ロージェル侯爵邸 02

 少しは息抜きをした方がいい、と主張するアークレインによって、エステルは図書室から温室コンサバトリーへと連行された。

 邸の一画に作られた硝子ガラス張りのテラスには南国の観葉植物が並べられており、穏やかな日差しが差し込んで暖かく、寒々しい庭の景色とは対照的だった。


 温室コンサバトリーの中央に置かれたガーデンテーブルには、侍女のメイによってティーセットが用意されていた。


 メイことメイベル・ツァオはエステルの専属侍女である。エステルの秘密を知る四人のうちの一人で、アークレインが自分の宮からエステルのために派遣してくれた王宮女官だった。東洋の血が混ざっているという彼女はすっきりとした顔のクールビューティで、静かで控えめな女性だった。


 フローゼス伯爵家から慣れ親しんだ使用人を呼ぶ事はアークレインから止められて出来なかった。《覚醒者》である事も能力も秘密にするのであれば、口の堅いアークレインの配下の者を傍に置くべきだと説得されたのである。


 異能が覚醒してからのエステルは、側に置く使用人を選ぶようになった。エステルに悪い感情を抱く人間は精神衛生上側仕えにはできない。

 幸いメイはプロ意識が高いのか、側にいても不快なマナの揺らぎを見せることはなかった。


 ちなみにアークレインにとって、生母ミリアリア前王妃の実家であるロージェル侯爵家は、言わば第二の家で、当主であるクラウスがいなくても我が物顔で出入りできる場所なのだそうだ。


「今日ここに来たのは、これを渡したかったからなんだ」


 席に落ち着くなり、アークレインはロイヤルブルーの封筒を差し出してきた。


 封筒には白薔薇が描かれた盾と王冠の紋章が印刷されている。封筒の色も紋章も、どちらも王家をあらわすものだ。

 不吉な予感がしてエステルは顔をしかめた。


「読まなければいけませんか……?」

「ダメだよ。王妃からの手紙だからね」


 封蝋に押されている印璽は百合。これはトルテリーゼ王妃の印章だ。王族は個人的に使う印章として、男性なら動物、女性は国花の薔薇以外の植物を自分の印章として定める伝統があった。ちなみに国王は狼でアークレインは虎である。


「婚約の承認を出す前に、父上とトルテリーゼ王妃が君に会いたいってさ。これは王妃主催のティーパーティーへの招待状」

「お母様とはお呼びにならないんですね」

「本人が目の前にいたら義母上って呼ぶけどね」


 アークレインのマナが陰った。二人の王子の対立を煽っているのは、自分の息子を王位に就けたいトルテリーゼ王妃だと言われている。

 おとぎ話に登場する継母ままははは大抵悪役だ。アークレインにとっても同じなのだろう。さぬ仲の親子関係の難しさは、王族も平民も変わらない。


「ティーパーティーには私もついて行くから、そんなに緊張しなくていい。婚約は余程の事がない限り承認してもらえると私は思ってるよ」

「そうなんですか?」

「父上の反応はわからないが、王妃は賛同に回るはずだからね。下手に反対して私がオリヴィア嬢を迎えると、向こうにとっては面倒な事になる」


 被害妄想かもしれないが、遠回しにフローゼスはレインズワース以下だと馬鹿にされている気がした。


(事実だけど……)


 所詮フローゼス伯爵家は北の田舎領主である。ローザリア屈指の名門であるレインズワース侯爵家には色々な意味で敵わない。


「ティーパーティーは三日後だ。後で君が持参したドレスと宝飾品を見せて欲しい」


 この邸で過ごすにあたって、エステルはフローゼス伯爵家のタウンハウスから身の回りのものをこちらに届けてもらっていた。


「ご覧になってどうするおつもりですか?」

「どうせなら私の衣装も合わせようと思って」

「逃げ道がどんどん塞がれていきますね」

「私が一目惚れしたって設定だからね。信憑性を高める為にもやれる事はやらないと」


 アークレインはにっこりと微笑んだ。彼は嗜虐趣味があるに違いない。エステルが嫌そうな顔をすると実に楽しそうな顔をする。

 エステルを尋問する時に一度見せた獰猛な表情、あれもまた彼の本質なのだろう。


 目の前に置かれたお茶とお菓子が一気に不味くなった。




   ◆ ◆ ◆




 ――アークレイン殿下に恋の予感? 舞踏会での運命の出会い。

 ――お相手はエステル・フローゼス伯爵令嬢!




「何なのよこの記事は!」


 新聞をぐちゃぐちゃにして床に叩き付けたディアナ・ポートリエの姿を、ユフィルは冷ややかな眼差しで見つめた。


 ユフィルはディアナの侍女だ。だから内心は押し隠し、不安そうな表情を作る。


「エステル・フローゼスが第一王子に見初められたですって? 何であの女ばっかり!」


 次はソファに置いたクッションがテーブルに投げ付けられた。

 ガシャン、と音を立て、テーブルの上に飾られていたガラスの花瓶が落ちて割れる。

 割れたガラスに散らばった花、そして絨毯に零れた花瓶の水。全てを片付けるのは、専属侍女であるユフィルの仕事だ。


(お嬢様のヒステリーがまた始まった)


 うんざりしながらもおろおろとした表情を作り、ユフィルはディアナの肩にそっと手を添えた。


「このような記事を信じてはなりません。低俗な大衆紙タブロイドではありませんか」


 このポートリエ男爵家の邸では、世の中の事情をより詳しく知り、分析するため、上流階級を読者とする高級紙クオリティペーパーから過激で眉唾物の記事も多い大衆紙タブロイドまで、複数の新聞を購入している。

 ディアナがヒステリーを起こしたのは、そのうちの一つをたまたま目にした事がきっかけだった。


 ディアナはエステル・フローゼス伯爵令嬢を敵視している。その理由は今からさかのぼる事八ヶ月前、今年の三月に、彼女がライル・ウィンティアと劇的な出会いをした事が原因だった。


 それは劇場からの帰り道で起こった。観劇を終え、邸に戻る途中でディアナの乗る馬車の馬が暴走した。そこから颯爽とディアナを助けたのがライルだった。


 出会いとしてはかなりありがちだが、狂乱状態に陥った馬に飛び乗り、なだめて馬車を停めた黒髪の貴公子にディアナはころりと恋に落ちた。だが不幸にも彼にはエステル・フローゼスという婚約者がいた。しかし、ライルをどうしても諦め切れなかったディアナは、彼を手に入れるために父親に泣きついたのである。


 ポートリエ商会の会長で、外では曲者として知られるディアナの父親だが娘には甘かった。

 昨年の長雨の影響で経済的に困窮していたウィンティア伯爵家を更に追い詰めて、ライルとエステル・フローゼスの婚約を破談になるように仕向けた。


(エステル嬢には勝てると思ったんですよね、ディアナお嬢様)


 ディアナを宥めながらユフィルは心の中で呟いた。


 ユフィルの知るエステルは、確かにぱっと見の印象はディアナに比較すると地味なお嬢様だった。


 金茶の巻き毛にペリドットのような黄緑色の瞳を持つ華やかな美女であるディアナに比べると、エステルは瞳の色こそ珍しい赤紫だが髪の色は平凡な茶色なので見劣りする。

 社交の場で見かける服装にしてもエステルよりもディアナの方がいいものを身に着けているだろう。その点をディアナは指摘し、陰ではエステルのことをこき下ろしていた。お金をばら撒き、むしろ悪者はエステルの方だという噂を流したのもディアナである。


(でもねディアナお嬢様、見る人によってはきっとエステル嬢の方が魅力的なんですよ)


 ユフィルはこっそりとため息をつく。


 ディアナは美人でお金持ちだ。それは万人が認めるところだろう。しかし気が強く我儘で、はっきり言って性格が悪かった。

 エステルの性格をユフィルは知らない。しかし、エステルの顔立は十分に美人の範疇に入っているし、清楚で落ち着いた雰囲気を持つ彼女を好ましく思う男性は決して少なくないはずだ。人の好みは千差万別なのだから。


(……ライル様は恐らくエステル嬢に心を残していらっしゃる)


 少なくともユフィルの目にはそう見えた。そしてディアナも恐らく勘付いている。だからこそディアナはエステルを酷く敵視するのだろう。


 十日ほど前、ロージェル侯爵家主催の舞踏会で襲撃があり、彼女が不幸にも怪我をしたと聞いた時には、可哀想と言いながら陰で嘲笑っていたくらいディアナはエステルを嫌っている。

 しかしその事件がロマンスに発展するのだから、人の未来というものはわからないものだ。


 強欲で子供っぽく、我慢ができないディアナの事がユフィルは哀れでならない。

 こんなお嬢様をなだめすかし、我慢して仕えている理由はただ一つ、給金がいいからだ。

 だからユフィルは仮面を被り、ディアナに媚を売る。


「お嬢様、もし第一王子殿下とフローゼス伯爵令嬢が引っ付いたとしても、この先どうなるかなんてわからないじゃないですか。だってアークレイン殿下は王妃陛下から睨まれているんですもの」

「それはそうだけど腹が立つのよ! ライル様はまだあの女のことが忘れられない様子だし、更に殿下を射止めただなんて!」


 ヒステリックに喚くとディアナは床に落ちたクッションを何度も何度も踏みつけた。

 花瓶のガラスの破片を避け、怪我しないように八つ当たりするあたりがなんともディアナらしい。


 嵐が過ぎ去るまでもう少し時間がかかりそうだ。ユフィルはあきれ返りながら、おろおろとした表情を作りディアナを慰めるという作業を続けた。

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