トラベリング・カーニバル 02

 荷馬車はあらかじめ話を通してあった、ロージェル侯爵家御用達の商店に預け、そこからは徒歩で公園に向かう計画だ。


「ここから少し歩くけど大丈夫?」

「はい。中央公園までですよね? 今日は歩きやすい靴を履いているので大丈夫です」


 エステルは貴族のお嬢様だ。嫌な顔をされるかもしれないと思った質問に平然と答えを返して来たので、アークレインは口元を緩めた。


 今のところアークレインはエステル・フローゼスの事を気に入っている。自分の妃にするには教養が足りていないが、今後の教育でそこは補っていけばいい。


 女子教育の名門、エジュレナ女子学院の卒業生だけあって、行儀作法は及第点、隣国であるフランシール語の語学力が高かったのは意外だった。エステルの乳母がフランシール人だった影響らしい。


 不足しているのは主に地理と歴史、そして主要な貴族についての知識だ。その辺りを仕込めば、自分の隣に立つ女として使えるレベルに仕上がるだろう。


 エステルはアークレインにとって思わぬ拾い物だった。

 あの日舞踏会でダンスに誘ったのは、こちら側に付くと表明したフローゼス伯爵の心象を良くする為にすぎなかった。


 フローゼスは代々堅実な領地経営を行ってきた家門だ。

 中央への野心がなく、政界への影響力も微々たるものだが、ずっと日和見をしていた北部貴族の一人がアークレインの元にやって来たのだ、歓迎する姿勢を見せておいて損は無いという計算だった。


 その代わりウィンティアがリーディスについたが、魔導石の鉱脈を持つ分フローゼスの方がうまみがある。


 《覚醒者》という能力を引っ提げてエステルが現れたのは、アークレインにとって都合が良かった。オリヴィアに代わる王子妃の資質を備えた女を探していたところだったからである。


 エステルを傍に置くことはアークレインの中ではもう確定事項だ。あの異能は役に立つ。正式な配偶者になるか、それとも愛人とするか、そこは父王の判断になるが、十中八九承認は降りるだろうと踏んでいる。……というか、そうでないと困る。アークレインはオリヴィアの事が嫌いな訳ではなかったが、共にいるとしっくりと来ない感覚があった。


 おそらく王子妃になって当然、そんな傲慢な雰囲気が時折見られたのが原因だ。

 見目、能力、家柄、全て申し分なかったが、人生のパートナーにするとなると素直に頷けない自分がいた。


 性格という点では、王子妃という地位を恐れ、嫌そうな顔をして逃げようとするエステルの方が余程好ましい。逃げられると追いかけたくなるのは男という生き物の性だ。追い回して追い詰めてアークレインの作った檻の中に閉じ込めてやりたくなる。


 異母弟と王妃を牽制するという意味では、自分の派閥の重鎮であるレインズワース侯爵家と結びつく方がいいのはわかっている。北に引きこもり中央に出てこないフローゼスでは基盤が弱い。


 だが、そもそもアークレインは王位を望んでいない。かと言って、仮にリーディスが王位に就いた場合、幽閉や投獄されるのは嫌だ。アークレインとしては生活のレベルは落とさず悠々自適に天寿をまっとうするのが理想だ。


 王になれなかった場合は、王家直轄領のどこかを貰ってのんびりと領主が出来ればベストだ。罪に問われて始末されるようなら、隣国か新大陸に亡命するつもりでこっそりと準備も進めている。


 アークレインがその着地点を目指す上で、エステルの異能はきっと役に立つ。本人が《覚醒者》である事を公表するのを恐れているのも、アークレインにとっては悪くなかった。アークレインが常にマナの壁を纏っている事を秘密にしているように、手の内にある良い札は隠しておくに限る。エステルは、トランプに例えればハートの女王クイーンになり得る存在だとアークレインは評価していた。


 そんな彼女をアークレインの手札にする為に一番良い方法は恋愛感情で縛り付ける事だろう。


 アークレインは今までに異性を好きになった事がない。だから理解できないが、周囲の人間を見ていると、恋愛感情というものは、人に尽くす最大の動機になるものらしい。


 アークレインは自分の顔面や王子というバックグラウンドが持つ魅力を自覚している。全力でそれらを利用すれば、他の女がころりとアークレインに恋に落ちたように彼女も落とせるはずだ。そのためなら体も顔も、自分の持てる全てを使うつもりである。


 そんなアークレインにとって、周囲にいる人間はカードだ。使える手札なら手元に置くし、使えない札は容赦なく切り捨てる。そんな風に人を分類する自分は、きっと人としては欠陥品に分類されるだろう。


 可哀想なエステル。こんな打算的な男に目を付けられるなんて。


 一つ不安があるとすれば、彼女の異能がアークレインの邪な感情を暴かないかという事だ。

 大まかな感情しかわからないと言っていたから大丈夫だと思いたい。今のところアークレインはこの遊戯ゲームを面白そうだと感じているから、気付かれないだろうと踏んでいる。


 問題は将来、アークレインがエステルに飽きたり嫌悪感を抱くようになった場合だ。王子妃という立場がエステルを変えないとは限らないし、人の心は移ろうものだ。未来の事は誰にもわからない。かつてのトルテリーゼ王妃は、赤薔薇に例えられる華やかな外見とは裏腹に控えめな女性で、嫁いできた当初はアークレインに優しかった。しかしその態度は父の寵を受けた後がらりと変わり、幼かったアークレインの心をいたく傷つけた。


 もしアークレインがエステルに負の感情を抱くようになった時、彼女がアークレインの害になる行動に出ては困る。そうさせない為にも恋に加えて有効な何かで更に縛らなくては。


 彼女を捕獲する上で何が有効だろう。子供を産ませることだろうか。

 いや、それだけでは弱い。

 シリウスにこちらに有利な縁談を用意して、まずはフローゼスをアークレインに逆らえないようにしておく事も必要だ。


 自分が自己中心的で汚らしい存在である事をアークレインは自覚している。しかし計算高くならなければ王宮では生きて来られなかった。だから自分がこうなのは仕方がないのだ。


 アークレインは、隣を歩くエステルの横顔をこっそりと盗み見た。

 お忍び慣れしているアークレインと違って、彼女の歩き方やちょっとした仕草からは良家のお嬢様感が抜けきれていない。そんな所が可愛らしく見える。

 彼女は楽しげに人が行き交う大通りの様子を眺めていて、アークレインの中に罪悪感が湧き上がった。


 これから二人で向かう予定の中央公園は、首都のメインストリートであるこの通り沿いにある。


 突如エステルの目が大きく見開かれた。視線の先を追うと、公園の木々の隙間からテントの屋根が覗いているのが見えた。テントの周囲には旗や魔導ランプが飾り付けられ、楽しげに風に揺れている。


「移動遊園地……。そうか、もうそんな時期なんですね」


 ニューイヤーの祝祭を控えた年の瀬のこの時期、首都には多くの人が集まる。そこを狙って中央公園には例年移動遊園地の興行がある。


 目玉は回転木馬と木製コースターだ。また、随行する大道芸人達が様々なパフォーマンスを行い、テントの周りには様々な露店が立ち並ぶので、アルビオンの市民にとっては大人気の娯楽となっていた。


「遊びに来た事は?」

「勿論ありますよ。学生の時は友人と毎年のように遊びに来ました。でん……じゃなくてレン、連れて来て下さってありがとうございます」


 エステルは嬉しそうだ。ここに連れてきて正解だった。


 外出を決めたのは、クラウスからエステルの様子がおかしいと報告を受けたからだ。アークレインが求婚したせいで環境が変わり、妃教育やら国王夫妻との会見やらが重なった事が彼女のストレスになっている可能性が高い。


 この恋愛遊戯ゲームを攻略する上でそれは宜しくない。この辺りで点数を稼いで好感度を少しでも上げなければ。

 アークレインはエステルに微笑みかけると、しっかりと手を繋ぎ直した。




   ◆ ◆ ◆




 移動遊園地の中は雑多な人混みと活気に溢れていた。


 ジャグリングに手品、様々な軽業に火吹き芸――大道芸人達によるパフォーマンスだけでなく、食べ物や雑貨を扱う露店なども立ち並び、ただ中を歩いているだけでも楽しい空間だ。


 大掛かりな遊具を伴う移動遊園地の興行は、王家や貴族、大富豪の後援あってこそである。


 アークレインと一緒と言うのが少し気詰まりだが、折角の外出なので楽しまなければ損だ。エステルはきょろきょろと辺りを見回した。


「まずは何をする? 定番の回転木馬?」

「コースターも乗りたいです」

「並ぶ覚悟をしないとね」


 アークレインの指摘通り、回転木馬も木製コースターも凄い行列になっていた。

 しかし行列の傍では道化師が立って芸を披露し、客が待つ間退屈しないような工夫がされていた。




 回転木馬も木製コースターも、魔導石の助けを借りて動く遊具である。

 木の枠組みで作られた高い坂状のレールを、トロッコに乗って一気に駆け下りる木製コースターは特に人気で、エステルも大好きだ。

 しかしアークレインを付き合わせて二度、三度と乗るうちに、段々アークレインの顔色が悪くなってきた。


「もしかしてコースターは苦手ですか?」

「そうだね、どうも坂を猛スピードで降りるというのが駄目みたいだ」

「あら、ではそり遊びは出来ませんね」


 雪が降り積もった坂道をそりで一気に滑り降りる遊びは、豪雪地帯では定番の冬の遊びだ。


「フローゼスに生まれていたらきっとコースターも平気だったよ」


 言い返しながらもアークレインは口元を押さえた。本気で気持ち悪そうだ。


「少しベンチで休みますか?」

「休むほどではないけど、コースターはもう勘弁してもらえないかな……」


 げっそりとしているアークレインには申し訳ないが、普段取り澄ましている王子様の青ざめた姿にエステルは溜飲が下がるのを感じた。意外な弱点を知って自分の中で妙な性癖が目覚めそうである。


「私が疲れちゃったので休憩したいです。飲み物買ってきますね」

「それなら一緒に行こう。寒いから温かいものがいいよね」


 アークレインは力なく微笑むと、エステルの手を引き飲み物を扱う露店へと向かった。

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