国王夫妻との対面 02

 獅子宮を出て、帰りの馬車に乗り込み、ようやくエステルは緊張から解き放たれた。


 アークレインは行きと同じくエステルの隣に座ってくる。エステルは遠い目で受け入れた。


「予想通り王妃は反対しなかったね。父上はああ言ってたけど、たぶん承認は降りると思うよ」

「そうでしょうか? 二人ともマナが陰ってましたよ?」


 エステルの言葉に、アークレインは目を見開いた。


「陰ってた? 王妃も?」

「はい。口では私を後押しするような事を仰っていましたが、国王陛下よりマナの淀みは酷かったです」

「…………」


 アークレインは顎に手を当てると考え込んだ。


「……過去に王妃と面識があったりする?」

「いいえ。デビュタントの時に拝謁したくらいで、まともにお話ししたのは今日が初めてです」


 社交界デビューした後も、社交のため何度か宮殿を訪問する機会はあったが、国王夫妻というのはエステルにとっては遠くから姿を見るだけの雲の上の存在だった。


「フローゼスと王妃の実家マールヴィックとの間に何か確執でもあったかな……? 少し調べてみるか……」


 エステルはぶつぶつと呟くアークレインの横顔を見つめた。端正に整った顔はいつ見ても憎らしいくらいに格好いい。


 国王の承認が降りたら、この人が未来の夫になることがほぼ確定する。

 死の危険が付きまとう人物だが、それを差し引いても魅力ある男性だ。

 しかし、婚約が認められなかった場合、エステルの扱いはどうなるのだろう。

 アークレインがエステルの異能を利用するためには、エステルを傍に置く必要がある。

 婚約は伯爵令嬢であるエステルを側に置くための一番まっとうな手段だが、その手段が認められない場合は……


「もし許可が出なかったら、殿下はどうされるおつもりですか? 愛人として囲われるのは流石に嫌なのですが」

「許可は降りるよ。たぶん。ギルフィス公の駆け落ち事件の例があるから今の王家は恋愛結婚には寛容だ。そういう意味ではあの方には感謝しないといけないね」

「『王冠を賭けた恋』ですか」


 ギルフィス公とは、アークレインの祖父の兄で、王太子でありながら恋に狂い、王冠を捨てた事で有名な人物だ。


 ギルフィスが恋をした相手は、とある離婚歴のある準貴族の女性だった。

 ギルフィスは彼女との結婚を熱望したが、準貴族という身分以上に離婚歴が問題視された。ローザリアの国教であるメサイア教では離婚は禁じられているからだ。


 ギルフィスの恋は、当時の国王(アークレインの曾祖父)や貴族だけでなく、世論からも大きな批判を受けた。


 最終的にギルフィスは全てを投げ捨て、その女性と新大陸に駆け落ちし、王家の威信に泥を塗った。


 尚、その恋は悲劇的な結末を迎える事になる。

 新大陸に渡って五年後、ギルフィス廃太子とその妻エイニスは馬車の事故でこの世を去った。この事故に関しては、王家の諜報機関である《薔薇の影》が関与しているのではないかとまことしやかに囁かれている。

 スキャンダルから非業の死を迎えた元王太子の生涯は、『王冠を賭けた恋』と呼ばれ、様々な芸術の題材となっていた。


「伯父上の事件はとんでもないスキャンダルになったからね。エステルは未婚の伯爵令嬢だからそこまで強硬に父上は反対しないと思う」

「でも……もし許可が降りなかったらどうなさるおつもりですか?」

「愛人に召し上げるしかないかなぁ」


 この王子様はさらりと酷い事を言う。


「愛人は嫌だって言いましたよね?」

「最大限大切にする。そうなった場合は妃より君を尊重すると我が名にかけて約束するよ」

「そういう問題ではないです。妃になる人にも失礼です」


 そもそもエステルは一人の男を別の女性と共有するなんて絶対に嫌だ。

 貴族の結婚は所詮政略結婚、婚姻を結び子供を設けるという義務を果たした後は、自由な恋に走り愛人を持つ人がいるのは知っているが、今の段階でそんな事は考えたくもない。


「父上が許可を出して下さる事を祈るしかないね」


 そう言ってアークレインはエステルに微笑みかけてきた。


 アークレインの考え方は実に王族らしい。彼にとって必要なのはエステルの異能で、そこに個人の感情は必要ないのだ。

 妃が無理なら愛人にと望むのも、エステルを女として欲しているのではなくて、ただ便利な警報機を傍に置きたいからだ。

 現実を思い知らされ、心がしくしくと痛んだ。




   ◆ ◆ ◆




 ロージェル侯爵邸に戻ると、クラウスとシエラに出迎えられた。

 領主業の傍らアークレインの側近を務めるクラウスは、多忙を極めていて邸にはあまり帰ってこない。第一王子宮である天秤宮に泊まり込むことが多いようで、こうして顔を合わせるのは久しぶりの事だった。


「お疲れ様でした、殿下。ティーパーティーはいかがでしたか?」

「今日のところは保留にされた」


 答えたのはアークレインである。


「サーシェス陛下は即断即決はなさらない方ですからね」


 クラウスは軽く肩を竦めるとエステルに視線を移した。


「エステル嬢、疲れたでしょう。夕食まで部屋で休まれますか?」


 クラウスはアークレインがエステルに求婚してから、初対面の時が嘘のように丁寧な態度を取るようになった。主君の未来の妻としての扱いらしい。


「精神的にとても疲れたので今日は夕食は喉を通りそうにないので結構です。申し訳ありません」

「あら、それは良くないわね。エステル嬢、ひとまずお部屋でお休みなさい。夜中にお腹が空いてはいけないから、後で簡単に摘める軽食を持っていかせるわ」


 気遣わしげなシエラの申し出はありがたかった。

 エステルはその言葉に甘えて、自分に割り当てられている客室に一足先に向かわせてもらう事にした。




   ◆ ◆ ◆




 エステルをロージェル侯爵家のタウンハウスに送り届け、第一王子宮である天秤宮に戻ってきたアークレインは、父、サーシェスの訪問を受けていた。


 宮殿に張り巡らされた隠し通路を使った極秘の訪問だ。

 訪問の目的はわかっている。昼間のティーパーティーで紹介したエステルについて物申したいのだろう。


「正気かアーク、オリヴィア嬢ではなくあの娘を選ぶなど」


 サーシェスは、ソファにどっかりと腰掛けるなり単刀直入に切り込んできた。


「この上なく正気ですよ、父上。私はエステル嬢を好きになってしまったのです。妃にするなら彼女以外考えられない」


「お前が恋愛感情に溺れる、というのがどうにも信じ難い」


 この父は妙なところで勘が鋭い。アークレインは心の中でどう言いくるめるか思考を巡らせた。


「お前は王になりたくないのか? あの娘を婚約者として認めれば、レインズワースも黙ってないだろう」


「なりたくないと以前にも申し上げたはずです。王位などなりたい者が継げばいい」


「……私はお前が継ぐべきだと思っている。お前もリーディスも《覚醒者》だ。ならば王室法の長子相続の原則を崩すべきではない。この国は法治国家なのだから」


 そう告げたサーシェスの顔には苦々しいものが溢れていた。サーシェスとしては早くアークレインの立太子の儀式をしたいのだろう。しかし王妃とマールヴィック公爵を始めとする第二王子派の反発が目に見えている為できないでいる。


「エステル・フローゼスと婚姻するとそちらの派閥はガタガタになるぞ?」

「よろしいのではありませんか。リーディスを指名しやすくなりますよ」

「あれは性格がな……」

「まだ子供です。大学を卒業する頃にはもう少し落ち着く可能性もあるでしょう」

「不確定な未来に賭けるよりは、素直にお前が王になってくれる方が私は安心できるのだがな……」


 ため息をつきながらサーシェスは頭を押さえた。


「お前には余計な苦労をかけて申し訳ないと思っている。もう少し待って欲しい。王妃も公爵も何とか説得してみせるから……」


 そう告げるサーシェスをアークレインは冷ややかな目で見つめた。


 父が自分を第一子としてそれなりに愛し、尊重してくれている事は知っている。しかし彼の愛情は等しくトルテリーゼ王妃にもリーディスにも注がれており、それ故にどちらも切り捨てられず、板挟みになって苦悩している事も。


 亡き母ミリアリアに対する裏切りだと思う反面、王として後継者のスペアを作る為に後妻を迎えなければいけなかった事情は理解できる。始めはミリアリアに遠慮し、冷遇していたトルテリーゼをいつしか寵愛するようになった事も責めるつもりはない。


 リーディスの血統と空間転移という希少価値の高い異能、その二つのせいで王妃とマールヴィック公爵が余計な欲を抱いてしまったのが悲劇の始まりだった。


「今からでも遅くない。婚約の件は考え直さないか?」

「お断りします」


 アークレインはきっぱりと言い放った。早く父が自分を諦めてくれる事を祈りながら。

 第二王子派の連中に敵視され、足元をすくわれないように気を張る日々から早く解放されたい。アークレインの中にあるのはそれだけだ。




   ◆ ◆ ◆




「ん……」


 エステルが目覚めると、周囲は既に真っ暗になっていた。

 時計を確認すると時刻は四時を指している。明け方の四時と考えて良さそうだ。

 アルビオン宮殿からこの邸に戻ってきて、部屋に引っ込んだエステルは、化粧を落として楽な服に着替えた後、どうやら眠ってしまったらしい。

 ソファに座ってメイに淹れてもらったお茶を飲んだ後の記憶が曖昧だから、恐らくそのまま寝落ちしたのだろう。


 目覚めたらベッドの中だった。一体誰が運んでくれたんだろう。

 疑問に思いながらも身を起こし、枕元にあった魔導ランプの明かりを点ける。室内は暖炉の火が落ちて随分と時間が経っているのか少し肌寒かった。


 エステルは上着とショールをしっかりと羽織ると、カーテンに閉ざされた窓際へと移動した。

 分厚い繻子のカーテンを開けると、冴え冴えとした銀色の三日月と、兄と同じ名を持つ冬の星、シリウスが見えた。


 古語で『焼き焦がすもの』という意味を持つシリウスは、冬の空で最も輝く星だ。

 エステルの両親は兄妹に星にちなむ名前をつけた。エステルは一番星、宵の明星をあらわす言葉だ。


 首都は夜でも魔導灯の光があるため、フローゼスほど星が見えない。

 シリウス、リゲル、ベテルギウス――

 首都で見えるのは強く輝く一等星だけだ。晴れた日には天の川すら目視できるフローゼスの澄み切った夜空が恋しかった。


 かえりたい。


 しっかりと眠ったはずなのに酷く心身共に疲れていて、何故か涙が零れた。

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