第12話 嵐の前の静けさ
色とりどりな季節が終わり、すっかり新緑溢れる季節となった。
そんな中、京では攘夷派が不穏な動きを見せていた。そ
れに伴い、新選組も忙しくなり、私は新選組のお手伝いとして屯所の掃除や洗濯を行っている。
現代と違い、掃除機もなければ洗濯機もないため、そんなことをしている内に一日はあっという間に終わっていく。
時の流れがゆっくりに感じるのは、一つ一つの作業に時間がかかるからだろう。
そんな生活を送っていたら、あっという間に6月も間近になっていた。
いよいよ、あの事件が起こる。
私が屯所の廊下を雑巾がけしながら移動していたら、土方さんの部屋から人の声がする。
いけないことだとは思いながらも廊下を拭きながら静かに耳を傾けた。
「山崎、島田、よくやった」
「お褒めに預かり、光栄です」
山崎、島田というのは、新選組監察の山崎烝と島田魁の2人だろう。
このお二人とは、直接面識がない。
「まさか、桝屋に古高がいたとは……」
山南さんの発した名前に私は聞き覚えがあった。
古高とは、池田屋事件が起こるきっかけとなった人物だ。
京の町へ火を放つ計画を企てていた長州藩の計画を知り、その会合を突き止めたのが池田屋事件である。
いよいよ、その名前が出てきたかと私は唾を呑んだ。
「しばらく泳がせろ。常に監視を怠るな。時を見て、御用改めに入る」
「承知しました」
今まさに歴史が動いている最中にいるというのに、どこか他人事のように感じるのはまだ実感がわかないせいだろうか。
廊下にしゃがみ込み、雑巾片手に床を見つめていた私だったが、すぐ横にある襖ががらりと開く。
「うわっ!?」
「……久遠、話聞いてたな?」
足が見えたのでその人物を見ようとゆっくりと顔をあげると土方さんがまるで鬼のような形相でこちらを見下ろしていた。
一瞬にして背筋が凍る。
「ひ、土方さん……」
「聞いてたな?」
もう一度念を押されたので、勢いよく何度も頭を縦に振る。
土方さんのこのオーラにはなかなか慣れない。
すると、土方さんは大きくため息をつき、私に向かって手を伸ばす。
頭が混乱している中、導かれるようにその手を取ると体がふわっと浮き立ち上がる。
「改めて、紹介する。こいつは、久遠桜だ」
土方さんが横に逸れたと同時に山南さんの前に座っている2人の人物が座っているのが視界に入る。
おそらく、この2人があの山崎烝と島田魁だろう。
「は、初めまして!久遠と申します!よろしくお願いします!」
私は頭を下げる。
細めの人とガタイがいい人がいるが、私の想像ではおそらく細めの人が山崎烝でガタイがいい人が島田魁だろう。
創作の世界でもよくそう描かれる。
「山崎だ。こっちは島田。よろしく」
「どうも」
私の予想はどうやら当たっていたらしい。
しかし、座ったままの状態で顔だけこちらを向けられているところをみると、あまり歓迎されていないようだ。
それはそうだろう。
忙しい中に、こんなボケーッとした女がいたらイライラもする。
山崎さんが私を観察するようにじーっとこちらを見てくる。
「あ、あの……なにか?」
「あ、いや……。どう見ても男には見えないと思ってな」
一応、袴を着てハーフアップにしているのだが、私の顔立ちはかなり女顔だ。
背も小さいため、男には見えないのだろう。なんてこった。
「……やっぱり見えないか」
土方さんが再び息をつく。
やっぱりということは、私はずっと男装してるけどどう考えても女だなと土方さんも薄々思っていたということか。
「……性転換手術してきた方がいいですか?」
あまりのいたたまれなさに思わずそう提案する。いや、男になりたいわけではないけど。
「“せいてんかんしゅじゅつ”ってなんだ?」
「あ、すみませんなんでもないです……」
性転換なんていう概念も手術という言葉もまだ存在しなかった。
あまり考えずにしゃべると現代でしか通じない言葉を発する癖は、いつになったら治るのだろう。
「……晒を巻いては?」
山崎さんから発せられた晒という単語はさすがに聞いたことある。
確か、胸に巻く包帯みたいなもののはずだ。
スケバンが巻いているイメージが頭の中に浮かぶ。
そういえば、胸が大きい人は晒を巻いて胸を潰すと聞いたことがある。
私は、思わず自分の胸を見下ろす。
元々そんなに大きくはないが、もちろん小さいわけではない。
言われてみれば、胸のふくらみが気になってきた。
視線を感じたので目を上げると、土方さんや山崎さん、島田さんや山南さんまでもが私の胸をじっと見ている。セクハラで訴えたい。
「すぐ用意させる」
土方さんのその言葉に一斉に視線を逸らす男ども。すぐ用意させるほど気になるのかそうなのか。
土方さんをじっと見ていると土方さんが視線に気づき、こちらを横目で見てくるが、気まずそうに目を逸らす。
「久遠、掃除の続きを頼む」
私と視線を合わせないまま、そうぶっきらぼうに言い放つ土方さんに少しふてくされながら了承の返事をする。
私が雑巾を手に取り、置いてあった桶に雑巾を漬けると、土方さんはぴしゃっと襖を閉めた。
私はそのまま雑巾がけを再開した。
夜、お風呂から上がり部屋でのんびりしていると、部屋の外から声がした。
「久遠、開けるぞ」
声からして土方さんの声だろう。
私が「はい、どうぞー」と言うと襖が開き、予想通り土方さんが現れる。
私を見るなりぎょっとした表情になり、襖を閉めた。
「お前、なんて格好をしている!?」
土方さんの声が廊下から聞こえる。
なんて格好とは?と疑問に思い、自分の格好を改めて見てみる。
私が京に来た冬に着ていたモコモコの部屋着はこの時期にはふさわしくないため、着物の下に着ている肌襦袢を部屋着にしている。
短パンはそのまま履いているが、寝るとき用のナイトブラを肌襦袢の下に着ているし、私としては快適な格好だ。
「寝間着はどうした!?」
“ねまき”というどこか懐かしい響きに少し顔が綻ぶ。
幼いころは部屋着ではなく、“ねまき”だったが、いつからかオシャレな言葉が浸透するようになっていたな。
「こちらに来た時のものだと、もう暑いのでこれしか手ごろなものがなくて」
実際、スーツケースの中に入っている服たちはみな冬物で、この時期に着るのは少し暑い。
唯一の薄手がこの肌襦袢だったのだ。
まぁ、洗ってもすぐ乾くし重宝はしている。
「……お前、まさかその格好で屯所の中うろついてねぇだろうな?」
「さすがにそれは……。あ、でも夜中厠?に行きたくなったらそのまま出てますね」
私がそういうと大きなため息が襖の向こうから聞こえてくる。
うん、言いたいことはわかる。
けど、この時代の夜中なんてまっくらだし多少ならわからないだろうという推測の元、ささっとトイレに行っているだけである。
今のところ誰かに遭遇したこともない。
「……ちょっと待ってろ」
土方さんがそういうと、目の前の影が横へずれて消えた。
なんだろうとしばらく待っていると、再び影が現れ私の部屋の前に何かを置いた。
「お前の晒と俺のお古で申し訳ないが寝間着だ。今夜はこの寝間着を着て寝ろ。明日、また新しいのを用意させる。晒は明日から巻いてこい」
「ひ、土方さんのお古の寝間着!?」
なんか土方さんがいろいろ言っていたが、私はそこに引っかかっていた。
土方さんが使っていた寝間着を私が着ていいんですか!?なんのご褒美!?
「……きちんと洗っているから安心しろ」
表情を見なくても分かるくらい土方さんの声は引き気味だった。
もとい、それは向こうも私の表情を見なくても私がどんな感情かはわかっているだろう。
むしろ洗わなくても良いのだが、それを口に出してしまえばさすがに……なので、言葉を喉奥にしまい込む。
「……ありがとうございます」
「じゃあな」
土方さんがその場を立ち去ろうとするので、私は慌てて襖を開け、顔だけ廊下に出す。
「土方さん!おやすみなさい!」
私がそう言うと土方さんは驚いたようでこちらをすごい勢いで振り向く。
私がにこっと笑顔を見せると、土方さんは呆れたような、でもどこか綻んだ表情になった。
「あぁ、おやすみ」
その表情と優しくて甘い低音ボイスに私は思わず口元がにやける。
そのころには、土方さんは前を向いて歩いていたので、この気持ち悪い顔を見られなくて済んだ。
「マジでそれは反則でしょ……」
これだから土方推しはやめられないのだ。
普段の鬼の副長とは違う、土方歳三としての土方さんは本当にずるい。
そりゃ、モテるわけだ。
私は、土方さんが置いてくれた“ねまき”と晒を持って部屋に引っ込む。
“ねまき”を広げてみてみると、よく時代劇で寝るときに着ている白くて薄い着物みたいな服だった。
よく見るやつだ!と少しテンションが上がる。
晒は想像通りの包帯みたいな布だった。包帯ではないんだろうけど。
土方さんのお古だという寝間着にさっそく袖を通す。
少し大きいが、和服なので上手く調整すればそれっぽくはなる。
着ている最中気づいてしまった。
この寝間着から微かに土方さんの匂いがすることを。
思わず、袖の部分に思いっきり鼻を当て、息を吸い込む。
"ねまき"からは、やはりほのかに土方さんの香りが残っていた。
いい匂いすぎて一生嗅げる。……いや、ダメだ。さすがに寝なければ。
私は布団に入る。
布団に入ると、土方さんがそばにいるような感覚、いやむしろ土方さんに抱きしめられているような感覚に陥る。
「土方さん、これ無意識でやっているの?なんなの?」
私は、もちろんその晩はあまり寝られずに朝を迎えた。
朝餉のとき、「土方さんのおかげであまり寝られなかった」と文句を垂れ、周りから誤解されるように仕向けたのはわざとである。
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