冬の社交 01

「エステル様、お手紙が届いておりました。開封せずに破り捨ててもいいと思うんですが、一応お読みになりますか?」


 女中メイドのリアが持ってきた手紙の差出人を見て、エステルは眉をひそめた。そして、手紙を開封して、盛大に顔を顰める。


「ねえリア、ポートリエ男爵令嬢って私の事馬鹿にしてるのかしら?」


 手紙は、ライルとディアナ・ポートリエの結婚式の招待状だった。


 自分が強引に奪い取った男との結婚式に元婚約者を呼ぶとは、普通の神経では考えられない。しかも結婚式の日取りは来年の六月。ポートリエ商会の横やりさえ入らなければ、ライルとエステルが結婚式を上げていたはずの時期だ。


 婚約したのはエステルが女学校を卒業した二年前。婚約期間が長めになったのは、ライルの大学卒業を待っていたからだ。こんな事になるとわかっていたら卒業なんて待たなかったのに。


「間違いなく馬鹿にされていますので、怒っていいと思いますよ、エステル様」


 リアからは殺気を感じた。顔は微笑んでいるが目は笑っていない。


「まさか出席されるんですか?」

「行く訳ないじゃない」


 エステルはソファから立ち上がると、暖炉の前まで移動して招待状を火にくべた。


「腹立たしいわ。絶対ライル以上の人を捕まえて見返してやるんだから」


 エステルは吐き捨てた。


 婚約破棄から四ヶ月が経過していた。そろそろ首都における社交のシーズンが始まる時期だ。

 首都アルビオンの社交期シーズンは、十一月から翌年の五月頃までがピークとなる。


 これは、議会の開催に合わせたもので、北部が雪で閉ざされる時期を避けて定められたと言われている。

 フローゼス伯爵領では例年十二月の初旬から雪が積もり始めるので、毎年十一月の初めには首都に移動する事になっていた。


 首都アルビオンは、大ローザリア島の中でも、西の大陸寄りの南西部にあるため、フローゼス伯爵領に比べると気温が高く、雪も年に数える程しか積もらない。

 とはいえ、冬に暖炉は必須である。エステルは肩に掛けたショールを胸の前でかき合わせると、ぱちぱちと爆ぜる暖炉の炎を見つめた。

 すでに忌々しい招待状は灰に変わっている。


 ここは、フローゼス伯爵家が首都に所有するタウンハウスである。といっても領地の邸ほどの規模はない。

 フローゼス伯爵家はそこまで裕福な家柄ではないので、小さな二階建ての一軒家をタウンハウスとして所有していた。


 高級住宅街の一角にあるとはいえ、大きな邸を何軒も所有する大貴族や富豪に比べると、地方領主の生活は質素である。

 まず間違いなくエステルよりディアナの方がいい生活を送っている。ポートリエ男爵家が首都の中心街に所有する邸は華美な事で有名だ。社交界での影響力も一昔前ならいざ知らず、今はあちらの方が上である。そう思うと余計に腹が立ってきた。


 見返してやる、なんて息巻いても、ライル以上の条件の男性を探すのは実は難しい。

 伯爵位以上の貴族の嫡男なんて好物件は大抵売り切れている。この国の継承法は、《覚醒者》を最優先とする男系長子相続になっていて、次男以降が異能に覚醒したり、長男の健康状態が思わしくないなど、特別な理由がない限り爵位も財産も長男の総取りと決まっている。だから自分で身を立てなければいけない次男以降は価値が下がってしまう。


 また、ライル以上の結婚相手を探すには積極的に社交界に出なければいけない訳で――社交が苦手なエステルは、考えるだけで憂鬱になった。


 自分のマナを見ると、薄暗く陰っていた。

 ライルを奪ったディアナへの怒りや今後の不安などがない混ぜになっているせいだ。




   ◆ ◆ ◆




 エステルは、着飾った自分を見るのは好きだがその過程は好きではない。


 コルセットで締め付けられるのは苦しいし、お化粧も筆が肌を撫でる感触がくすぐったい。

 しかし、苦行を堪えたエステルが鏡を覗き込むと、いつもよりもずっと可愛くなった自分が映っていた。


 リアはセンスがいい。栗色の髪は綺麗に編み込まれ、ピンクのドレスと共布で作られた髪飾りで飾られている。異能を備えた瞳の色は、紫がかった赤だ。大ローザリア島北部には、遺伝的に紫の要素が入った瞳の持ち主が多いのだが、フローゼス伯爵家の兄妹は、揃って赤紫の瞳をしていた。


 耳たぶや首元を飾る真珠のアクセサリーは母の形見だ。自分でも清楚で上品に見えるように仕上がっている。


 上には上がいるけれど、十分に美人の範疇に入る伯爵令嬢、それがエステルの容姿だ。そしてエステル自身も、亡くなった自分の母から受け継いだこの容姿を気に入っていた。


「さあ、早く下に行きましょう。シリウス様がお待ちですよ」


 リアに促され、エステルは二階にある自分の部屋を出た。




   ◆ ◆ ◆




 応接室に向かうと、既に正装したシリウスが待ちくたびれた表情で待機していた。

 今日の夜会にて、シリウスはエステルのパートナーを務めてくれることになっている。


 エステルの両親は既に亡くなっている。両親を奪ったのは、六年前の夏、フローゼス伯爵領を襲った猩紅しょうこう熱という伝染病だ。その時首都の女学校に通っていたエステルもまた夏休みに帰省した事で感染し、生死の境をさ迷った。


 家族の中でシリウスだけが感染しなかったのは、大学の課題で忙しく、一人首都に残っていたためだ。


 猩紅熱はエステルの異能を目覚めさせるのと同時に、容赦なく両親の命を奪っていった。そしてシリウスは大学を退学し、十九歳の若さで伯爵位を継ぐ事になったのである。


 実はエステルが異能に目覚めた事は、家族であるシリウスにも話せていない。

 父の弟である叔父のサポートがあったとはいえ、引き継ぎなしに爵位を継いだ兄は激務でどんどんやつれていき、とても言える雰囲気ではなかったのだ。


 いや、それだけではない。感情が見える事を知られるのは怖かった。


 細かい感情がわかる訳では無いけれど、学校にも社交界にも仮面の下にどろどろとした本音を抱えている人間はそこかしこに溢れていた。エステルの瞳はそれを暴いてしまうのだ。親友だと思っていた同級生の本音を見抜いてしまい、深く傷付く事もあった。異能の事を兄に教えて、疎まれたらエステルは生きていけない。


 当時流行していた心が読める令嬢が主人公の恋愛小説が、その恐怖をより煽った。


 その小説の主人公は、心が読める為に家族に忌み嫌われ、屋根裏に閉じ込められて虐げられていた。

 能力を知っても嫌わなかった幼なじみに助けられ、最終的には結ばれるという王道のラブストーリーだったが、読心能力の持ち主が嫌われて怖がられるという部分は、エステルにはとても他人事とは思えなかった。


 また、《覚醒者》となった事を公表すれば、ライルではない別の男に嫁がされる危険もあった。貴族の子供の価値は家柄だけでなく、マナの量や異能によって上下する。

 エステルのマナの量は伯爵令嬢としては標準的なものだが、《覚醒者》となるとその価値は跳ね上がる。

 覚醒の確率も異能の種類も遺伝する可能性があるので、《覚醒者》は王族や高位の貴族にとって喉から手が出るほど欲しい存在だ。ライルが好きだったエステルは、大貴族の横やりが入るのは避けたかった。


 結局異能とは関係なく、ディアナ・ポートリエが割って入ってきたせいでライルとは別れる羽目になってしまったのだが――


 エステルはライルの整った顔を思い出し、慌てて頭を軽く振った。


 《覚醒者》である事を公表すれば、新たな婚約者は恐らく簡単に見つかるだろう。エステルにシリウスを押し退ける意思はないが、家督を相続して女伯爵となる道も開ける。

 しかし、単にマナが感じ取れるだけの異能にそう価値があるようには思えなかった。異能に価値を付けるためには、感情の浮き沈みが視える事まで公表する必要がありそうだが、それを人に知られるのはどうしても怖かった。


「エステル、やっと出てきた」

「女性の身支度は時間がかかるものよ」


 むっとしながら言い返すとシリウスはちっと舌打ちした。


「まあまあだな。社交が苦手なのは知ってるけど頑張れよ」

「お兄様こそ夜会は得意じゃないくせに。それに、頑張らなきゃいけないのはお兄様もでしょ」


 エステルの切り返しにシリウスはぐっと黙り込む。

 婚約者を見つけなければいけないのはエステルだけではない。シリウスもだ。爵位継承のごたごたが収まったと思えば去年の長雨で新たな問題が発生し、多忙を極めていた兄にはまだ婚約者がいない。


 シリウスの容姿は兄妹だけあってエステルによく似ている。ライル程ではないにしても整っているし、何より北の田舎とは言え伯爵家の当主だ。結婚相手として悪くない相手のはずなのだが……


(第一王子殿下やロージェル侯爵がまだ未婚のせいかしら)


 より条件のいい未婚の貴公子がいるせいか、兄の婚約者探しは難航しているようだ。


(私なら王子様よりお兄様を選ぶのに)


 ちょっとがさつで無神経な所はあるが、シリウスはエステルにとっては大好きな兄だ。

 王宮のように色々な人間の思惑が渦巻いて、面倒そうな場所に嫁ぐより、静かで穏やかなフローゼス領の方がいい。

 エステルは、エスコートのために差し出された兄の腕に手を絡めると、そっと力を込めた。

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