するように、あなたも殿下を利用すればいいのではありませんか?」

「利用……?」

「エステル嬢は前の婚約者をポートリエ男爵令嬢に奪われましたよね? その事で、社交界でも色々と言われたのでは?」


 言われた。それだけじゃない。ポートリエ男爵令嬢からは結婚式の招待状まで送られてきた。

 思い出すとムカムカしてエステルは俯いた。


「……この事はまだ伝えるまいと思っていましたが、殿下があなたを気にかけていることを『ザ・ソラリス』が嗅ぎ付けました」


 『ザ・ソラリス』は、この国で一番発行部数の多い大衆紙タブロイドだ。過激な紙面が特徴で、貴族や女優など、著名人のスキャンダルがあれば、ハイエナのように食らいついて、ある事ない事含めて派手な報道をする事で知られている。

 粘着質な取材に捏造報道、なんでもござれの記事で低俗と見下される大衆紙タブロイドだが、世論への影響力は馬鹿にできない。


「すっぱ抜かれたんですか?」

「連中の嗅覚はハイエナ並みです。狙撃はあの時舞踏会に参加していた大勢の貴族に見られていましたし、殿下も隠す気なんてさらさらない様子でここに通ってきてましたからね」

「まさかわざと……」

「私は一応もっと隠すようにとは進言したんですけどね。騒がれた方が国王陛下の許可を得るのに有利だとお考えになったんでしょう」


 エステルは絶句した。

 思っていたよりもアークレインは計算高い腹黒野郎だ。


「リークまでは流石にしてないと思いますよ」


 フォローになっていない。


「既にあなたの個人情報は、誕生日から学歴、ライル・ウィンティアとの婚約破棄、殿下を庇って消えない傷が腕に残った事も含めて世の中に出回っています。今日あたり昨日あなたと殿下が揃って獅子宮に伺候した記事が出るんじゃないでしょうか」


 エステルはくらりと目眩を覚えた。


「お兄様は今どうしていらっしゃるんですか? 記者がタウンハウスに詰め掛けているのでは……?」

「記事が出た翌日にはホテルに移動していただきました。だからあなたが心配されるような事にはなっていませんよ」


 クラウスの言葉に少しだけほっとした。


「国王陛下の許可が出るにせよ出ないにせよ、殿下はあなたを傍に置こうとなさるでしょう。こうなった以上、あなたも殿下を利用してやるくらいの気概をお持ちになった方がいいです。社交界に出れば口さがない者に色々と言われますよ。例えば、腕の傷痕を盾に殿下に結婚を迫った――とか」

「もしかして、励まして下さっているんですか?」

「違います」


 即答で否定された。


「あまりに辛気臭い顔が視界に入ってくるのは目障りなだけです。夜中に泣き声が聞こえた時には幽霊かと思いました。うちをホラーハウスにしないで下さい」


 クラウスはちらりとエステルを一瞥すると、「言いたい事は全部言いました」と告げて踵を返し去って行った。


(もしかして激励して下さったの……?)


 エステルは去っていくクラウスの背中を複雑な気持ちで見送った。




   ◆ ◆ ◆




 エステルの体調が悪そうと言う理由で、今日の家庭教師の講義はなしになった。


 クラウスと別れ、部屋に戻ったエステルは、メイにお願いして、ここ最近の大衆紙タブロイドを持ってきてもらうことにした。




 ――アークレイン殿下に恋の予感? 舞踏会での運命の出会い

 ――お相手はエステル・フローゼス伯爵令嬢!


 ――エステル嬢が獅子宮へ 婚約まで秒読みか?

 ――アークレイン殿下と衣装を合わせていたエステル嬢




(……本当だった)


 エステルは、自分について書かれた大衆紙タブロイドの記事を前に頭を抱えた。


 『ザ・ソラリス』の記事を皮切りに、複数の大衆紙タブロイドがエステルの個人情報を赤裸々に暴き立てている。元婚約者のライルやライルを奪い取ったディアナ・ポートリエの事も書かれていた。

 エステルはディアナと会った事なんてないのに、ライルを巡るキャットファイトまで捏造されている。


大衆紙タブロイドなんていい加減なんですから、あんまりお気になさらない方がいいですよ」


 メイは冷ややかな眼差しをエステルが手にしている『ザ・ソラリス』に向けた。


「そんな事より着替えましょう。気分転換にはお洒落が一番です。今日は午後からシリウス様がこちらに来られるそうですよ」

「お兄様が?」

「はい。色々と記事が出たことで心配されたみたいです」

「お兄様なら適当でいいわよ」

「駄目です。お嬢様を飾るのは私にとっても楽しいですから」


 メイはフローゼス伯爵家でのエステルの世話係だったリアに匹敵するくらいセンスがいい。

 特に髪を結う腕前はかなりのもので、アークレインの元では技術を発揮する機会がなくて歯がゆい思いをしていたようだ。


「よろしくね」


 エステルは軽く肩をすくめると、衣装もメイクも全面的に任せる事にした。




   ◆ ◆ ◆




 午後になってエステルの元にやってきたシリウスは、いつも通り元気そうだった。


「いやぁ参ったよ。記事が出てからタウンハウスの周りに常に記者が張っててさ。殿下がこちらの事を気遣ってホテルを手配してくださらなかったらどうなってたか」

「二月半ばくらいまではいつも通りこちらで過ごすのよね?」


 シリウスが首都に出てきたのは、エステルの結婚相手を探すだけでなく、議会に出なければいけないからだ。世襲貴族の当主は貴族院の議員でもある。


 基本的に議会の会期は前年の十一月から五月までとなるのだが、フローゼス伯爵領の場合、領主は晩冬から春先にかけては竜伐の指揮を取らなければいけないので、それ以降は通信魔導具での参加が特例で認められている。


「後二ヶ月以上あるけど大丈夫なの? かなりの費用がかかるんじゃ……」

「安心しろ、殿下持ちだ。凄いんだぞ。『アルビオンガーデン』のスイートルームを手配してくださったんだ」


 エステルは呆気に取られた。『アルビオンガーデン』は首都でも一、二を争う格式のホテルである。


「私が泊まりたいわ……」

「ロージェル侯爵邸も待遇と言う意味じゃあんまり変わらないだろ……とんでもない人を射止めたなぁ、妹よ。お兄様のところにも沢山招待状やら色んなお嬢様の姿絵やらが送られてきてちょっと大変だよ」


 そう告げたシリウスは、少しだけ疲れた表情を見せた。


「いい人がフローゼスにお嫁に来てくださるといいですね」


 自分の知らない間に外堀がアークレインによって埋められていく。そんな気がしてエステルはこっそりとため息をついた。

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