第14話 池田屋事件~後編~

和やかな雰囲気のなか、静かに素早く山崎さんが土方さんの目の前に現れる。

山崎さんは膝を立てる。


「副長、急ぎ報せです」

「山崎、どうした」


「本命は池田屋です。もう既に局長たちが踏み込んでいるとのことです」


山崎さんの言葉にその場の空気が凍る。

途端に早くなる心臓。

池田屋事件は、既に始まっている。


「わかった」


土方さんがそう言うとその場を立ち去る山崎さん。

土方さんは隊士がいる方を振り返る。


「お前ら!今から池田屋へ向かう!行くぞ!」

「はい!!!!」


隊士たちは一斉に走り出す。

私もそれに負けじと歩みを進めた。



池田屋へは走るとあっという間にたどり着いた。

池田屋の前までも、キンキンと刀の鳴る音と騒がしい人の声が鳴り響いている。


「十番組は裏手へ!五番組は横を!それ以外は一斉に踏み込め!」


土方さんが手早く指示を出すとその指示により、方々に散る隊士たち。

私は池田屋の前で立ちすくんでいる。


「お前はここで怪我人の手当を頼む」

「……分かりました」


暗くて微かにしか見えないが池田屋の中では永倉さんや近藤さんが浪士と戦っているのが見える。

その足元には、血を流しながら倒れている人もいた。

私は、そのあまりに凄惨な光景に思わず目をつぶる。

池田屋事件がこういうものだって、頭では分かっていた。

だが、あまりにも現実離れしており、どうしても“昔の話”、“創作の話”だと思っている節があった。

目の前に広がっている光景は、紛れもない現実で刀によって亡くなったであろう人もいる。

人が殺される現場を生まれてこの方見たことがないため、あまりのことに手が震える。


すると、そこへ高そうな袴を着た集団が歩いてきた。

池田屋に入ろうとしていた土方さんは、それを視界に捉えると大きくため息を着く。


「今更、お出ましかよ」


土方さんはそうつぶやくと、その集団の前へ立った。


「我ら、奉行所の者だ。池田屋にて、討ち入りがあるとの報せを受け、馳せ参じた。そこをどけ」


土方さんはその言葉を受けても尚、堂々と前に立ち、動かなかった。


「池田屋へは、我ら新選組が粛清中だ。立ち入らないで頂こう」

「なっ!?」


奉行所の1番偉いであろう人が土方さんの言葉に驚く。

が、負けじと言葉を返す。


「俺たちは上の命令でここに来た。池田屋へ突入させてもらう」

「勝手に入んじゃねぇ!」


土方さんを避けて池田屋に向かおうとする奉行所に土方さんが声を上げ、動きが止まる。


「暗がりの中、隊服も着ていないお前らが入ってきたら、長州の奴らだと勘違いして斬っちまうかもしれねぇ。斬られたくなければ、そこで大人しくしてろ」


土方さんのその言葉に奉行所の人たちは目を合わせ、元の位置に戻っていった。

これ、実際に斬られるという理由ではなく(それもないことはないが)、新選組の手柄が横取りされるのを防ぐために立ち入らせなかったと聞いたことがある。

おかげで、新選組は功績をあげたのだ。

土方さんの新選組を守ろうとするその姿勢があまりにもかっこよく惚れ惚れする。

そう、私は土方さんのこういうところに惹かれたのだ。


「桜、手当て頼めるか!?」


そこに、足から血を流している隊士を肩で担いだ原田さんがやってきた。

怪我をしている隊士は、額に汗を浮かべている。


「は、はい!」


今まで立ちすくんでいた私だったが、その言葉で原田さんの方へ駆け寄る。

原田さんが池田屋の外壁を背に怪我した隊士を座らせる。

その隊士さんは、足を力強く抑えていた。


「悪いが任せた!」


原田さんは私の返事を待つ間もなく、足早に去っていく。

とはいっても、こんな大それた怪我の手当てなんぞ人生で1度もしたことがなく、何をすればいいのかわからない。

とりあえず、止血か。


「止血しますね」


私が何で血を止めるか迷っていたところ、隊士の人が懐から何やら細長い紐を私に渡してくる。


「こ、これで頼む」


その真っ白な紐は、隊士の手についている血により紅く染まっていく。

私は意を決してその紐を受け取り、怪我した箇所を確認する。

どうやら、太ももの前側を斬られたようだ。

幸いにも付け根の辺りから出血が見られなかったため、付け根にきつく紐を巻く。

先程より出血の流れは遅くなったが、それでも、尚血が滲む。

傷を見て私は、怪我をした時は最初に消毒をしなければいけないことを思い出した。


「しょ、消毒できるものありますか!?」

「しょーどく?」


隊士が痛みに顔を歪めながら私に問う。

もしかして、この時代に消毒の概念はないのか?と察する。

待って、消毒はアルコールだ。

つまり、アルコールで代用できるはず。アルコールはお酒……。

焼酎なら代用できるかもしれない!


「あの、池田屋の中に焼酎ってありますよね?」

「炊事場にはあるはずだ」

「それってどこですか?」

「1階の奥に」


奥……。私は、取り急ぎ自身の手ぬぐいを出し、傷口を抑えながら池田屋の中を見る。

先程より、戦闘が落ち着いたのか少し空間ができていた。

あの隙間を走り抜ければ、なんとかなるかもしれない。

私は、ふぅーっと息を吐き出す。


「……ちょっと待っていてください」


傷口を抑えていた手ぬぐいを当人に渡し、私は池田屋の入口へと立つ。


「……生きて帰れますように」


中では、近藤さんと永倉さんが敵と対峙している。

が、その他に目立った浪士はいなさそうだ。

永倉さんと近藤さんが背中を向き合わせて戦っている。

その背中の間に隙間ができる。


……今だっ!


私は池田屋の中に足を踏み入れる。

鉄の匂いが充満しており、一瞬くらっとするが、袖口で鼻を抑えながら走る。


「おい、久遠!」


後ろから聞こえる土方さんの声を振り払う。

その声に近藤さんと永倉さんが視線をこちらへ向けた。

二人はその刹那、目を見張る。


「おい、桜ちゃん危ねぇから戻れ!」

「久遠くん!戻るんだ!」


私はそんな2人の必死の制止をも振り切る。

私は2人の間をすり抜け、奥にある扉へと向かう。


「くそっ!」


永倉さんのそんな声が聞こえた時には、扉の向こう側へ着いていた。

そこでは、戦闘が行われていないのか、静かで血の跡もない。

暗がりの中、焼酎を探す。

とにかく、引き戸という引き戸をすべて開け、焼酎の入れ物を見つけた。


「……あった」


その焼酎を取ろうとしたら、あまりにも重くて1度床に置く。

気合を入れてもう一度取ろうとした瞬間、


「動くな」


顔の横から刀の切っ先が急に現れる。

私の心臓は今までにないくらい跳び上がった。

動くなと言われても、体が凍って動かない。


「お主、ここで何をしておる」


空間に響く低音にますます恐怖が募る。


「しょ、消毒をしようと……」


沖田さんに少し前に言われた、怖いと思っていると察されたら終わりという言葉が脳裏に甦る。

しかし、私の声はかなり震えていた。


「……ん?なんだこの匂いは……」


謎の言葉とともに、後ろにいる男は刀をさげ、動けない私の背後に近づいてくる。

だが、体が固まり刀に手をやることすらできない。

私の首辺り微かに髪の毛と息がかかり、男が私の後ろから首元に顔を近づけているのが分かる。

その謎の行動に体が小刻みに揺れ始めた。


「……ほう」


そんな言葉と共に体が離れていくのを感じ、少しだけ安堵する。


「お主、何者だ?」


私がどう答えようか迷っていると奥から「桜ちゃん!」と永倉さんの声がした。


「……桜か。また会おう」


そんな声が聞こえたと思ったら気配が消え、それと同時に永倉さんが飛び込んでくる。

後ろを振り返ってみるが、そこに、人はいなかった。


「桜ちゃん!無事か!?」


永倉さんがしゃがみ込んでいる私に駆け寄ってくる。

所々血で濡れているが、それでも私のことを心配そうに覗き込んでくる永倉さんに緊張が解け、一気に汗が溢れ出す。


「……はい、なんとか」


無意識に息を止めていたのか、呼吸が荒くなる。


「なにしてんだ?」


私の近くに焼酎があることを確認した永倉さんが心底不思議そうな顔をする。


「……怪我の手当をしようと」


消毒と言っても通じないことが分かったので、私は言い方を変えた。

そんな自分の言葉が耳に聞こえ、はっと思い出す。


「そうだ!手当て!戻ります!」


私は立ち上がろうと体に力を入れるが、うまく立てない。


「……あれ?」

「腰抜けたのか?」

「た、たぶん……」


腰が抜けるなんて経験、24年間生きてきて初めてだ。

すると、永倉さんは私に背中を向けしゃがみ、手を後ろにやる。


「背中に乗ってくれ」


なんの躊躇もなくおんぶしてくれようとする永倉さんの優しさに固まった心が溶けていく。


「ありがとうございます」


私は、永倉さんの首に腕を回し背中に体をぴたっとくっつける。

その瞬間、体がふわっと持ち上がる。


「あ、永倉さん!焼酎もお願いします!」

「おう」


永倉さんは片方の手で焼酎を持ち、池田屋の表へ歩き始める。

扉をくぐり、先程まで戦闘が行われていた場所を歩く。

走っている時は必死で気づかなかったが、壁や床、天井までにも血しぶきが飛んでおり、足元には何人かが悲惨な姿をして倒れていた。

その姿に私は思わず声を上げ、永倉さんの肩に顔をうずめる。


「……ちょっと急ぐからな」


永倉さんが小走りになり、体が縦に揺れる。

そのほんの少しの気遣いが今は相当に染みる。

それもすぐ収まると、地面に足がついた感覚がしたので顔を上げた。

すると、鬼の形相になっている土方さんの顔が見えたので、再び肩に顔を埋めた。


「……桜ちゃん?」


離れようとしない私に永倉さんから疑問の声がかかるが、土方さんに怒られるのが分かっているので永倉さんに盾になってもらおうと動かないと決めた。


「……ごめんなさい」


私はそのままの状態でぼそっと呟いた。


「……言い訳は後で聞く。とにかく、今は手当に専念してくれ」


土方さんの怒気を含んだような、心配を含んだような声色に私は顔を上げ、永倉さんから離れる。

体に力を入れるとなんとか力が入るため立ち上がる。


「永倉さんありがとうございました!」

「おうよ!」


太陽のように笑った永倉さんだったが、次の瞬間には厳しい目付きに切り替わる。


「上に行った総司と平助の様子見てくるわ」

「頼んだ」


土方さんにそう報告した永倉さんは焼酎を地面に置いたあと、ふたたび池田屋へと入っていった。

私はその焼酎を取り、先程怪我をしていた隊士のところへ戻る。


「お待たせしました!」


私は隊士から傷口を当てている手ぬぐいを受け取るとそこに目いっぱいの焼酎をぶっかける。


「な、なにを……?」


隊士が若干怯えているように感じたため、軽く説明する。


「焼酎には菌を殺す作用があって、傷口から入る菌を殺すために焼酎をかけるんです。直接かけたらあれなので、手ぬぐいなどに染み込ませて当てます」


隊士さんの頭上にはてなが浮かんでいるため、これ以上の説明は諦めた。


「あ、少し染みますね」

「え?」


私は焼酎でひたひたになった手ぬぐいを傷口に当てる。


「うぅっ!ぐぅっ!」

「我慢してください!」


手ぬぐいを外したり当てたりして、傷口周りの汚れを取る。

その汚れが取れたことを確認して、まだ汚れていない部分の手ぬぐいに少しだけ焼酎を染み込ませ、傷口に巻く。


「これで、化膿する確率が低くなると思います!」

「……あ、あぁ。ありがとう」


隊士さんは納得のいっていない表情を浮かべていたが、これをするとしないとでは後に大きく変わるだろう。多分。


「手を貸してくれ!」

「……おい!平助!総司!大丈夫か!?」


池田屋の2階からそんな声が聞こえる。

確か藤堂平助は池田屋で額に傷を負い、沖田総司は後に亡くなる原因となる労咳もとい肺結核になると記述があった。

今の段階では、2人とも命に支障はない。


永倉さんに背負われて降りてきた藤堂さんは額から出血しており、それが目に入ったようで片目をつぶっている。


「平助!しっかりしろ!」

「……ちくしょう」


頭から血が流れている光景は、私が想像していたよりもグロテスクで目を開く。

命に別状はないと言っても、あれだけの傷は絶対に痛いし、治るにも時間がかかるだろう。

生きているから大丈夫というわけではないことは、実際に目の前にして痛感した。

永倉さんが地面に藤堂さんを寝かせ、藤堂さんは仰向けになる。私は、思わず駆け寄る。


「藤堂さん、大丈夫ですか!?」

「……あぁ、なんとかな」


こんなひどい怪我を負いながらも、口角をあげて安心させようとしてくれる藤堂さんに胸が締め付けられた。


「手当しますね!」


私のその言葉にてぬぐいを渡してくれた永倉さん。

ありがたく受け取って、先程の焼酎をてぬぐいにかける。


「少し染みますよ~」


私は藤堂さんの額にてぬぐいを当てながら、傷が開かないような力加減で額を拭く。


「ぐぅぅっ……」

「ごめんなさい、もう少しだけ」


痛みに耐える藤堂さんに一瞬手が止まるが、すぐ再開する。

傷周りの血を拭うと額がぱっくり割れており、思わず声が出る。


「……これ、何針分の傷だろ」


明らかに縫うレベルであろう傷にこれ以上私は何もできないと悟る。

とりあえず、皮膚がくっつくように抑えておくしかできない。

私は、綺麗な面に軽く焼酎をしみ込ませ、皮膚と皮膚をくっつけるように抑える。


「桜、ありがとな」


藤堂さんがそう声をかけてくれるので、逆に私の心が痛んだ。

私がもっと早く池田屋だと言っていれば、藤堂さんがこんな怪我しなくて済んだかもしれないのに。


「……いえ」


私は涙が出そうになるのを必死にこらえた。

ここで、私が泣くのはお角違いだからだ。


「総司!大丈夫か!?」


土方さんのそんな声が聞こえた方向を見ると、斎藤さんに肩を貸してもらっている沖田さんが目に入った。

口元を抑えて少し咳き込んでいる。


「大丈夫ですよ、ただの風邪ですから」


と沖田さんは言うが顔色は悪い。

ただの風邪ではないことを知っているのはこの場で私だけである。

再び、胸がちくりと痛む。


「沖田さんも、ゆっくり休んでください」


私がそう沖田さんに声をかけると、沖田さんは「大袈裟だなぁ~」と笑う。

しかし、さすがに体がしんどいのか、斎藤さんに導かれ、藤堂さんが寝ている横にしゃがみ込む沖田さん。


「土方さん、沖田さんと藤堂さんは清潔な部屋へ移動した方がいいのでは?」


沖田さんと藤堂さんを心配そうに見つめる土方さんにそう問いかける。


「いや、この暗がりの中移動すると、長州の奴らから奇襲されかねない。陽が昇るまでは、この場を動かない方が良い」

「……なるほど」


池田屋事件のことは長州にも情報がまわり、怒った長州が新選組を襲うと……。

なくはない話である。

そこまで頭が回る土方さんはやはり賢い人だ。


「お前は、ここで総司と藤堂を頼む」

「わかりました」


土方さんは、静まった池田屋へと入っていく。

周りを見渡すと、斎藤さんや永倉さんの姿もいつの間にかなくなっていた。


「激しい戦闘だったから、いろいろやることあるんだよ」


私の疑問に答えてくれるように沖田さんがボソッと呟く。

池田屋事件は、長州川は特に死者が多く出た。

その処理だったり、血の始末だったりだろうか。


「大変ですね」

「まぁね」


いわゆる警察のような役割でもある新選組は、2022年の警察と同じように後処理をすることもあるのだろう。

こんな悲惨な現場も、時にはあるかもしれない。

そう思ったら、こういう職業の人たちには感謝しかない。




「おい、久遠起きろ」


どれくらい時間が経ったのだろう。

いつの間にか寝ていた私は、そんな土方さんの声に起こされた。

藤堂さんの額を抑えたまま、その場で寝ていたらしい。


「帰るぞ」


土方さんにそう言われ、まだ覚め切っていない頭を働かせる。

視界が徐々に鮮明になってくると、周りがどのような状況なのかわかってくる。

山の向こうから朝日が昇ってきており、世界は明るい。

そして、その明るさとは相反する血だらけの新選組がそこにはいた。

さらに、辺りを見渡すと板の上に何かが被せられて膨らんでいるものがいくつか見える。

時代劇でもよく見るそれは、死体だと直感で理解した。

この一晩でこれだけの人数が亡くなることは、数字としてはわかっていたが、いざ目の前にすると心にくるものがある。

私は、その場で手を合わせ、南無阿弥陀仏、アーメン、何妙法蓮華経と思いつく限りの神に祈った。

その間に、藤堂さんは今でいう担架に乗せられ、私も立ち上がる。

土方さんと視線が混じると、行くぞと声に出されていないがそんな声が聞こえ、土方さんについていく。

その後ろに、沖田さんを肩で支える斎藤さんや永倉さん、原田さん、井上さんなどが続き、さらにその後ろには、藤堂さんを運ぶ隊士、死体を運ぶ隊士などが連なった。

道の真ん中を歩いていくと、朝早いというのに京の人々が家の前に出ており、新選組を嫌な顔で見つめる。

節々から「人斬り集団」「壬生浪め」などと悪口が聞こえてきた。

思わず、土方さんを見るが土方さんは前をまっすぐ、そして堂々と歩いていた。

私は、その姿に思わず涙が零れそうになる。

頭の中で、京の人々の声が反響する。

私は、新選組が大好きで悪口を言われて悔しい反面、その言葉に反論することができなかった。

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