冬の社交 02

 馬車の窓から見える首都アルビオンは賑やかだ。

 大通りには魔導石を動力とする街灯が設置され、オレンジの光が薄暗くなった街を照らしている。


 フローゼス領はそろそろ雪が散らつく頃だ。本格的な積雪が始まるのは十二月に入ってからだが、一度降り積もると、毎日の雪かきが必須になるくらい、街は白で埋め尽くされる。

 そうなると、馬車は使えなくなるから、領民は馬にそりを繋ぐ。年中馬車が使える首都は人並みが途切れる事はないが、フローゼスの民は家の中でじっと雪解けの季節を待つ。


 今シーズンはエステルの婚約の為社交を頑張ると決めたから、領地の事は補佐官である叔父に任せて兄妹は首都に出てきた。しかし、フローゼスの厳しい冬は領民の生活を脅かす事もあるので心配である。


(今年はあまり雪が降らなければいいんだけど……)


 そんな事を考えながらぼんやりと外を眺めていると、真正面に座るシリウスが声を掛けてきた。


「エステル、今日の舞踏会の主催はお嬢様方に大人気のロージェル侯爵だ。目に止まるといいな」

「競争率が高すぎるわよ。一応頑張ってはみるけど」


 ロージェル侯爵ことクラウス・ロージェルは、二十三歳にして侯爵位にある青年だ。銀髪にアイスブルーの瞳をした恐ろしく整った容貌の青年で、その見た目から氷の貴公子と呼ばれていた。


 また、ロージェル侯爵家は、建国以来の名門で、前の王妃で第一王子の生母ミリアリアを出した家柄だ。ミリアリアは、クラウスの叔母にあたる女性である。


 そんな顔も家柄もいいクラウスだが、浮いた話が一切なく、まだ婚約者もいないため、女性の人気を第一王子と二分する存在となっていた。


 父を早くに亡くし、爵位を継いだという点においてクラウスとシリウスには共通点がある。違うのは、クラウスにはまだ母親が健在という事だ。


「お兄様、この舞踏会に参加して本当にいいの?」

「どういう意味だ」

「だって、うちがロージェル侯爵の招待に応じるのは初めてじゃない。この舞踏会に出るということは、その……」

「中立派じゃなくなる事を気にしてんのか?」


 思っていた事を言い当てられ、エステルはぎくりと身をすくませた。


 現在このローザリア王国は、次の王太子の座を巡って二つの派閥に割れている。第一王子のアークレイン派と第二王子のリーディス派だ。


 王位継承は、貴族と同じく男系と《覚醒者》を優先する長子相続を原則としている。

 王族には《覚醒者》が生まれやすく、アークレインもリーディスも幼少期に異能を開花させていた。

 現在公表されているローザリア王国全体の《覚醒者》の数は八名。うち五名は王族である。


 長子のアークレインが《覚醒者》にも関わらず貴族間の意見が割れたのは、リーディスの出自と異能がアークレインを上回っていたのが原因だった。


 アークレインとリーディスは腹違いの兄弟だ。


 アークレインの生母、ミリアリア前王妃が亡くなった後、後妻として迎えられたトルテリーゼ王妃がリーディスの生みの母だった。


 トルテリーゼ王妃はマールヴィック公爵家の出身である。

 マールヴィック公爵家は三代前の国王の代に枝分かれした王家の分家で、王家のスペアと呼ばれる家柄だ。


 近親婚により王家の血を色濃く受け継いだリーディス王子は、《覚醒者》に一般的な念動力――手で触れずに物を動かす力――に加えて空間転移の異能に目覚めた。

 対するアークレインが使えるのは念動力のみで、マナの保有量でリーディスに劣っていると言われている。


 問題を更に複雑にしているのは、既にアークレインが、公務において一定の成果を上げているという点だ。


 アークレインは二十三歳、首都最高峰の名門、アルビオン大学を優秀な成績で卒業した彼は一時体調不良を訴えていた国王の名代を見事に務めその存在感を示した。

 一方リーディスはまだ十五歳の学生で執務能力は未知数である。


 人当たりがよく、安定した治世が期待できるアークレインか、執務能力は不明だが、血統と異能に優れたリーディスか――法が示す次期王はアークレインだが、派閥の力はリーディスの方が優勢な為、国王は立太子の宣言を出せないでいた。


 フローゼス伯爵家は、今までどちらの派閥にも属さない中立の立場をとっていた。というか、中央から遠い北部の貴族は大抵同様の姿勢を示していた。

 しかし今シーズンの社交で、シリウスはロージェル侯爵家の招待を受けると決めた。それは、今後フローゼス伯爵家は第一王子に付くという意思表示に繋がるものだった。


「ポートリエ男爵が第二王子派だからアークレイン殿下に付く事にしたのよね……?」

「あの腹の立つ成金野郎と顔を合わせたくないからな」

「そんな事で旗色の悪い第一王子に付くなんて……」

「ウィンティアとポートリエはうちを愚弄したんだ。叔父上とも相談の上決めた事だからお前は何も気にしなくていい」


 むっとした表情で言い返された。


「どうせそろそろ中立を保ち続けるのも限界になってたんだ。だからこれでいいんだよ。もしリーディス殿下が次の国王になったとしても、せいぜい国からの当たりが多少強くなるだけだ」

「それが大問題なんじゃない……」


 去年の長雨のような災害が起こった場合の減税の申請、魔導石の出荷価格、竜の間引きを行う際の補助金――国からの当たりがきつくなったら、領民の生活に大きな影響が出る。だからフローゼス伯爵家は、どちらに付くべきか慎重に見極めるため、今までどっちつかずの中立を保ち続けていたのだ。


「そんな顔するな、エステル。お前の婚約破棄だけが派閥を決めた理由じゃないから」

「嘘つき」

「嘘じゃない。俺はアークレイン殿下の性格も考えてこっちに付く事にしたんだ」

「お兄様がアークレイン殿下の何を知ってるって言うのよ」

「少しは知ってるさ。お前は忘れてるかもしれないけど、お兄様は一応殿下と同じ学校に通ってたんだぞ」


 ロイヤル・カレッジからアルビオン大学へ。それが貴族の男の子の理想の進学ルートだ。どちらも男子のみが入学を許される、首都最高峰の難関である。

 家を継ぐため大学は途中で中退したものの、シリウスはこの進学ルートに乗っていた。


 リーディス王子は現在ロイヤル・カレッジに在学中だ。ロイヤル・カレッジの生徒が全員アルビオン大学に進学出来る訳ではないので、今後の彼の進路は注目されている。うまくアルビオン大学に進学できたとしても、兄王子よりも成績が劣っていたら人からとやかく言われるのだろう。王子に生まれた宿命とはいえ気の毒な事だ。


 エステルは心の中でリーディス王子に同情しながらじっと兄の顔を見つめた。


「一応お兄様って優秀だったのね」

「二年産まれるのが遅かったら入学出来なかったかもな。殿下と同じ学年は入学試験の倍率が凄かったから」


 そう言ってシリウスは苦笑する。


 王族の懐妊が発表されると貴族の間にはベビーラッシュが起こる。将来産まれてくる王子ないし王女の取り巻きを目指すためだ。そう言えば、ライルもクラウスもアークレイン王子と同じ二十三歳だ。

 第一王子がロイヤル・カレッジに入学した年には、王子の学友を目指す子供たちが殺到したそうだ。その年のロイヤル・カレッジの入学式は大変な騒ぎになったと聞いている。


「在学中にお兄様はアークレイン殿下と仲が良かったの?」

「いや、学年が違うしクラブ活動も違ったから……飛竜の狩り方を聞かれてちょっと話した事はある」

「そんなの顔見知り以下じゃない」

「うるさいな。俺だってわかってるよ。でも殿下は穏やかで優しそうな方だったよ」

「大抵の王族は人前では穏やかで優しそうにするんじゃないの?」


 常ににこにこ微笑みながら優雅に民衆に向かって手を振る、それがエステルの抱く王族のイメージである。


「今日の舞踏会はアークレイン殿下も来られるかもな。運が良ければ踊れるかもしれないぞ」


 ロージェル侯爵家はアークレインの外戚であり派閥の重鎮だ。


「私、王子妃なんて狙ってないわよ?」


 異能を備えたエステルの瞳にそんな立場は刺激が強すぎる。

 ただでさえ社交界は色々な思惑が溢れていて神経がすり減る空間なのだ。エステルはふるふると首を振って否定した。




 そんな風に軽口を叩いているうちに、フローゼス伯爵家の馬車はロージェル侯爵家の邸に到着した。

 王妃を輩出した大貴族だけあって、首都でもかなり大きな規模の邸である。


「さて、行きますか。お手をどうぞ、お嬢様」

「お兄様のエスコートは久し振りね」


 エステルは悪戯っぽく微笑むと、シリウスの手を取り馬車から降り立った。

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